源泉回顧録【伊豆半島周遊③ 感動 つげ義春の宿 山光荘】
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土肥温泉の宿では残念ながらかけ流しに出会えず少々落胆。だが次は大丈夫、”あの方” の書に登場する宿だから、間違いなくかけ流し。
温泉に限った話ではないだろうが、ネットで簡単に手に入る情報はやはり脆い。書籍の方が安定して良泉に辿り着けるのは、経験上動かざる事実。
その中でも取り分け信頼度が高い人物がいる。温泉好きにとっては教祖の様な存在であり、著書「貧困旅行記」はバイブルでもある。
「つげ義春」氏(83歳)。
昭和40年代前半に『ガロ』という漫画雑誌でブレイクし、その前衛的かつシュールな作風は漫画界に留まらず、多くの文化人に多大な影響を与えたとされる。
代表作である「ねじ式」「ゲンセンカン主人」が発表されて半世紀が経つ。2020年にフランスで開催された欧州最大の漫画の祭典、アングレーム国際漫画祭(通称漫画界のカンヌ)で特別栄誉賞を受賞。
ボルドーの出版社を主宰する辣腕漫画編集者が、日本の古本屋で出会ったつげ作品に衝撃を受け、10年の歳月をかけてようやく翻訳、出版に至ったのが2019年だという。
私がつげ作品を手に取るようになったのは5~6年前か。何故か秘湯と呼ばれる温泉や、少々ボロイ宿に宿泊すると、本棚に並んでいた。初めて目にした作品「ねじ式」に衝撃を受け、貪る様に読み漁った。
短編のみなので旅先でも読みやすく、同じ作品を何度も繰り返し拝読。Ebookでダウンロードしたり、本も購入。何十回も読んだはずなのに、今でもボロ宿で作品を見つけると最初に手が伸びる。
つげ氏は温泉を愛し、特にオンボロ、激安宿を好んだ。それは漫画家としてブレイクし名声を得た後も変わらなかったようだ。漫画家引退後には貧困旅行記(平成3年)という紀行文も執筆しているほど。
井伏鱒二氏の影響を受け日本中を旅するようになり、人気絶頂期の作品にも温泉地を題材としたものも多い。旅館名は偽名だが、その情景や建物の造りから特定ができる。
「二岐渓谷(二岐温泉)」、「オンドル小屋(蒸ノ湯温泉)」、「ゲンセンカン主人(湯宿温泉)」などなど。
既に改装されてしまった旅館もあるが。根強いつげファンが今尚訪れ、当時の形を残している宿も多い。彼の足跡を追って地雷(循環消毒液使用)を踏むことはまずない。
伊豆に出て3日目、伊豆半島最西端『花とロマンの里』松崎町に降り立った。温泉があるとは思えない港町だが、ここにはつげ氏の作品『長八の宿』のモデルとなった宿が残されている。
「長八の宿 山光荘」(※作中では海風荘となっている)。
到着15時。入口の外観は50年前の作中の物と全く同じだ。重たい戸を開けるとご高齢の御婆さんが迎えてくれた。まさか、、
「予約のヨシタカです。つげさんの作品を見て参りました」、素直にそう伝えた。つげ氏がこの宿を訪ねたのは昭和42年、当時の若女将が今も御存命であることは知っていた。
「そうですか ではこちらへ」
廊下を案内され応接間のような小部屋に通された。そこはつげ氏の展示室となっており、ショーケースの中に御本人から送られてきた年賀状や古書が並べられていた。この日の客は私しかいなかったようで、暫く大女将と会話することができた。
私 「あの、つげさん御本人にはお会いされたことはあるのですか?」
大女将 「昭和42年の夏、お見えになられたようです。私が案内をしたのですがその時は誰だかさっぱり分かりませんでした」。
「以前ここは酒蔵でした。旅館を開業したのはその前年、素人同然で集客にも苦労しているときにお越しになられたようです」
「ある時出版社から送られてきた漫画雑誌に当館が出ていて驚きました。そのころ、漫画は不良が見るもの、と教えられていた時代です。」
『長八の宿』が世に出たのは宿泊から半年後。つげブームが来るのはさらにその後。作中に登場する女将さん(※フィクションだが)、数年前の朝日新聞の記事を確認すると93歳。現在は95歳を超えている。
作品発表後全国からファンが押し寄せ、一度お礼をしたいと昭和58年に飛び来みでつげ氏の自宅を訪れたのだという。住所が分からず、青林堂(出版社)の伝で何とか探し当て訪問したらしい。会えるかどうかも分からず、アポなしで自宅まで行くとは凄い行動力だ。
つげ氏は流石に驚き、内心「許可も取らずに掲載したことを怒られるのでは?」と思ったそうだ。そして、会計時にロビーで顔を合わせた女将の美貌に卒倒しそうになったと後に記している。
今日でも交流が続いており、最近は温泉に行く元気がないことを漏らしていたようだ。
作中に登場する部屋『長八の間』、も現存されており宿泊も可能。他の部屋より高額なので流石に見送ったが、見学することができた。
今でも根強いファンはこの部屋を指定で宿泊するという。江戸時代末期から明治にかけて活躍した名工、入江長八が残したなまこ壁やこて絵を拝覧(正直あまりそのジャンルには造詣はない)。
夕刻からはかけ流しの源泉を独泉でいただいた。こちらも作中に登場する岩風呂の浴場そのまま。一切手が加わっていない100%かけ流し、石膏臭漂う硫酸塩泉は湯冷めすることなく、“西伊豆にもこんな素晴らしい湯があるのか” と再考するには十分すぎるほど。
この旅唯一の2食付き。漁師町の松崎、西伊豆の魚が美味かった。
築200年もの歴史を持つ宿は、好みを選ぶかもしれないが、年季の入った宿はやはり落ち着く。
翌朝、支払いを終えるとサプライズが。作中にも登場し、ストーリーの肝にもなる旅館のパンフレット。そのレプリカを拝受。(※作品はフィクション。女中さん2人が岩風呂に入浴している写真がパンフレットに掲載。写真を見られるのが恥ずかしいとお蔵入りにするシーンが描かれている)。
これはつげファンにだけ渡しているものだという。55年前の旅館のパンフレット。1泊2食付1,000円とある。その当時の貨幣価値として勘案しても、かなり良心的な宿だったのだろう。
建て替えや改装が進みゆくつげ作品登場宿。
どうか、そのままで。
令和3年春



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