難病営業マンの温泉治療㉜【感謝!最高の湯治宿 高東旅館】
<前回はこちら>
過去最長となる15泊の逗留。お世話になった高東旅館とも暫しのお別れ。ここを去る時の愛惜は他の旅館では味わえない特別なものだ。ほぼ居候、ホームステイに近い生活。思い残すことがないよう、最後の交流を楽しんだ。
最終日の前日、1週間一緒だった八王子からバイクで来ているというおじさんにも、明日の朝ここを発つことを告げた。この方も同日に発つそうだ。彼は言った。
「やはりこの宿が長期滞在には一番良いですね」
2週間の滞在中、十数組の人とここで出会った。初訪という方は一組、それ以外は全員リピーターだった。多くを話すことが出来なかった方がほとんどだが、私も含め皆の総意だろう。
途中悪天候が続いた時は体調が不安定だったが、ここでの滞在期間PTSDは完全に抑え込んだ。不定期で訪れる手足の末端の冷え、不整脈もここでは起こらなかった。
全身痛からベッドレスト状態になり、壮絶な希死念慮と戦い一側聾状態だったのは2か月前。その間ずっと処方され服用を続けた安定剤と痛み止めは、ここに来てからは飲んでいない。
紀元前のヨーロッパ、ディアン・ケヒト(※医療の神)の神話の中では、死者を温泉に放り込むと生き返るという挿話が記されている。紀元前から湯治が行われていたことを示す有名なエピソード。まさに私はここでの湯治で蘇生したようだ。
できることならいくらでも延泊したかったがそうもいかない。ずっと、離れられなくなりそうな気がした。
すっかり遊び相手と認知されてしまったご主人のお孫さん、夕刻になると庭(駐車場)で自転車の練習をしている。いつものように話しかけられた。車に詳しい少年。土曜とあり数台の車が並んでいた。
私 「この車何か知ってる?」
子供 「ホンダ」
私 「これは?」
子供 「トヨタ」
私 「凄いね。じゃあこの数字は読めるかな?(愛車のナンバープレート指す)」
子供 「イチ・イチ・二・ロク」
私 「そう、イ・イ・フ・ロ」
「君が毎日入っているお風呂は凄いんだよ」
「おじいちゃんとおばあちゃんはお医者さんなんだ」
「怪我とか病気も直してくれるんだよ、だから毎日感謝しなきゃだめだよ」
4歳の彼には、まだこの意味は分からないだろう。現館主が5代目、この子供は7代目になる。廃業、身売りが後を絶たない鳴子温泉。先々は分からないが、これほど湯治客に愛される宿、きっと長く続いてくれるだろう。
彼が帳場に立つ日は恐らく数十年先、病臥にのたうち回り、悶絶躄地の状態でここへと向かう私を、歓待してくれる日が来ることを祈ろう。
最後の晩餐、配膳してくれた女将さん。
”寂しくなるわね” という一言に落涙しそうになる。この米を食べれるのはあと2食。毎日作り続けた野菜炒め、持ち歩ける調味料も限られているため、もやしメインの大体同じメニューだった。料理の腕もいくらか上達したか。
これから湯治場を数カ所経由して自宅へ戻る。恐らく毎食レトルトご飯になるだろう。炊き立ての一等米、一粒と残さずいただいた。
晩湯の後はまたお孫さんとの接触。
「明日帰るんだよ また来るからね いい子にしててね」
いつもなら5分ほどで終わるが今日はなかなか戻ってくれない。しばらくするとご主人が迎えに来て抱えられるように連れて行った。ご主人は最後に、「知恵と勇気」という言葉を授けてくれた。
翌朝、この旅を象徴するような曇天。最初のレイアウトを忘れるほど自分の生活様式にカスタマイズされた部屋。掃除やら車への荷積みなど1時間以上に及んだ。
会計を済ませ、ご主人と女将さんに見送られる。
「どうかお元気で 次は秋口にも参ります お世話になりました」
玄関を出ると足止めするように一気に土砂降りとなった。先に会計を済ませていた八王子ナンバーのおじさんと二人で立ち往生となった。
私 「まだ帰るなってことですかね」
男性 「余程未練があるようですね」
待つこと10分。一瞬弱まった雨脚を確認し、二人で宿を発った。
私はまたこの宿を訪れるだろう。それは恰も毎年同時期に帰って来る渡り鳥のようにーーー
令和3年5月30日

<次回はこちら>
いいなと思ったら応援しよう!
宜しければサポートお願いいたします!!