【世界のオンチェーンプロジェクト File.002】MAS BLOOM
トークン化預金と規制ステーブルコインは、どう共存するのか
最終更新:2026年8月
前回取り上げたProject Guardianは、ファンド、債券、外国為替などの資産側をトークン化するプロジェクトでした。
しかし、金融取引には必ず二つの側があります。
取引される資産
代金として支払われるマネー
資産だけをトークン化しても、支払いが従来の銀行振込のままであれば、取引全体はオンチェーンで完結しません。
そこでMASが2025年10月に立ち上げたのが、BLOOMです。
BLOOMは、
Borderless, Liquid, Open, Online, Multi-currency
の頭文字です。
対象は、単一のデジタル通貨ではありません。
トークン化銀行負債
トークン化預金
規制されたステーブルコイン
複数通貨
複数ネットワーク
国内・クロスボーダー決済
を、標準化された方法で利用、移転、清算、償還できる仕組みを検討します。
MASは後の講演で、BLOOMをProject Guardianの「settlement equivalent」、すなわち決済側の対応プロジェクトと位置付けました。
Project Card
正式名称
BLOOM
名称の意味
Borderless, Liquid, Open, Online, Multi-currency
主催者
Monetary Authority of Singapore:MAS
開始時期
2025年10月
対象となるマネー
トークン化銀行負債、規制されたステーブルコイン
対象通貨
G10通貨およびアジア通貨
対象取引
国内・クロスボーダー決済、企業財務、貿易金融、エージェント決済
現在の段階
官民共同のユースケース試験・標準化
BLOOMは、デジタル・シンガポールドルのユースケースと基盤を検証したProject Orchidの成果を引き継いでいます。Orchidでは10件を超える試験が行われ、一部の参加金融機関は成果を商用サービスへ展開しました。
BLOOMはステーブルコイン推進策ではない
BLOOMについて、「シンガポールがステーブルコインを金融市場の決済通貨として採用した」と理解するのは正確ではありません。
BLOOMが対象としているのは、複数の異なる決済資産です。
トークン化銀行負債
銀行が負う債務を、ブロックチェーン上で移転可能な形にしたものです。
代表的な形はトークン化預金です。
保有者は、原則として発行銀行に対する預金債権を持ちます。
規制されたステーブルコイン
裏付け資産、発行、償還、準備資産管理などについて、規制上の要件を満たすステーブルコインです。
保有者の権利や信用リスクは、発行銀行の預金とは異なります。
BLOOMは両者を一つのマネーへ統合しようとしているわけではありません。
異なる法的性質と信用リスクを持つ決済資産が共存することを前提に、
どのように配布し、交換し、清算し、償還し、安全に利用するか
を標準化しようとしています。
二つの系譜を持つプロジェクト
BLOOMを理解するには、二つの系譜を分ける必要があります。
技術・制度上の系譜
Project Orchid → BLOOM
Orchidは、デジタル・シンガポールドルとPurpose Bound Money、すなわち利用条件を付けたデジタルマネーの基盤を検証しました。
BLOOMは、その技術的知見を、複数の民間決済資産と複数通貨へ拡張します。
金融市場における機能
Project Guardianの資産側 → BLOOMの決済側
Guardianがトークン化ファンドや債券を市場で流通させようとすると、それを支払うトークン化マネーが必要です。
BLOOMは、その決済資産を提供する役割を担います。
したがって、BLOOMは、
Orchidの後継であり、Guardianの決済 counterpartである
という二つの性格を持っています。
BLOOMが扱う三つの領域
MASは、BLOOMの初期重点領域を三つに整理しています。
1.決済資産の配布・清算
最初の課題は、異なるネットワーク上に存在する決済資産を、どう相互に利用できるようにするかです。
例えば、
DBSのトークン化預金
他行の預金トークン
USDCなどの規制ステーブルコイン
Partior上の銀行マネー
Stripeが処理する法定通貨決済
は、それぞれ発行者、台帳、ウォレット、償還方法が異なります。
一つのネットワークで受け取った資産を、別のネットワークで使えるとは限りません。
BLOOMでは、
発行
配布
移転
交換
清算
償還
の共通方式を検討します。
初期メンバーには、Circle、DBS、OCBC、Partior、Stripe、UOBなどが含まれています。
重要なのは、一つの新しい共通通貨を作るのではなく、異なる決済資産を接続する市場構造を作ろうとしている点です。
2.プログラマブル・コンプライアンス
クロスボーダー決済では、送金のたびに複数の金融機関が、
本人確認
制裁リスト照合
取引目的確認
送金人・受取人情報確認
取引限度額確認
資金源確認
を行います。
各ネットワークや金融機関が異なる方式で確認すると、同じ情報を何度も提出・検証する必要があります。
BLOOMでは、コンプライアンス条件を標準化し、プログラムによって確認・執行する仕組みを検討します。
例えば、
本人確認済みウォレットだけが保有できる
特定の国・法人には移転できない
一定金額を超える場合は追加承認が必要
必要情報が揃っていなければ取引を実行しない
