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【世界のオンチェーンプロジェクト File.004】Project Agorá

国境を越える銀行決済を「一つの取引」にできるか

商業銀行預金と中央銀行マネーを、同じプログラマブル基盤で動かす理由

最終更新:2026年8月

前回取り上げたSwift Ledgerでは、各銀行が自行のトークン化預金を管理し、Swiftの共有台帳が銀行間の支払コミットメントを同期します。

顧客向けの資金移動は24時間処理できますが、銀行間の最終決済にはRTGS、コルレス口座など既存の仕組みが使われます。

つまりSwiftは、

預金は各銀行、状態同期は共有台帳、最終決済は既存レール

という構造でした。

Project Agoráは、ここからさらに一歩踏み込みます。

商業銀行が発行する預金だけでなく、中央銀行が発行する準備預金もトークン化し、複数通貨の支払いを、一つのプログラマブルな取引として決済します。

その目標は、

国境、通貨、銀行、中央銀行をまたぐ複数の残高更新を、「すべて成立するか、すべて成立しないか」で実行する

ことです。

2026年5月、BISはProject Agoráのプロトタイプが完成し、トークン化商業銀行預金とトークン化中央銀行準備を組み合わせた、多通貨のアトミック決済が技術的に可能であることを確認したと発表しました。


Project Card

正式名称
Project Agorá

名称の意味
Agoráはギリシャ語で「市場」を意味する

主催者
Bank for International Settlements:BIS
Institute of International Finance:IIF

開始時期
2024年4月

プロトタイプ参加中央銀行

  • Banque de France:ユーロシステム代表

  • 日本銀行

  • 韓国銀行

  • メキシコ銀行

  • スイス国立銀行

  • ニューヨーク連邦準備銀行

  • イングランド銀行

民間参加者
銀行、決済事業者、金融市場インフラなど40社超

対象取引
法人・金融機関によるホールセール・クロスボーダー決済

対象となるマネー

  • トークン化商業銀行預金

  • トークン化中央銀行準備

現在の段階
プロトタイプ完成・利用者テスト実施済み
次段階として、一部の通貨・参加者による実価値取引を予定

プロトタイプには7中央銀行と40社超の規制金融機関が参加しました。2026年5月の成果公表後、カナダ銀行も次段階への参加を表明しており、Project Agoráは8中央銀行を含む枠組みへ拡大しています。


Agoráはコルレス銀行をなくす計画ではない

Project Agoráについては、「BISが世界共通の決済台帳を作るプロジェクト」と説明されることがあります。

しかし、これは正確ではありません。

Agoráは、現在のコルレス銀行モデルを全面的に廃止するのではなく、コルレス銀行関係を維持しながら、その処理を共有プラットフォーム上で再構成するプロジェクトです。

現在のクロスボーダー決済では、送金銀行、中継銀行、外国為替を行う銀行、受取銀行が、それぞれ別のシステムと帳簿を持っています。

一つの送金でも、

  • 受取人の確認

  • 送金経路の選択

  • 制裁・AML確認

  • 外国為替レートの決定

  • 各銀行の資金確保

  • 商業銀行預金の増減

  • 中央銀行当座預金の決済

  • 各システム間の照合

が、複数の場所で順番に実行されます。

その結果、処理時間、照会、手作業、流動性の滞留、決済失敗が発生します。

Agoráは、コルレス銀行を排除するのではなく、これらの処理を一つのプログラマブルなワークフローに組み替えます。BISの報告書も、コルレス銀行をグローバル決済の基盤として維持しつつ、新技術によってその性能を改善する設計だと明記しています。


一つの世界共通台帳ではない

Project Agoráのアーキテクチャで最も重要なのは、二層構造です。

第1層|Unifying Layer

Unifying Layerは、複数国の金融機関が取引を調整する共通層です。

プロトタイプでは、この層のUnifying Ledgerに、各商業銀行が発行するトークン化預金が記録されます。

例えば、

  • A銀行のドル預金

  • B銀行のユーロ預金

  • C銀行の円預金

は、同じ通貨であっても異なる銀行に対する預金債権です。

Unifying Ledgerは、それらを一つの共通通貨へ統合するのではなく、発行銀行の違いを維持したまま、同じ取引ワークフローの中で利用できるようにします。

第2層|Jurisdictional Layer

中央銀行準備は、各国・通貨ごとのJurisdictional Ledgerに記録されます。

  • 日本円の中央銀行準備は日本の台帳

  • ユーロの中央銀行準備はユーロ圏の台帳

  • 米ドルの中央銀行準備は米国の台帳

というように、中央銀行は自国通貨の発行、参加資格、運用、規制に対する統制を維持します。

二つの層は独立して動きながら、Payment Coordinatorと呼ばれる調整機能によって、一つの支払いとして同期されます。

この構造により、Agoráは共通プラットフォームを利用しながらも、各中央銀行の通貨主権と国内制度を維持します。なお、商業銀行預金をUnifying Ledgerに置く構成はプロトタイプ上の設計選択であり、将来の実装を固定するものではありません。


