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夏の湯治⑱【松の湯松渓館 極上の温湯】

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 松渓館に到着するも駐車スペースがなく、とりあえず建物から少し離れたガレージに一旦駐車。館主の自家用車と思われる車に縦列で前付けした。

 2階にある帳場に行くと女将さんの他に来客が一人。随分親し気に女将さんと歓談している。そして、どこか見覚えのある顔。恐らくこの方がナンバー「4126(ヨイフロ)」のオーナー。
 私が車から荷物を持ち再び帳場に入ると、私に軽く会釈。「それではまた!」と、女将さんに言い残し去って出ていった。
 

私  「予約の者です。車どこに停めればいいですかね?ガレージに縦列で停めちゃいました。」
女将 「お待ちしておりました あそこで大丈夫ですよ」
   「すみませんね、バタバタしてて」
私  「あの車、4126でしたね」
女将 「よく気付きましたね」
私  「恥ずかしながら、私も1126」
女将 「素敵なナンバーね。あの車は川中さん」   

 松の湯温泉のさらに奥、ほぼ行詰の地に「川中温泉 かど半旅館」がある。和歌山の龍神温泉、島根の湯の川温泉と肩を並べる日本三大美人の湯に数えられる超名湯。日本秘湯を守る会にも所属する一軒宿だ。

 西洋医学の宣教師であり、日本の温泉の効能を初めて世界に発信したエルウィン・ベルツ博士も、川中温泉の効能を高く評価している。
 
 5年前全身痛に酷く悩まされた時期、車の運転もままならず電車で川中へと発ったことがある。高崎から吾妻線へと乗り継ぎ鈍行で川原湯温泉駅へ。かど半旅館は送迎付きなので、迎えに来てもらいマイクロバスに乗った。
 その時はまだ八ッ場ダム建築途中で水は張っておらず、ダムに掛かる陸橋から底を見下ろすと、旧吾妻線の線路が残っていたのを思い出す。

 初めてまともに入った温湯源泉(35度)。石鹸を溶かしたような滑らかさと上品な香りに驚嘆した。そして、さっきすれ違った男性。間違いなく、あの時宿で接客していただいた方だ。先方は覚えていないだろうが、まさかここで顔を合わせるとは。

 
 記帳を終え、ずっと気になっていたあの質問を女将さんにぶつけてみた。

私  「なんで1日1組しか受けないのですか?」
女将 「疲れちゃうから」、「70を過ぎて辞めるかだらだらやるか悩んだの」、「子供夫婦が近くに越してきたから、続けているの」

私  「常連さん もっと来たいのでは?私もずっと予約取れなくて」
女将 「一人でやるのは限界があるの、大きくやり過ぎない方が長く続く」
、「だから毎年ちょっとずつ直すのよ、去年は部屋の戸を直したの」 


 そうしている間にも、宿の電話が鳴る。カレンダーを見ながら応答する女将さん。その日は一杯とお断りしている。こんなやり取りを、チェックアウトの瞬間まで5回ほど目にした。

 「たまに予約がバッティングしちゃうことがあるのよ」
 「その時は申し訳ないけど、常連さんにお願いして他の日を案内するの」

 楽天トラベルでも予約を受けているこの宿、付きっ切りで予約情報を確認する訳にもいかず、たまに電話予約と鉢合ってしまうそうだ。
 事情を知っている常連客はそれでも怒らないという。 

 この気さくで飾らない女将さんのお人柄に帰趣を感じ、楽天トラベルの口コミ評価「4.77」をたたき出す要因になっているのだろう。

 案内された和室は一人には十分すぎる広さ。荷物を置きすぐに源泉へと向かう。浴室は1階なので一度宿を出て、階段を降りて向かう。
 扉を開けると脱衣所に充満する石膏臭。浴室には1~2人用の加温浴槽と、それをL字に囲う形の源泉浴槽。もちろん、完全貸切だ。

 夜は22時まで、朝は7時から。夜間に完全環水清掃するそうだ。今回はお会いしなかったが、風呂掃除はご主人の仕事とのこと。
 これが一旦夏の湯治最後の源泉。かけ湯の時点で昇天寸前の温さだ、泉温は32.5度。これは本湯治旅の中でも最も温い。
 浴縁に固形化した白い塊が付着している。これは湯の成分の石膏が結晶化したもの、塩類系の温泉に時折見られるものだ。浴底には小さい穴が開いており、下から湯が結構な勢いで上がっている。
 滝のように浴槽からオーバーフローする源泉。毎分湧出量は約100ℓ。潤沢過ぎる湯量、実は半分は使用せずに川に流してしまっているそうだ。

 芳香な石膏臭と温湯ならではの泡付きに包まれ暫し時間を忘れる。文句のつけようのない無双の一湯がラストダイブとなった。
 だが、例によって温湯と知らずに来る方は”ぬるい!”と怒ってしまうらしい。


 長湯をしている間に加温浴槽で湯温調整。蛇口を捻り加温源泉を湯に流す。源泉とブレンドし、42度に調整した。上がり湯で身体を温め昼浴は終了。仕事を片付けたら今度は夕食の時間。

 この宿は料理の評価も上々だ。キッチンからはずっと調理の音が聞こえていた。 ”私一人のために作ってくれてるのか”  と思うと俄然食欲が湧く。
 食事は隣の部屋へ。高級旅館で出てきても何の違和感もない夕食。山の物が中心でどれも女将さんの手作りだ。長引く闘病の中で食は細くなったが、全て美味しくいただいた。そしてまた、永遠と湯に浸かる。
  
 
 チェックアウトの10時を迎える。この旅を象徴するような曇天に覆われた。夏湯治の約2週間、一日も例外なく雨が降った。だが気圧の関係だろうか、都会にいるときの様な偏頭痛は起きなかった。
 
 帳場で会計、この宿は消費税入湯税を含めても8千円を超えない。
女将 「では、足元お気を付けて。またお越しください」
私  「ええ。お世話になりました。それではまた」
 (でも、来たくても予約が取れませんよ。こんなコスパの良い宿、他にはありませんから)
 
 こうして、夏湯治は幕を下ろした。
                         
                           令和3年7月4日

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