見出し画像

シロクマ文芸部|ほどける残響

金魚玉を巨大にしたようなアートアクアリウムを恋人の空斗クウトと見にいった。ガラスの水槽のなかで金魚たちがネオンのような照明に乱反射して、世界が反転したみたいと思った。そのとき突然、

ジ、
 ジ、
  ジ

という音が、空斗から聴こえた。

わたしは最初、エアーポンプの残響だと思い込んでいたのだけれど、違った。それは音というより、耳にまとわりついて離れない彼の周波数のようなものだと気づいた。

“ジジジ” は実に奇妙だった。
空斗と一緒に本を読んでいるときも、映画を観ている最中も、休みなく感じるのに決して目に見えないのにいつもある。そういうのは人の吸引力とかオーラとか言うのかも知れないけれど、なんでもいい。わたしは、ゆらゆらと泳ぐ金魚が撒き散らした夏の粒子みたいなものだと思うようにした。

不快なのかと問われるとそうではなかった。
彼から聴こえてくるラジオ波のような “ジジジ” のノイズは、あまりにも広い宇宙に戸惑い、さんざん彷徨った末、やっとわたしに辿り着いて安堵しているようにすら感じるのだ。

ある夜、耳もとでジジジ、となった。
空斗がそばにいないのにおかしい。
なにかあると直感して、ライトを消し横になって耳を澄ました。
すると脳内スクリーンが現れ、夢の輪郭がぼんやりとやってきた。わたしは目を閉じ、眉間に意識を集中させた。

浮かんでくる淡い映像が壊れないよう、そっと手繰りよせる。薄い膜のような夢の欠片はほんのすこしの揺れでも散ってしまうから、そっと。

スクリーンに赤いワンピースを着たわたしの後ろ姿が見えた。人混みでごった返した夜の街だった。街路樹にイルミネーションが点灯されていて、わたしは空斗とふたりで放心したように歩き続けていた。

イルミネーションの明かりはどんどん鮮やかになった。ショーウィンドウが並ぶ歩道にたくさんの人がゆらゆらと動いてゆくさまは、海に回遊する熱帯魚の群れみたいだ。

夢のなかの光を呼吸するごとに躰から力が抜けていく。わたしも彼もまわりの歩行者も眩しいネオンの下を彷徨っている。
奇妙なことに、こんなに混雑している場所で音がまったく聴こえなかった。信号機や車のエンジン音も消滅している。

わたしは切ないような怖いような感情がこみ上げてきた。隣で歩く彼が、
「ワンピース、キレイだね」
わたしを抱き寄せ、耳に唇をつける。彼の声以外なにも聴こえない。

前後の時間感覚が消え、ふたりの存在だけドーム状に切り取られたガラスに覆われているような気がした。
空斗の顔を伺うと、どこにも焦点の合わない、とろんとした眼差しをしている。わたしたちはそのまま人の流れに沿ってますます混雑する交差点のほうに手をつないで進んでいった。

絡ませている指が人ごみに引っ張られて離れそうになる。わたしは必死につないでいる手に力を入れて歩きつづける。
大通りの信号を渡ろうとする人と、逆方向へ進もうとする人とがぶつかりあって黒い渦ができている。流れに抵抗することができず、ふたりでその渦のなかに入って行く。大勢の人の波に肩がぶつかる。息が詰まる。

人混みを避けようとわたしは左へ行き、空斗は右に避けながら先を進もうとする。つないでいる手と腕がじわじわ引き延ばされる。ダメ。行かないで。
指と指がほどけてしまいそうでこわい。待って。

そのとき、渦巻く人混みから逆行して歩いてきたひとりの男の躰がわたしたちの間に当たり、つながっていた人差し指を弾いた。チェーンの輪が外されるように指がほどけた。

ジ、
 ジ、
  ジ
   
驚いて立ち止まると、空斗がわたしから離れ、濁流のような人の渦に押し流されてゆくのが見えた。
どんどん離れてゆく。ぬいぐるみが川に流されてゆくのを対岸で眺めているような哀しさに襲われ、動けなくなる。

交差点の渦の真ん中に、先ほどぶつかってきた男が突っ立ってこちらを見ていた。目が合った。
驚いて叫びそうになった。空斗だった。


枕もとのスマートフォンが鳴り、目覚めた。
全身がほてっていた。覚醒した細胞の一つ一つが、これから起こることを待ち構えているように蠢きながら、空斗からの着信ボタンをタップした。


#シロクマ文芸部 に参加させていただきました。


いいなと思ったら応援しよう!

冬至ハク  応援ありがとうございます✨ ZINE制作や創作活動に使わせていただきます✨

この記事が参加している募集