見出し画像

シロクマ文芸部|1/250秒の肖像

窓を開けたら世界が終わっていた。あなたはたったひとり地球に取り残された。──このイメージを強く描いてカメラの方に振り向いてください。

窓辺に被写体を立たせてボクがこう指示すると、かなりの確率で印象的なポートレイトが撮れる。決して本人でも目にすることのできない「無」の表情だ。「無」は人間の根源に潜む孤独に導いて、そのひとのあらゆる部分を晒してしまう。

それぞれが抱える記憶の沼の交差から抜け出す瞬間を、まばたきと同じ1/250秒のシャッタースピードで記録するのがボクの仕事だ。

「これがわたし?」
撮られたひとは驚き、新しい自分に出逢う。

「無」のポートレイトがとてつもなく魅力的なのは、誰もが本能レベルでそれを求めているからだと想う。
“作りこまない素の表情” などという、大衆が認める“素顔らしさ”よりもずっと剥き出しで、生命の源泉の瞬間からこれまでがたった1/250秒の一枚に凝縮され、ダイナミックに渦巻いているのだ。

〈祝福〉という言葉を残したのは小説家だった。

ボクはいつものように取材場所の窓辺に立ってもらい、『窓を開けたら世界が終わっていた…… 』と彼女に投げかけ、ファインダーを構えた。
彼女が世界の破滅のイメージから振り向いたとき、メディア用の表情はすっかり消え、まだ誰も見たことのない「無」を晒し出していた。
ボクは息を止め、1/250秒に収めた。

ポートレイトは社会の窓を解き放ち、風通しをよくする役目がある。彼女は二十代で執筆の世界に入り作品を評価され、メディアやSNSで憧れの小説家としてそのポジションを生きてきたのだろう。でも、その窓は曇っていたのかも知れない。

彼女にポートレイトを見せると、照れたように目を細めたあと「やっぱりね」と苦笑した。
なにがですか? 訊いた方がいい気がして返すと彼女は、
──嘘のない顔してる。
1/250秒の自分を見つめ、続けた。

──わたし、正直になることが怖かったんです。

小説に求められるものはなにか? ずっと考えてきました。
物語やエンターテイメントが現代人の心を救うだなんて、烏滸おこがましいってふりをしていました。

本当は、ひとを幸せにすること、助けること、救うこと……そういうの興味がないんです。小説でひとを救うとか幸せにするとか、わたしにはさっぱりわからないんです、ごめんなさいって。でも言えなかった。

彼女は、ぽつりぽつり、丁寧に話した。窓越しの柔らかい逆光が白い頬にまつ毛の影を落としていた。

──世間的な成功や幸せのイメージに沿って物語りで問題解決をすることが商業的にうまくいきやすいことは経験でわかっていました。
そうやって書くこともどんどん上手になっていたんです。売れるから。
その現実を捨てるのが怖かったかもしれません。

気がついたとき、わたし自身が社会的に未熟で、わからずやで変なこだわりがある人間だから仕方ないなって思っていました。

だから、小説でひとを救うことがわからないっていう本音を無視して、無理にでも問題を見つけて、なんとかそこに結びつけて物語にしていたこともありました。でも、やっぱりダメだった。

わたしが小説で伝えたいのは、誰もがすでに救われている`````````と言うことなんです。

例え、たったひとり地球に取り残されたとしても、本当は、みんな、いつでも赦されている。存在のなにもかもが祝福されている。

そのとき幸せであってもそうでなくても、どんな感情も味わう権利が与えられている。
幸せも、成功も、救いも、失敗も、悲しみや絶望ですら、いつだってそれを自ら体験する選択が持てる。
それがどれほど豊かなことか忘れているだけなんです。

だから安心して、今、その時を、どうぞ味わってくださいと誠実に伝えるためにわたしは小説を書いているんだって、自分の写真を見て思い出しました。

彼女は一気に話すと、ありがとうと屈託のない笑顔をボクによこした。窓の外に咲くミモザの黄色い花が鮮やかに揺れていた。

──だって、来世ライセイは出逢えないかもしれないんだし。

彼女を見れば、いかに遠い場所を旅していたかがわかった。
脳内の密林で迷い、細胞の海に潜って、DNAの螺旋をどこまでもたどった果てから、ようやくこちらの世界へ戻ってきた満ち足りた顔。

ひとが本来自分の所有物であるはずの「無」を、あっけなく人目にさらしてしまうとき、何億分の一の受精競争を経て奇跡的に生まれ、今、ここで誰かやなにかと出逢っている。自分はその奇跡を祝福されている存在なのだと気づく。そんな生命の一滴を1/250秒に残したいとボクは想う。



#シロクマ文芸部 『窓を開け』からはじまるお遊び企画  1857字

参加させていただきました。


いいなと思ったら応援しよう!

冬至ハク  応援ありがとうございます✨ ZINE制作や創作活動に使わせていただきます✨