なぜ中央銀行マネーまでトークン化するのか

A銀行の預金とB銀行の預金は、どちらも円建てであっても、法的には異なる銀行の負債です。

A銀行の顧客からB銀行の顧客へ支払う場合、顧客の預金を付け替えるだけでは取引は終わりません。

A銀行とB銀行の間でも、中央銀行当座預金などを使って最終決済する必要があります。

従来のシステムでは、

  1. 顧客間の支払指図を処理する

  2. 各銀行の預金を記帳する

  3. 銀行間債権・債務を形成する

  4. 中央銀行マネーで最終決済する

という処理が異なるシステムと時間帯で行われます。

Agoráは、商業銀行預金と中央銀行準備の両方をプログラマブルな記録として扱います。

これにより、

  • 送金側顧客の預金を減らす

  • 中継銀行間の預金を移転する

  • 外国為替の両通貨を交換する

  • 中央銀行準備を移転する

  • 受取側顧客の預金を増やす

という複数の処理を、一つの条件付き取引として調整できます。

中央銀行マネーを同じ取引構造へ組み込む理由は、銀行間決済の安全性とファイナリティを保ったまま、商業銀行預金のプログラマビリティを利用するためです。これはBISが重視する、中央銀行マネーをアンカーとする二層型銀行制度を、トークン化環境でも維持する考え方です。


一つの支払いは、5段階で進む

Agoráの支払処理は、次の5段階に分かれます。

Step 1|Confirmation of Payee

最初に、受取人の名称や口座情報が、受取銀行の情報と一致するかを確認します。

これにより、誤送金や不正送金のリスクを低減します。

確認結果として必要な最小限の情報だけが次の処理へ渡され、顧客情報そのものを参加者全体で共有するわけではありません。

Step 2|Path Discovery

次に、送金銀行から受取銀行まで、どの金融機関を経由するかを決定します。

現在のコルレス銀行取引では、送金開始時点で最終的な経路が完全に分からない場合があります。

AgoráのPath Discovery Mechanismは、各銀行のコルレス関係、通貨、参加資格、社内ルールを確認しながら、利用可能な経路を探します。

経路探索は共有台帳上で全面公開されるのではなく、銀行間の1対1のプライベートメッセージによって行われます。各銀行は自行の経路選択ロジックや取引条件を他行へ公開する必要がありません。

