【コラム】第一四回 幽霊は同じ行動を繰り返すのか
民俗学者の池田彌三郎は、人間が遭遇する怪異を「人を目指す幽霊」「場所に出る妖怪」と整理して『日本の幽霊』(二〇〇四年(平成一六年)中央公論新社)で考察した。そこでは出現パターンや場所を大別している。
池田だけでなく、遡れば柳田國男の妖怪や幽霊の分析にも留意すべきだが、「特定の場所に近付かなければ妖怪に遭遇することはない」と言い切れるかといえば、そうではない。
ザシキワラシの記事でも述べたが(【コラム】第五回 ザシキワラシに寄り添う)、部屋という限定的な空間や場所に出現する怪異をすべて妖怪と判定してしまうと、事故物件怪談は元「人」の幽霊談ではなく妖怪談となってしまう。だが、近年語られる事故物件怪談はやはり幽霊による体験が多いと感じる。
また、先述の定義に則れば、心霊スポットに出るとされる幽霊は、特定の場所にしか出ないなら妖怪に分類されてしまうが、やはり妖怪より幽霊のイメージが強いだろう。もちろん、妖怪のような目撃談もある。つまり、すべての怪異談を画一化することはできないと私は思う。
そんな数多くの体験談のなかで、興味深い傾向がある。特定の場所で幽霊を目撃したとされる体験者が、幽霊がその場で一定の行動パターンを繰り返していたと振り返る話だ。
例えば、こんな話。ある人がふとマンションから飛び降りる人影を見て、自殺現場だと思い目を背けた。目線を戻すと、辺りはまったく騒然としておらず、何事もない様子。上を見ると、また同じ地点から人が飛び降りる瞬間を見た、という話である。つまり行動がループしているわけだ。
この種の話をここでは便宜上「ループ怪談」と名付ける。
話が想像しやすいので、「飛び降りる」という行動例が強く印象に残るが、考えてみれば、他にもこの手の話はある。思い返せば、都市伝説や伝承、昔話も、語り継ぐ人が増えれば、同じ行動を繰り返す怪談として定着していると言えないだろうか。
口裂け女がマスクを外すとか、首無しライダーが追いかけてくるなど、気にも留めていないが、報告される行動パターンは同じである。そもそも、人の出現を待って攻撃を仕掛けているので意思はありそうだが。これらの場合、体験者とのコミュニケーションや接触がある。
対して、飛び降りは状況を俯瞰して見ているだけで、接触はない。だからこそ、恐怖心は抱きつつも複数回見ているうちに冷静になる自分に気付く。そこで、「あの幽霊は同じ行動を繰り返している」と理解する。
体験者に危害が及ぶのであれば、恐怖のあまりまずは現場から逃げるだろうから、二巡目以降の行動を見る機会が少ない。そして、別の人が噂のある現場に行き、怪異を体験すると、同じ報告をする。こうして、噂は広がり、パターン化する。そして、伝承や謂れとなる。
このように考えてみると、幽霊はわかりやすい飛び降りなどの怪異だけではなく、多くの幽霊が何らかの行動パターンを現場で繰り返しているのかもしれない。では、それらの幽霊は地縛霊だからこそ、そのような行動をとるのか。浮遊霊はどう説明するのか。現場から安全地帯(例えば自宅など)まで憑いてくる霊は何者なのか・・・。疑問は尽きない。
ただ、ループ怪談のポイントは二つある。まずは同じ時間内(現場での滞在時間)で特定の体験者(複数人の場合あり)が何度も同じ行動を見かけること。二つ目に、知人や他人を問わず別の人間が同じ場所に行ったとき、やはり同じ行動を見たということ。「それ、私も見た」となる話である。前者はその場で特定の体験者たちが「霊は同じ行動を繰り返している」と即時判定できた例であり、後者は知人からの世間話やインターネットからの情報収集により後日気付いた例である。もちろん、先に情報を知っているケースもある。
ループ怪談を解剖すると、いよいよ霊体が物理的に存在するのかという、人類が抱く素直な疑問が浮かぶ。もちろん、素人の私に科学的検証を試みる術は皆無だが、繰り返さない怪談もあるわけで、総合的に話の傾向や経験則から考えることしかできない。
そこで、現時点で私が抱くのは、ループ怪談については、霊感の強い人が持つチャンネルのような感覚と、幽霊が出るとされる現場のチャンネルのようなものが一致、共鳴した場合にのみ、頭に景色として映し出されるのではないだろうかという仮説だ。
それはまるで、霊感の強い人にとっては、スクリーンを見せられているような感覚なのかもしれない。つまり、そこに霊体本人はいない。夢や未来の景色を見て未来予知をしてしまう人がいるらしいが、それがあり得るなら過去の記憶を見てしまう人だっているかもしれない。
だが、故人の経験を追体験してしまうとして、その前提条件は何か。単純な話として、現場へ足を踏み入れてしまっただけなのか。いや、その前の土壌として、霊体はなくともその場に残留思念がある可能性は高い。
念なんてものが残るものか!と科学者に一喝されてしまえばそれまでの話だが、いまいち実体感がわかない怪談を聴くと、そこに無念が残り、謂わば「土地の記憶」を見せられている、と考えてしまう。
私が愛してやまない怪談家・稲川淳二氏は、自身の怪談やトークで、「海外の学者が、建物に過去の人の声が染み込んでいて、それが現代に漏れ聞こえてくるのではないか、という学説を唱えている」と折に触れて語っている。どの文献や論文を指しておっしゃっているのかは明確にされていないが、あり得ると思う。
過去の景色を見てしまったり、声を聞いてしまったりということは、あくまで研究段階かもしれないが、以上の仮説は充分に検討の余地あり、なのかもしれない。私は物理的に見える幽霊もいるとは思うが、それがすべてではなく、今後の研究に期待したい。
科学で謎が解明されてほしくないとは思わない。しかし、現段階で未知の領域を、科学者でもないただの私たち怪談マニアが熱く語る。そんな時代を過ごしてみても良いではないか。みなさん、ともに、もっと幽霊を科学しよう。
