源泉回顧録【群馬県霧積温泉】
※この記事は2020年6月に執筆した日記を加筆修正したものです。
えらい目に合った。未曽有の疫病大流行。GWに予定していた長野での湯治は全てキャンセルに。雪解けのこの時期、旅をするには通年で一番良い時期だ。甲信越から東北にかけて、山の宿の多くは11月から4月下旬までは閉館。大型連休に合わせるように、冬眠から目覚めるべく営業再開する。
7月前には梅雨に入り、それが去ると雨後の筍のようにカメムシとアブが大量発生する。虫がいなくなったかと思えば、こんどは台風が到来する。
老婆心だが危惧していたのは秘湯宿の倒館。ただでさえ苦しい経営状況に拍車をかける外出自粛令。毎日のように秘湯を守る会のサイトを覗き、宿の再開状況をチェック。
不幸中の幸い、冬季休業時期と自粛のピーク時期が重なり、山の宿の多くは5月に入ると徐々に営業再開しているようだった。不謹慎だがこの流行があと数か月ずれていたら・・・想像しただけで肝を冷やした。
他人のことばかりを心配してはいられない。温泉のない生活、慣れないテレワークは全身痛と不眠症を悪化させた。寝・座・歩、どの姿勢を取っても強烈に痛む身体。特に首と背中は鉛と化し、導入剤で眠りについても1時間で目が覚める。こんな状況で、いつまで身体が持つことやら。
待ちわびた緊急事態宣言の解除。自粛期間中も源泉のことは片時も頭を離れなかった。衰残のこのボディに最も効く温泉、、
そうだ、解禁となればまずあそこに行こう。3か月ぶりの温泉、電波から逃れ、リウマチ体質に最適な温湯を目指して。
向かう先は群馬県「霧積温泉 金湯館」。
伊藤博文や勝海舟といった政治家を筆頭に、与謝野晶子や「青い山脈」で知られる西条八十等の歌人にも愛さたこの地。明治の後期には栄華を誇り4件の宿と50~60にも及ぶ別荘地があったそうだ。山津波に合い金湯館だけが奇跡的に残ったのだという。
また霧積を全国区に知らしめたのが、推理作家森村誠一氏の書、「人間の証明」。森村氏は学生時分にこの地を訪れ、西條八十の「僕の帽子」という詩に出会い大変気に入ったという。本詩を元に、こちら金湯館にて、霧積温泉を舞台にした書を執筆している。
上信越松井田妙義を超え、駅弁”峠の釜めし”で知られる「おぎのや」を通過する。高速を降りて30分、金湯館駐車場へ到着した。自家用車が入れるのも、また電波が入るのもここまで。
ここからは旅館までは登山道となる。旅館に頼めば迂回路で送迎をしてもらえる。だが久々の山の空気、運動不足の解消にと登山を選んだ。これが存外にハードな山道。
他の客がトレッキングスタイルで登山する中、たかが数十分の登山とジーパンとスニーカーで挑んでいた。10分程で全身痛が襲い足が縺れる。次々と後客に抜かれ、無駄にカバンに積んだペットボトルやノートPCの重みが応える。
臥薪嘗胆の思いで歩くこと45分、森の奥に宿らしき建物が見えた。小川にかかる赤い橋の向こうに大正17年建築の木造旅館が。
「これが金湯館か」
苦労を伴っての到館、喜びよりも安堵が先立つ。
ご主人に導かれ部屋まで廊下を歩く。さすがは築100年超、ギシギシと建物が軋む音が響き渡る。歴史を感じる館内、旅趣を堪能する。館内の案内を一通り済ませたご主人は部屋を出て行った。
そういえば、外鍵をもらっていない。ここでは湯治場スタイルで鍵が掛からないそうだ。
部屋で休むこと数分、呼吸が落ち着いたところで早速源泉へ。毎分300ℓの湯量を誇る源泉に比して、浴槽は小さな内湯が一つだけ。何とも贅沢な湯遣いだ。宿の方針で露天風呂は作らないらしい。湯に自信があるからこそだろう。
39度の湯に浸かると治療開始を告げるかのように全身に泡が付き始める。体内の毛細血管の1本1本に源泉が染みわたるようだ。閉眼して源泉をしみじみと味わう。
入り始め5分、少々厄介な客に絡まれた。高崎から湯治に来ているという自称作詞家を名乗る78歳の男性。浴場は声が籠り何を言っているかほぼ分からないが、どうやら去年やっと1枚のCDを出したのだという。
適当に相槌を打っていると、老父は突然浴場を去ってしまった。やっと一人になったと思ったその数分後、なんとおじいさんは部屋から自前のCDを持参し、湯に浸かっている私にそれを渡してきた。
ジャケットには見たこともない女性の見返り姿がワンショットで映っている。明らかに自主制作だ。この曲の作詞をしたのだと誇らしげに語る。話が終わりそうにない。
とりあえず「ありがとうございます」と答え、CDを受け取り早々に湯から出た。なかなか強烈な珍客だった。
その後就寝まで1時間を数セットの拝湯。日本屈指の泡付き湯、不感温度の湯は素晴らしかった。湯圧と温熱効果で滞っていた血流がみるみる回復していく。美肌の湯と呼ばれる硫酸塩泉は、湯から出た後も温まりが良い。
およそ3か月の沈黙を破っての源泉、改めて温泉がある国に生まれたことを感謝。
翌朝、この宿もう一つの名物がある。それは「おにぎり弁当」。
拳大のおにぎりと漬物が添えられているだけの質素な弁当だが、これこそが森村誠一氏が学生時代に食べたとされるもの。
森村氏は鼻曲山への登山に出かけ、途中この弁当を食した。弁当の包紙に西條八十氏の「僕の帽子」が印字されており、強い感動を覚えたという。それから20年後、推理作家として活動を始めた時に思い出したのがこの包装紙。この詩をモチーフに人間の証明を書き上げたそうだ。
現在も具材は勿論、包み紙まで当時のまま。ハイカーたちは宿で朝食を済ませ、弁当を持って登山に向かうそうだ。
私は節約のために朝食抜きのプランだったが、宿の方に頼むと朝方に弁当を作ってくれた。握り拳大のおにぎりが2つ、海苔に巻かれたものと胡麻が振られたもの、具材は梅干しだった。やはり一人旅には粗食が良く合う。
包み紙も大切な思い出、大事に取っておこう。さて、おじいさんからもらったCDは、はてさてどうしよう、、


令和2年6月16日
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