Step 3|Validation

決済を開始する前に、各金融機関が必要な確認を行います。

  • AML/CFT

  • 制裁リスト

  • 詐欺・不正検知

  • 送金人・受取人情報

  • 資金残高

  • 外国為替レート

  • 取引限度額

  • コルレス契約

各機関は自行の環境で独立して確認を実施し、共有するのは原則として「合格」「不合格」「追加情報が必要」といった処理結果です。

重要なのは、これらの確認を資金を動かす前に完了させることです。

現在の決済では、資金を送った後で情報不備や制裁確認の問題が発覚し、組戻しや照会が発生することがあります。

Agoráは、情報の確認と資金移動を分離し、必要な確認が終わってから流動性を拘束します。

Step 4|Locking

すべての確認が完了すると、各取引参加者が必要な残高をロックします。

  • 商業銀行預金

  • 中央銀行準備

  • 外国為替の両通貨

  • 中継銀行が使用する残高

を、それぞれの台帳で一時的に移転不能な状態にします。

ここで残高が確保されなければ、取引は決済段階へ進みません。

Step 5|Atomic Settlement

必要な残高がすべてロックされると、Payment Coordinatorが各台帳へ最終的な処理結果を伝えます。

すべての台帳で残高更新が実行できる場合は、全取引を決済します。

一つでも実行できない場合は、すべての残高更新を行いません。

これがアトミック決済です。

一部だけ成立する状態を作らない

ことが、Agoráの中心的な機能です。

プロトタイプでは、複数通貨・複数法域の商業銀行預金と中央銀行準備について、全残高更新を一括して成立させるか、すべて不成立にする処理が実現されました。


外国為替も「二つの送金」ではなくなる

クロスカレンシー決済では、一つの取引に二つの通貨が存在します。

例えば円をドルへ交換する場合、

  • 円の支払い

  • ドルの支払い

の両方が必要です。

一方だけが成立してもう一方が成立しなければ、元本リスクが発生します。

Agoráでは、二つの支払いをPayment versus Payment:PvPとして組み合わせます。

円側とドル側の残高をそれぞれロックし、両方の移転を一つのアトミックな取引として実行します。

これにより、

  • 円だけ支払われる

  • ドルだけ支払われる

という状態を防ぎます。

Agoráは特定の外国為替市場や価格提供者を作るものではありません。外国為替レートや流動性は金融機関が提供し、その結果を支払ワークフローへ組み込む設計です。


「共有台帳」は「全データ共有」ではない

金融機関が共通基盤を利用する場合、問題になるのがデータの機密性です。

銀行は、次のような情報を他の参加者全体へ公開できません。

  • 顧客情報

  • 残高

  • 取引額

  • コルレス関係

  • 送金経路

  • 制裁・AML確認の詳細

  • 自行のリスク判断

  • 外国為替条件

Agoráでは、プライバシーを二つのレベルで制御します。

Token-level Privacy

トークン化預金や中央銀行準備について、残高、顧客情報、保有者情報などの機密情報を隠します。

Transaction-level Privacy

取引に関係する金融機関だけでPrivacy Groupを作り、その取引に必要な情報だけを共有します。

共有台帳に参加する全金融機関が、すべての取引を閲覧できるわけではありません。

BISは、Agoráの結果から、

共有台帳は、データの全面共有を意味しない

と整理しています。


コンプライアンスを一つの機関へ集約しない

Agoráでは、中央の運営者がすべてのAML/CFT判断を行うわけではありません。

各金融機関は、現在と同じように、自らの責任で、

  • 顧客管理

  • AML/CFT

  • 制裁確認

  • 不正検知

  • 取引モニタリング

を実施します。

プラットフォームは、必要な確認がすべて完了したことを検証し、完了していない取引を決済へ進めない役割を担います。

つまり、

判断は各金融機関、進行制御はプラットフォーム

という役割分担です。

プロトタイプには、ISO 20022のCBPR+、LEI、Confirmation of Payeeなどの国際的なデータ標準と実務慣行も組み込まれています。


トークン化しても、預金の法的性質は変わらない

Agoráの重要な成果の一つが、法的分析です。

プロトタイプでは、トークン化預金は従来と同じく商業銀行に対する預金債権であり、トークン化中央銀行準備も中央銀行に対する準備預金として扱われます。

トークン化することで、新しい暗号資産や無記名のデジタル通貨に変わるわけではありません。

銀行と顧客、中央銀行と参加銀行の既存の法的関係を維持しながら、残高の記録と移転処理をプログラマブル基盤へ載せます。

法的分析では、参加した7法域すべてについて決済ファイナリティを成立させることは可能だとされました。

ただし、

  • どの時点で取消不能になるか

  • 台帳記録と既存帳簿の関係

  • プラットフォーム規約

  • 参加者間契約

  • 障害時の処理

  • 準拠法

  • 破綻時の扱い

などは、各国の法制度に合わせて具体化する必要があります。


Agoráが証明したこと

Project Agoráのプロトタイプによって、少なくとも次の点が確認されました。

1.多通貨のアトミック決済は技術的に可能

複数の商業銀行預金と中央銀行準備を、通貨・法域をまたいで同時に更新できます。

2.中央銀行の自律性を維持できる

中央銀行準備を各法域の独立した台帳へ置きながら、共通ワークフローへ接続できます。

3.決済前に情報を整合できる

経路、受取人、コンプライアンス、残高、外国為替条件を、流動性をロックする前に確認できます。

4.共有台帳とプライバシーは両立できる

取引関係者だけが必要な情報を共有し、それ以外の参加者には開示しない構造を作れます。

5.預金と中央銀行準備の法的性質を維持できる

トークン化は、銀行預金や中央銀行準備を別の金融商品へ変えるものではありません。

プロトタイプでは、残高がロックされた後の決済処理は秒単位で完了し、24時間稼働可能な設計も確認されました。


まだ証明されていないこと

Project Agoráは完成した国際決済システムではありません。

BIS Innovation Hubのプロジェクトは、技術的・実務的な実現可能性を確認する実験です。

1.本番規模の性能と耐障害性

世界中の金融機関が利用する場合の、

  • 取引処理能力

  • 可用性

  • 災害対策

  • サイバーセキュリティ

  • ノード障害

  • ソフトウェア更新

  • 業務継続

は、今後の検証が必要です。

2.Unifying Ledgerの運営者

誰が共通層を所有し、運営し、仕様を変更するのかは確定していません。

  • BIS

  • 中央銀行の共同組織

  • 民間コンソーシアム

  • 新しい金融市場インフラ

など、複数の可能性があります。

運営主体の責任、損失分担、参加費用、監督方法も未確定です。報告書でも、Unifying Ledgerのガバナンス、責任、運用モデルはプロトタイプの対象外とされています。

