繋がる時間の上にいる
とても大切な思い出があった気がします。今となっては気がするだけで、好きな食べ物を聞かれた時のように、ぱっと出てこないのですが。
時間が経てば多くの記憶は曖昧にぼやけ始め、次第に自分の手元から離れて行ってしまいます。
けれど、生活の中で、ふと呼び起こされる記憶はありませんか。私は新居のオレンジ色のライトを見た時、小さい頃寝る前に着けていた豆電球と、照らされた室内を思い出しました。
私たちには過去に経験した多くの出来事と、そこから生まれたイメージによって、目の前に現れた対象への態度を決定していることがあるのでは無いかと思います。
祖母の家で麦わら帽子を見た時、今は亡き祖父の姿と記憶が蘇ってくる。仮に帽子を手に取って埃を払ったのだとしたら、祖父と過ごした時間が帽子への態度を決めさせたという事になるかも知れません。
イメージが繋がるという事は、孤独から離れていける可能性があると言う事でもあるのでしょう。
過ごした時間が私たちの前に現れた物や現象と心を繋げてくれているのなら、時間は孤独にならないためにあると考える事が出来るような気がします。
多くの時間によって、私達はどこへ、行っても何かと繋がって居られるのですから。

そして、今受け入れ難い物として残っているイメージも変えられると信じて居ます。嫌いな野菜を一度食べられたら、抵抗は小さくなるかも知れないし、新しい職場の給料日が25日であれば、25日は嬉しい日に変わるかも知れません。
過去に過ごした時間を元にイメージを持っている様に、未来の出来事や行動によって、イメージを変えられる。それは変わってしまうとも言える。
だからこそ、可能性があるのです。
大切な人と世界中の全ての現象の中を旅する事が出来れば、世界はとても幸せなものになるのだと思います。嬉し涙が多ければ、泣く事も嫌な事ではなくなる。
写真は消えて行く時間を残しておける。
それはつまり、記憶を保存しておけるのですから、映した対象と繋がるイメージを変えたく無いと言う意志でもあるのでしょう。
それと、時間があるから、誰かと親しくなれるのかも、知れませんね。

