学びの置き場所
通勤時間にテキストを開く。
隙間時間に講義動画を聞き流す。
そんなことを少しずつ続けていたら、
勉強時間は、いつのまにか生活の中に溶け込んでいた。
最近思う。
新しいことを始めるときに必要なのは、
「時間を作ること」ではなく、
生活の中に「置き場所を見つけること」
なのかもしれない、と。
そんなことを考えるようになったのは、
結婚以来、家計簿をつけ続けて
十年経とうとしていることに気づいたのがきっかけだった。
職歴を振り返っても、
一つのことを長く続けてきたとは言い難い私だ。
もともと算数や数学、
数字には苦手意識しかなかった。
それなのに、家計簿だけは続いている。
どうしてこれは続いたのだろう。
私は小さな驚きを感じながら、
その理由を知りたくなった。
同時に、こんなに家計簿をつけているのに、
「家計を管理できている」という実感が、
まったく持てていないことにも気づいた。
なぜだろう。
積み重なった家計簿の記録は、
本来、もっと活かせるはずだ。
その仕組みを、きちんと理解してみたい。
基礎から学んでみたい。
そう思い立ち、
簿記3級のテキストを手に取った。
とはいえ、毎日はそれでなくても忙しい。
家事と育児の合間に勉強を進めるのは、
思っていた以上に難しかった。
「時間を作らなきゃ」と焦るほど、
勉強は続かない。
結局、一度目の簿記3級の試験には合格できなかった。
あと3点。
あと一歩だったのに。
その後しばらくは、
再挑戦しようと思いながらも、腰が上がらない時間が続いた。
それでも、悔しさが消えることはなかった。
もう少しだけ頑張ってみよう。
この時間を形にしてみよう。
そう思って、もう一度テキストを開いた。
久しぶりに勉強に戻ってみると、
思ったよりもすんなり頭に入ってきた。
あの時やっていたことは、
まだ私の中に残っているのだと嬉しくなった。
時間も場所も確保できないことはわかっていたから、
今度はあえて「勉強しなきゃ」という意識は捨てた。
そのかわりに、洗い物をしながら講義動画を聞き、
夜寝る前にテキストを開き、
家計簿をつけるついでに問題を解いた。
用語に慣れ、文章に慣れ、
問題を解くことにも少しずつ慣れていった。
次第に時間の使い方も変わり、
勉強時間が、少しずつ手応えのある時間に変わっていった。
「勉強」に置き場所ができた、
そんな感覚になった。
勉強を続けるうちに、
ふと、家計簿が続いている理由がわかった気がした。
見えない不安や、わからないことが、
記録することで輪郭を帯びてくる。
私はそのことに、安心していたのだと思う。
それと同時に、
それまでの私の家計簿が、なぜ機能していなかったのかも見えてきた。
家計の輪郭が見えたところで、
なんとなくわかった気分になり、そこで終わってしまっていたのだ。
そもそも、家計簿とはそういうものだと思い込んでいた。
お金の流れは、記録しているだけでは不十分で、
管理するための見方を、私は知らなかった。
仕組みを知ることで、不安は減らせる。
生活の見え方も、少し変わった。
私は今も、
通勤時間や家事の合間に、少しずつ勉強の置き場所を作り続けている。
新しいことを始めるとき、
時間を作ろうとすると、少し苦しくなる。
そんな時には、
生活の中に小さな置き場所を探してみる。
そのことに置き場所ができたとき、
続けることはもう、
生活の一部になっている。
そして気づけば、
それは「続けていること」ですらなくなっている。