3.流動性節約機能

すべての取引をグロスでアトミック決済すると、参加銀行は多くの流動性を事前に確保する必要があります。

実用化には、

  • キュー管理

  • ネッティング

  • 流動性節約アルゴリズム

  • 日中信用

  • 担保

  • 与信枠

などが必要になる可能性があります。

流動性節約機能は、今回のプロトタイプでは実装の優先対象外でした。

4.既存システムとの完全な接続

銀行勘定系、RTGS、AMLシステム、会計、企業の資金管理システムなどとの本格接続も、限定的な検証にとどまります。

5.商用性

  • 誰が費用を払うのか

  • 現行コルレス銀行より安くなるのか

  • 中継銀行の収益はどう変わるのか

  • 十分な通貨・銀行が参加するか

  • 24時間流動性を確保できるか

は、実価値取引を通じて確認する必要があります。

BISは、ガバナンス、監督、データ管理、サイバーセキュリティ、運用耐性、流動性、既存システムとの接続を、今後の主要検討事項として挙げています。


Swift Ledgerとの違い

Swift LedgerとProject Agoráは、同じクロスボーダー決済の問題に対する、異なる解決方法です。

Swift Ledger

  • トークン化預金は各銀行の台帳に置く

  • Swiftは銀行間コミットメントを同期する

  • 顧客向け資金移動を24時間処理する

  • 銀行間最終決済は既存システムを利用する

  • 現行インフラを維持しながら段階的に拡張する

Project Agorá

  • 商業銀行預金を共通ワークフローへ載せる

  • 中央銀行準備もプログラマブルな記録として扱う

  • 複数の台帳をPayment Coordinatorで同期する

  • 顧客預金と銀行間決済をアトミックに成立させる

  • クロスボーダー決済の処理構造をより深く再設計する

整理すると、

Swiftは、現在の銀行システムを共有台帳でつなぐ。

Agoráは、現在の銀行マネーを維持したまま、決済処理そのものを共有プログラマブル基盤へ組み直す。

Swift型は導入範囲を抑えやすい一方、銀行間最終決済との時間差が残ります。

Agorá型は、その時間差をアトミック決済で解消できますが、中央銀行、商業銀行、法制度、運用ルールを横断した大規模な合意が必要です。


2026年の現在地

2026年5月、Project Agoráは97ページの成果報告書を公表し、プロトタイプ段階を完了しました。

次の段階では、対象となる通貨と金融機関を限定し、実際の価値を移転する取引が検討されます。

カナダ銀行も新たに参加し、民間金融機関の役割を拡大しながら、中央銀行が引き続き支援する方針です。

これは「Agoráが商用稼働する」という意味ではありません。

現在地は、

模擬的なプロトタイプで成立を確認し、実価値パイロットへ進む段階

です。

技術的に可能であることは示されました。

次に問われるのは、法的・運用的・経済的に継続できるかです。


Project Agoráが示したこと

Project Agoráの最大の成果は、中央銀行マネーをブロックチェーンに載せられたことだけではありません。

より重要なのは、

商業銀行預金、中央銀行準備、外国為替、コンプライアンス、経路選択を、一つの取引ワークフローに組み込める

と示したことです。

また、「Unified Ledger」は、世界中のマネーとデータを一つの巨大台帳へ集約することを意味しません。

Agoráの構造は、

  • 商業銀行預金を扱う共通層

  • 各国の中央銀行準備を扱う法域別台帳

  • それらを同期する調整機能

  • 参加者ごとのプライバシー領域

を組み合わせた、多層型のプラットフォームです。

共通性と各国の自律性を両立させることが、この設計の核心です。

Swift Ledgerが、既存金融とオンチェーン金融の間に「接続層」を置いたとすれば、Project Agoráは、預金と中央銀行マネーの決済処理を、同じプログラマブルな取引へ再構成しました。

Project Agoráは、クロスボーダー決済の将来が、

新しいマネーを作ることではなく、既存の信頼されたマネーを、新しい方法で動かすこと

にあると示しています。


主な参照資料

  • BIS Innovation Hub, Project Agorá: A shared programmable platform for wholesale cross-border payments, 27 May 2026.

  • BIS, Project Agorá shows how tokenisation can improve wholesale cross-border payments; work will advance to real-value testing, 27 May 2026.

  • BIS, Anchoring trust in money: innovation beyond stablecoins, June 2026.


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