制裁対象となった場合に資産を凍結する
といった統制です。
この領域にはAnt InternationalとStraitsXが参加しています。
プログラマビリティは、支払いを便利にするためだけではありません。
規制遵守を取引処理へ組み込み、ネットワークをまたいでも一貫した統制を行うためにも使われます。
3.エージェント決済
三つ目は、AIエージェントが人間に代わって支払いを実行する仕組みです。
BLOOMが想定するのは、AIが自由に資金を使う世界ではありません。
支払上限
利用可能な相手
対象商品
通貨
有効期限
為替条件
承認条件
を事前に定め、その範囲内でAIが取引を実行する構造です。
例えば企業の財務エージェントが、
複数口座の残高を確認する
支払期限を管理する
有利な為替レートを待つ
必要な通貨へ交換する
指定された相手へ支払う
余剰資金を短期運用する
といった処理を自動化する可能性があります。
初期段階ではCoinbaseとDBSが、この領域を担当しています。
これは、AIエージェント決済を単なる暗号資産の少額決済としてではなく、銀行の資金管理・権限管理・コンプライアンスの中で設計する試みです。
BLOOMが対象とするユースケース
企業財務
多国籍企業は、各国・各銀行に分散した預金と資金需要を管理しています。
BLOOMでは、異なるトークン化預金やステーブルコインを使い、
グループ内資金移動
外貨交換
夜間・休日の流動性補充
サプライヤーへの支払い
余剰資金の移動
を24時間処理することが考えられます。
貿易金融
貿易取引では、契約、船積み、通関、納品、検収、資金調達、決済が分断されています。
BLOOMでは、貿易条件と資金決済を同じ実行フローに組み込み、
船積み完了後に支払う
書類確認後に融資を実行する
納品確認後に売り手へ送金する
といった条件付き決済を検証します。
2026年3月にはRippleがBLOOMへ参加し、Unloqと共同で、貿易債務、決済条件、資金調達を一つの実行レイヤーに統合するクロスボーダー貿易決済の試験を発表しました。
エージェント決済
AIエージェントが企業の購買・支払い・資金管理を行う場合、決済資産には次の機能が必要です。
機械から利用できる
少額・高頻度でも利用できる
24時間移転できる
利用権限を細かく制御できる
取引証跡を保存できる
必要に応じて停止・取消しできる
BLOOMは、この新しい要件を、既存の銀行マネーと規制ステーブルコインの両方で検証しようとしています。
ホールセールCBDCはどこに位置付くのか
BLOOMの対象は、主に民間が発行する決済資産です。
一方、中央銀行マネーはSGD Testnetで扱われます。
整理すると、シンガポールは次の三層を並行して検証しています。
トークン化資産
Project Guardian
民間の決済資産
BLOOM
トークン化銀行負債・規制ステーブルコイン
中央銀行の決済資産
SGD Testnet
ホールセールCBDC
これは、一つの決済資産だけを選ぶ構造ではありません。
取引の種類に応じて、
銀行預金
ステーブルコイン
ホールセールCBDC
を使い分け、必要に応じて相互接続する構想です。
BLOOMが解かなければならない問題
1.発行者が違うマネーは、本当に同じ価値か
DBSの預金トークンとUOBの預金トークンは、どちらも1シンガポールドル建てであっても、異なる銀行に対する債権です。
ステーブルコインは、さらに異なる法的構造と準備資産を持ちます。
額面が同じでも、信用リスクと償還条件は同じではありません。
BLOOMには、異なるマネーを額面どおり交換できる流動性、清算、償還の仕組みが必要です。
2.ネットワークをまたいだファイナリティ
一方のネットワークで資産を減らし、別のネットワークで資産を増やす場合、途中で処理が止まる可能性があります。
両方が成立する
両方が成立しない
片側だけ成立した場合に補償する
というルールが必要です。
3.誰がコンプライアンス責任を負うか
プログラムが自動判定しても、法的責任が消えるわけではありません。
発行者
ウォレット事業者
送金銀行
受取銀行
ネットワーク運営者
AIエージェント提供者
の責任分担を決める必要があります。
4.AIエージェントの誤作動
AIが不適切な相手へ支払った場合、
誰が停止するか
取り消せるか
損失を誰が負担するか
委任権限をどう失効させるか
が問題になります。
エージェント決済は、決済速度よりも権限管理の設計が重要です。
BLOOMが示したこと
BLOOMの重要性は、トークン化預金かステーブルコインかという二者択一を避けた点にあります。
現実のオンチェーン金融では、複数のマネーが存在します。
銀行預金は、銀行規制と信用創造に強みがある
ステーブルコインは、ネットワーク接続性とグローバル流通に強みがある
ホールセールCBDCは、銀行間の安全な最終決済に強みがある
BLOOMは、それぞれを排除するのではなく、
異なるマネーを、どのように安全に使い分け、交換し、決済するか
を検証しています。
これは、オンチェーン金融の競争軸が、単一の「最強のデジタル通貨」を作ることから、複数の決済資産を制御・接続する能力へ移ったことを示しています。
Project Guardianがトークン化資産の市場を作り、BLOOMがその市場で使うマネーを接続する。
この二つが組み合わさったとき、シンガポールのオンチェーン金融構想の全体像が見えてきます。
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