見出し画像

48歳、乳がんステージ0の記録——私の気づきと家族との日々

つい2ヶ月前のこと。ステージ0の乳がん という診断を受けました。

診察室で聞いたその言葉は、じんわりと心に染み込みました。怖くないと言えば嘘になるけれど、いま、不思議と心は穏やかです。

家族の声、友人やクライアントの温かな存在、そして検診で早く見つかったという “小さな幸運” に包まれながら、私は今、病という山を越えようとしています。

このnoteでは、わたしががんの告知をされてから、手術を決めるまでの気持ちの揺れや、その間に小さな希望をどうやってすくい取ったかについて綴りました。

もし今、同じような不安を抱えている方がいたらと思い、今回の体験をnoteにしようと決めました。私は病に立ち向かう立場だけれど、同年代で日々頑張っている女性たちの、手をそっと握りたい。そんな気持ちで書き切ることができました。

この文章を公開する翌日、手術に向けて入院をします。4000字くらいになってしまいましたが、よかったら最後まで読んでいただけたらうれしいです。


■ 1月20日|検診へ行こうと思った日

昨年行きそびれていた乳腺の定期検診。
もともと若い時から乳腺線維症のしこりや副乳腺などがホルモンバランスで痛くなることがあり、結構定期的に乳腺外来にて検査をしていた。

忙しさにかまけて診察に行けず年を超えてしまったことがずっと気になっていたうえに、いつもは右の痛みが多い中、今回は左側の胸に違和感。
ちょうど予約の空きがあったので、急遽受診することにした。

いつも通り、マンモの後にエコーの診察。
先生が「ちょっと右側がね…」と話す。
私は「今、痛いのは左なんですが…?」と伝えると、「そちらも診ますが、右側がね」と。

マンモの画像を比較しながら、「ここの部分、前の画像にはなかったんだよね」と言われ、エコーへ。

左は「ホルモンバランスによるものかな」とすぐに診察が終わり、右側を丹念に確認。
先生は新しく「石灰化」の影があることを説明してくれた。

「経過観察で良いかどうか判断が難しいので、“細胞診”をしましょう」と言われ、即「やってください!」と返答。

とても丁寧な先生で、「悪性と断定しているわけではないですよ」と何度も説明してくれた。

でも、私はどこかで“これは決まったな、悪性だな”と思っていた。
実際に、自分でも画像の見え方がいつもと違うように感じていた。

1年半前には何もなかった場所に今はある。
——めちゃくちゃ早期発見。ラッキーじゃない?

■ 2月10日|告知の日

「悪性……がんです」

最初の診察から3週間が経ち、先生にそう伝えられた瞬間、私はこう思った。

「やっぱりな」「でも、初期で見つかったのはラッキーだよね」と。

告知の場では、「このまま話を続けても大丈夫ですか?」と確認されたうえで、丁寧に現状を説明していただいた。

「Stage0、10年後の生存率は95%以上。すぐに生死に関わるものではありません」。

グラフを見ながらそう説明され、知っていたはずの数字を見ながら
「生死を語られることなんだ……」と改めて感じた。

夫と娘は法事で京都にいた。
電話で夫に伝え入院とかのスケジュールを話したいといったら、
「それはどうにかする、それよりメンタル大丈夫?」
と意外な反応だった。

彼はとてつもなくポジティブな人で、
早く見つかってラッキーだったね、というかと思ってたから。

そして、「娘にはまだ言わないでいるよ、不安になるかもしれないから」とも。

私はハッとした。
自分は良くても、相手はそれだけ衝撃的なワードなんだというのを実感した。

■ 確定診断までの経過

1週間後に細胞診の結果を聞きにいく。

「良性とは判断できない」ということで、
その日のうちに組織診へと進んだ。

細胞診の結果の説明聞きながら見えた検査結果の紙にあった「異形」という文字。やっぱりそうか、と改めて思った。
これは確定診断をするための検査なんだと。

組織診では、太い針をピストルのように刺す。大きな音がして、体を押さえられてびっくり。
でも痛みより、「思ってたより大がかりだなー」という印象。

■ 私が冷静でいられた理由

私が取り乱さずに済んだ理由は2つある。

ひとつは、医学的な知識。
昔、医薬品を取り扱う仕事をしていて、生物系の学びもあった。
がんや、説明にあった"非浸潤"という言葉の意味、予後の見通しも理解していた。夫も乳がん領域の薬剤に関わったことがあり、会話もスムーズだった。

