Run for the Roses 第三話
第三話
すっかり古びた騎士のカードは、角が丸くなってよれている。ベッドのヘッドボードにもたれかけたプライドは、取り返すことができたカードの縁に指先を這わせ微かな感触を確かめた。
盛大な宴会の後、プライドたちは「ヤシノキ亭」の一室に案内された。一人一つの綺麗な寝台がついた、プライドには信じられないほど豪華な部屋だ。
満腹感が身体に染みているにも関わらず、どうにも眠れないのはむしろ落ち着かないからかもしれなかった。
あれほどコーヒーを飲んだくせに早々寝付いたハザールの鼻が鳴る音を聞きながら、プライドは外の景色をぼんやり眺めていた。港のほうはまだ明るいが、夜も更けた時間だ。通りを歩く人もほとんどいない。
何の変哲もない時間が続き、諦めて瞼だけでも閉じようかと思い始めた頃、扉を誰かが叩いた。
出れば、それは「ヤシノキ亭」の主人だった。
「やっぱり、あの子はいないよなあ」
「どうかしたのか?」
プライドが問うと、主人は不安そうに答えた。
「ルチアが宴の途中で『金を払いに行く』って言って抜けてから、まだ帰ってきてないみたいなんだよ」
プライドは眉を上げて首を傾げた。
それから上着を掴むと、ハザールを叩き起こすことにしたのだった。
***
ギャングの首が転がった。
倉庫の地面に広がる血だまりに、差し込む街灯の光がぬらぬらと反射する。
大きな木箱の積み上がった貿易倉庫の中で、部下を殺したばかりの男は手を拭ってから、つまらなそうに煙草に火をつけた。
年は二十の後半ほどだろうか。瞳は獣のように金色に輝いている。男は上等なスーツに身を包み、ファーのついたコートを肩にかけ、革靴に跳ねた血を不愉快そうに睨んでいた。
男から少し離れたところには、若い女が二人立っていた。一人は小さいが金髪の派手な女、もう一人は細身の長身の女だった。
男は億劫げに首を振ると、少し離れたところに置かれた、豹の毛皮を掛けたソファにどっかりと腰を下ろす。
「ワンダーブルー。これ片付けろ」
乱雑な手つきで指示を出す。すると、小さいほうの女が静かに頷いた。シルクハットに白いスーツの姿はまるで大道芸の手品師のようだ。背の低さに見合わぬ豊満な胸がスーツのボタンを圧迫している。
ワンダーブルー、と呼ばれたシルクハットの女は、白紙のトランプを一枚取り出す。すると、ギャングの死体はシャボン玉でも弾けたように消えてしまった。
男は向かいの椅子に座る女────ルチアに向かって首を竦める。
「まあ、何だ。うちの下っ端が悪かった。これで許してやってくれ」
「おいおいダリあんた……許してほしい相手にやることじゃないだろ、これは」
ルチアは心底呆れたように首をもたげた。手は後ろで固く縛られ、胴体はその五倍は縄が巻かれている。
ダリという男は贅沢に足を組むと指を振る。
「それはそれ、これはこれ、だ。雑魚が逸ったのは謝るがな、穏便なうちに出てこなかったテメエもよくねえ」
「金はきちんと払ってるじゃねーか。何の文句がある」
噛みつくようなルチアの態度に、ダリは眉をひそめた。ダリの吹く煙草の煙が、倉庫の天井に向かっていく。
「正直なところ、俺にとっちゃ金は問題じゃないんだ、分かるよな。最初から俺は、テメエの親が運んだっていう何かについて聞いてんだ」
ダリがそう言うと、ルチアは苛立ったように声を荒げた。
「だからよ、その話はもう何度もした! 知らねえっつってんだよ、親父が何年前にくたばったと思ってる!」
「あの船にはテメエも乗ってたはずだ! 見たことあるんだよ、絶対にな!」
「超能力者じゃねえんだぞ、コンテナの中身が分かる訳ねえだろボケが!」
激しい怒鳴り合いに、ワンダーブルーが口を歪める。
ダリは深く深呼吸をすると、煙草を踏み消した。
「……埒が明かねえな」
ダリの視線がサイドテーブルのピストルに移った。