もうひとつは、コーチングで自分の感情の取り扱いが上手くなっていたこと。

告知を受けてそれなりに不安を覚え今自分がどういう状況か、を知りたいとおもった。でも不安に振り回されないために、「なぜ調べるのか」という軸を持って検索した。

人の脳はアンテナを立てたものをキャッチする傾向があることを知っていたからこそ、何を得るためにどんなアンテナを立てるかを自然と意識していたと思う。

もう「乳がん」の罹患という事実は変えられない。
この状況を自分の糧にできるように情報を得ていきたいと強く思った。

「もし最悪の事態になったとき、子どもにどんな姿を見せたいか?」
そう問いかけたら、自然と前を向けた。
親としてはへっぽこだけど、「楽しんで生きる姿」を残したいと思った。


子どもの卒業・入学の記念に家族写真をとるのが我が家のおきまり。
今回は私の入院直前の週末にとりました。家族の自然な姿を残せて嬉しい!

■ 手術方針の決定(3月17日)

最初の確定診断から、PETやMRIなど術前の検査を受けてきた。
その結果が全て出揃ったところで、執刀医からの手術の方針や治療方針の説明がある。

夫と一緒に病院で説明を受ける。
PET検査では転移なし。
エコーでは15mmと見られたが、MRIでは6cm。

選択肢は以下の3つが示された。

1.部分切除+放射線(数ヶ月毎日通院が必要)
2.全摘(再建なし)
3.全摘+再建(人工 or 自家)

診断は非浸潤(がん細胞が、原発部位の基底膜を越えて周囲の組織や器官に広がっていない状態)だったため、全摘なら再発リスクはない。
私は迷いなく③を選んだ。

再発リスクを減らす。
これが一番の目標で、部分で残して放射線に毎日通うというのは私の性格上とてもストレスフルだと思ったから。

あとは、夫と以前「再建するなら美意識の高い先生がいいよね」などと話していた時に、「一から作る方がきれいにできるらしい」と仕事上で術後の写真等を見聞きしてきた夫から聞いて、確かにと納得。

2人の子に母乳もあげたし、もう年齢的にもスタイルへのこだわりもない。
役目を終えた、ありがとう。そんな気持ちだった。

再建は“自家”を選ぶ予定。
人工物は10年で入れ替えや異物感もあるらしい。
お腹の脂肪を使い、血管をつなぐ方法。
術後は4日ほど動けないらしいけど、自分に合うほうを選びたい。

■ 子どもたちへの伝え方

この日に、子どもたちに伝えることにした。

前日、娘がインフルエンザと診断。卒業式の1週間前、タイミング的にはギリギリ。でも熱も下がり元気そうだった。

食卓に全員集合させたら、息子が「絶対イヤなこと言われる..」と警戒。
聞いてみると、「Wi-Fi切るとか?」「ネット制限?」というものだったけど。内容はともかく、兄妹の警戒心が可笑しかった。

その空気をほぐしたあと、「乳がん stage0」のプレゼン資料を見せた。

すぐに、

「生存率高いやつだ」「stage0なら大丈夫」

と、思った以上にクールな反応。

その反応に、こちらも笑いながらの報告となった。

子どもたちへのプレゼン資料は実家の家族への説明にも役立ちました。
無闇に不安に思うことなく、正しく事実を理解してもらいたいと思って、プレゼン資料を作成することにしました。
まずは、入院する事実を伝えました。
次に病名とステージを。隠すことなく嘘なく真っ直ぐに伝える、そう決めてました。
これをみた瞬間「死ぬ可能性は低いステージだね!」と子どもたちが一声。
子どもたちは医療ドラマとかで知識を蓄えているので知ってるのだそう。


国立がんセンターの生存率の資料、私が医師から説明受けたものと同じです。
安心すると同時に「生存率」を提示される時点で【死】が
ベースに語られるものでもあるという重さを感じたデータです。

また、ここでは割愛しますが、図解をつかって乳がんの発生部位を詳しく説明しました。私の体で何が起きているのか、具体的に知っておく方が安心すると思い結構リアルに伝えてます。