すると、それまでずっと黙っていたもう一人の女が太刀を片手に笑った。背が高く、黒髪のショートヘアに黒のロングコート、スキニーのズボンという組み合わせが大人びた印象だが、今年で二十三になるルチアとそう年は離れていないように見えた。
「そんなに詰めたら可哀そう。相手は普通の女の子よ?」
「じゃ、テメエがやれゴースト」
「はいはい」
ゴーストは自分の黒いロングコートの埃を叩くと、屈みこんでルチアに尋ねた。
「……ねえ、店員さん。何でもいいから、言ってみて。最後の日、船はどんな様子だった? お父さんとどんな話をしたのかしら」
「何も見てない、知らないんだよ! 沈没する前の晩から、アタシは風邪で寝込んでたんだから!」
自分の意見が通らないことに僅かな恐怖をにじませながら、ルチアは必死に言葉を紡いだ。
「今でも思い出せるのは、枕元にヒマワリが置いてあったことくらいで、それで……」
そこでダリが制止の手を挙げる。
「ヒマワリだと? 事故は冬だったと思うが」
「造花か何かだった。確か、最後に寄った港で買ってもらったんだ。花が欲しくて……」
そこまで言ったところで、ルチアが何かを思い出したかのように止まる。
柔らかい唇がぽつりと呟いた。
「花だ」
「何?」
怪訝そうな顔で尋ね返すダリに、ルチアは繰り返して言った。
「花だ。船の積荷だよ、思い出した。親父は……」
ダリの瞳が僅かに収縮する。
「『薔薇が入ってる』って言ったんだ」
「……!」
ルチア以外の三人に緊張が走った。ゴーストとワンダーブルーは険しく顔を見合わせる。
「それでアタシも花が欲しくなって、泣いてねだって……」
「もういい。今の話……他の誰かにしたことはあるか」
「いや、あんたら以外には訊かれたこともねえよ」
その答えに安心したのか、ダリは軽い手つきでピストルを手に取った。
「そうか。じゃあ、テメエが消えればこの情報は俺たちしか知らないってことだ」
「は、おい、待てって……!」
ダリが引き金に指をかけようとした瞬間だった。
「旅行鞄アターーーーーーーーーーーーック!!!」
「!!」
入口の方から何かが飛んでくる。ワンダーブルーが咄嗟にトランプを抜き出すと、透明な壁が飛来物を防いだ。
三人が向いた方向には、息を切らしたハザールが立っていた。どうやら旅行鞄を投げたようだ。
「よし、セーフ! ちなみに今のは手が滑ったのであって攻撃ではないぞ! プライド! こっちだ!!」
ダリが銃口を向け、荒々しく怒鳴る。
「誰だテメエは!」
「気にするな、もう二度と会わん!」
転がるように突っ込んでくるハザールの片手には折り畳みのナイフが握られている。ルチアの縄を切るつもりだろうことは簡単に察せられた。ダリが怒鳴る。
「叩っ斬れゴースト!」
「させるかよ!」
ハザールの向こうから、風のようにプライドも飛び込んでくる。ゴーストの太刀を防ぐと、勢いのまま二発三発と蹴りを放つ。
プライドの腕が結晶に覆われていることに気がついたダリは、忌々しげに自分の額を撫でる。
「その腕……テメエが昼間のもう一人か……!」
「そういうおめーがギャングの偉いやつ!」
ダリとプライドが対峙する一方、ルチアに駆け寄ろうとしたハザールは見えない壁に遮られた。
「おい、どうなってんだコレ! 透明な壁で触れねえ!」
「あのシルクハットのマジシャンチビだ! さっきから訳の分からねえ能力を使いやがる」
焦るハザールとルチアの様子に、ダリが鼻で笑う。
「ワンダーブルーの『拍手喝采』が作る壁は、どんな実体も通さない。間抜けな姿を晒したくなきゃ大人しくしてろ」
膠着の中、ダリは後ろ手にソファに掛けられた豹の毛皮を取った。
ふわり、と空をかかせ、ダリは毛皮を頭から被る。それから、だらり、と両手を下げた。
「ああ……今日はどいつもこいつも俺の手を煩わせる」
地を這うような低い声。
毛皮の隙間から覗くダリの口元には、琥珀色の結晶が咥えられていた。
「もうめんどくせえ。全員────食い殺してやるよ」
次の瞬間、プライドの目前には真っ赤な口を拡げた豹がいた。