手術してみないとわからないことが多いので、どういう可能性があるのかも伝えました。
この段階では、薬も放射線(全摘を選んだので)もなくて良さそうとの見解です。
そして、いつまで入院するのか、人は見通しが立たないことに不安を感じやすいのでできるだけわかることは伝えることにしました。
入院中の生活は、単身赴任中の夫が戻ってきて対応することでいつも通りの生活を送って欲しいとつたえました。仕事先は隣県なのでどうにか必要に応じて行き来しながら対応してくれます。今までの日常の中で私がいなければ成り立たないことがないように過ごしてきました。だから、大丈夫だよねって笑えたんですよね、実はこれ嬉しかった子どもの成長
それでもね、中学の新生活が始まったばかりの娘も心配なんだよね。私のことで子どもたちが自分のことを我慢するなんてことにはなってほしくないから、いつも通りでねって言ったら「ちちのアレクサもっていきなよ!」って娘からの提案、さすが笑 アレクサはテレビ電話ができるもの、我が家では毎日、夫の単身赴任先と繋いでいるんです。

このほかに、入院中に夫と子どもたちが作れるごはんリストなんかも共有した。
たこ焼き、お好み焼き、チャーハン、カレー、鍋、ラーメン、カツ丼(カツは買う)、そぼろごはん…。

「生きていけるね、大丈夫」と笑う子どもたち。

ちょっとは心配して?と思ったけど、私はそう育ててきたんだった。
転勤生活の中で、突然私がいなくなっても大丈夫と思えるようにと「家庭はチーム」と思って育ててきた。

子どもたちはとても逞しく育っていることを感じた。

でも、私自身はもうちょっと心配したり、寂しがったりして欲しいなという欲が・・・笑

■ 不安という感情と、私の向き合い方

検査で引っかかった時も、
告知を受けた時も、
そして今、入院を控えた直前のこの時も。

私は、暗い気持ちになることもなく、一粒の涙も流していません。
でも、まったく不安がないかといえば、そんなことはありません。

告知の時、医師が説明してくれた「10年後の生存率95%以上」という言葉。
安心材料ではあるけれど、それは同時に“死”を意識させる言葉でもありました。

「開けてみたら予定と違う」という話もよく聞く。
——万が一、思っていたより深刻な状況だったらどうしよう。
そんな風に考えてしまうと、気持ちが少しだけ沈むのです。

時々走る胸の痛みにも、「進行しているのでは?」と不安がよぎります。
(昔から感じていたホルモンバランスによる痛みだとしても)

いつもお気楽な夫に「メンタル大丈夫?」と聞かれたり、
義理の母から「落ち込んでない?」と連絡が来たり、
実母も「入院中に旅行に行っていいか」と迷っていたり、
友人や仕事仲間に話した時の声色や表情——

それらを受け取るたびに、
「ああ、やっぱり“がん”ってそんなに軽くはないのかもしれないな」と自覚します。

私は、自分の胸が大きく変化することをどこか割り切っているようでいて、
でも、本当のところ、その瞬間が来た時、自分がどんな気持ちになるのかはわかりません。
想像すると、正直、お腹の中がキュッとするような気持ちになります。

それでも。

私はこの“不安”という感情と一緒に、
この経験を、自分の人生の一部として大切に抱えていきたい。
そう思っています。

家族写真のときに撮ってもらったポートレート”今”の私が写っていてお気に入り。
術後、何がどうなるかわからないけれど、この笑顔で歩いていきたい。

■ 記録を残す理由

私はラッキーな人だと思っている。
自覚症状もない中での早期発見。
それは毎年の検診のおかげだった。

「自分のためにお金や時間を使うくらいなら、子どものために」
そう思ってきたこともあるけれど、
——本当に子どものためを思うなら、自分の健康を守ることが先じゃないかな。

専業主婦には保険はいらない?
でも、もし私が倒れたら、家族はどうなる?
「頼れるもの」を準備しておくのも、家族のためだと思う。

私は伝えたい。
「自分を大切にすること」は、自己犠牲とは違うということを。

子どものことを想うのならば、
まずは自分のことを大切にしてほしい。

■ おわりに

この記録が、
「検診に行こう」
「自分の体を気にかけてみよう」
と思ってくれる誰かのきっかけになりますように。
よかったら、お友達や身近な大切な方へシェアしていただけたら嬉しいです!

それでは、不安の塊を取り除くための入院手術行ってきます〜!
2025.4.20


いいなと思ったら応援しよう!

むらたふみこ 皆さまの応援が励みになります!サポート頂いた分、支える活動(企画やイベントなど)にも頑張ります😊