おいしい日も、そうでない日も。
ミニーちゃんのスプーン
朝ごはん。
わが家は毎朝オートミールを食べている。前日の夜から豆乳に浸しておいて、それにヨーグルトやバナナ、ココアパウダー、きなこなどをトッピングするというもの。
オーバーナイトオーツというらしいが、うちの家族ではそれを「お豆乳」と呼んでいる。
豆乳が入っているという理由で、当時2歳の娘が「おとうにゅう」と呼び始め、私も夫もいつの間にかそう呼ぶようになった。
最初は体に良さそうという理由で始めたけど、朝ごはんの準備が圧倒的に楽なのと美味しいのとで、かれこれ2,3年はゆで卵とこれを食べ続けている。
そんなわが家の定番朝食、お豆乳。4歳になった娘にこだわりが出てきた。
・きなことココアパウダーどちらもいれる。
・はちみつをたっぷりかける。
・ヨーグルトをいっぱいいれる。
・それらを混ぜてはいけない。
・ミニーちゃんのスプーンで食べる。
先日、この最後のこだわりによって小さな争いが起きてしまった。
布団から出るのは毎朝しんどいと感じるけど、この日は特に眠かった。
夫は朝が苦手。わたしが起きないと保育園遅刻決定のようなものだから、どれだけ眠くても頑張って起きるしかない。
なんとか布団から出て、たまごを茹でる。インスタントコーヒーを入れる。お豆乳を冷蔵庫から出す。
がんばった。全身全霊をかけて朝食を準備した。
そして、物音に気がついて起きて来た娘がテーブルに並んだ朝ごはんを見てひとこと。
「ミニーちゃんのスプーンがいい…」
そう、この日は前日に使ったミニーちゃんのスプーンをまだ洗えてなかったのだ。
余裕がある日は洗ってあげられる。けれどこの日の朝はそんな余裕も元気もなく。大人と同じ、無地のスプーンを出した。
「ごめんね、今日は洗ってないから母ちゃんたちと同じのにしてくれる?」
「ミニーちゃんのスプーンがいい…」
折れない娘。イライラしてしまった。
折れない娘にというよりも、こんなことでイライラしてしまう自分に。
スプーンを洗うのなんて1分もあればできるのに、それさえしてあげられない、余裕のない自分に。
不穏な空気を察したのか、ベッドから「どうしたー?」という夫の声。
これまでの経緯を全て話すと、
「そりゃイライラするわ。普通やで」
と言ってくれた。
「イライラしてる自分の気持ちを否定しようとするから余計にしんどくなるんやで。感情は止められないし、人を殴ったり物に当たったりしなければ何の問題もない。」
イライラを普通と言ってもらえたことにより気持ちはおさまり、スプーンを洗ってあげることができた。
「ミニーちゃんのスプーン、10本くらい買おう。」
計量スプーンで朝ごはんを食べる夫がそうつぶやいた。
ホットプレートが壊れた
スーパーで安めの牛肉と野菜を買って焼肉をするのが好きだ。食べに行くよりもお安いから割と頻繁に食べられるし、ご飯とキムチが食べ放題なのもいい。
深めのプレートに取り替えて鍋をするのも好きだ。
白菜とお肉だけでじゅうぶんだけど、ニンジン好きな娘のために毎回ニンジンも入れる。豪華にしたいときは餃子も入れる。
お米を炊くの忘れてた、って日にも鍋はいい。常備してある冷凍うどんをしめに食べれば満足感のある食事ができるから。
そんな、我が家にとって欠かすことのできないホットプレートが壊れた。壊れるといっても電源がつかなくなったわけではない。その逆。火力が常に「強」の状態になってしまう壊れ方だ。
弱火にしても強火にしても肉は大焦げ。信じられない量の煙が部屋中に充満し、焦げた肉を慌てて食べるだけの作業になってしまった。
鍋は火力調整ができなくても作れるから、壊れてからも鍋は食べていた。
ホットプレートが壊れてしばらく経ち、騙し騙し使っていた頃。夫の友人2人が家に遊びに来ることになった。
下の娘がまだ0歳だからという理由で家に決まった。夫は、わたしがひとりで娘2人を見ていると思うとゆっくり外で飲めないから家の方が楽らしい。
ご飯はどうしようか。わたしが台所に立っていると気を使わせるし、そもそも人に振る舞うような料理はできない。そんな理由で焼肉に決まった。
この機会にホットプレートを新調することにした。ホットプレートを新調する理由が欲しくて焼肉にしたところもある。
ネットで探してみたけどいまいちピンとこない。大きさも質感も分からないし、やっぱり実際に見て選びたい。大型電気店へ向かった。
ホットプレートコーナーを物色していると、あることに気が付く。焼肉メインと鍋メイン、2種類のホットプレートがあることに。
前者は四角く平たい焼肉用のプレートに、サブで浅い鍋可用プレートが付いている。後者は丸くて深いプレートに、焼肉ができる波型のプレートも付いている。
ざっくり言うと、焼肉用だけどギリギリ鍋もできますよ、鍋用だけど焼肉もできますよ、といった感じ。
実際見にきてみると、わたしは鍋を重視していることがわかった。浅いプレートで鍋をしているところを想像する。汁がすくえない。それは自分にとってとても悲しいことだった。
それに気がついてから、丸くて深い鍋メインのプレートの中から欲しいものを探すことにした。
夫が「いいのあったから見てみて」と言うのは、全て焼肉メインの浅めのもの。夫は焼肉をメインに考えていたのだ。
焼肉パーティするなら四角い方がいいというのは分かる。四角い方が収納しやすいのも分かる。
でも、やっぱり汁をすくいたい。そこは譲れない。そう話すと、丸いのにしようと言ってくれた。ただ、丸いのにはひとつ問題がある。お肉を焼く面積が小さいこと。大人4人でお肉を食べるには小さすぎるのだ。そうなると、丸い中で一番大きいのを選ぶことになる。
一番大きいものは、火力調整のところに「ホットケーキ・餃子・焼肉」の表記があり、使いやすさが重視されている。実家のような雰囲気で安心感があった。
デザイン重視のものも検討したけれど、大手家電メーカーと実家の安心感にはやはり勝てない。いちばん大きな丸いプレートに決定した。
以前使っていたホットプレートは、結婚祝いに姉がくれたもの。もう7年ほど経つ。お肉はもちろん、焼きそばやたこ焼きなどたくさんのものを焼いて煮てきた。
壊れるまで使えてよかったなと思う。
買うものが決まり、どっと疲れた。喋りすぎて喉が乾いた。水を飲んだ。とても充実した時間だった。夫はわたしに「鍋奉行だね」と言った。
ドトールのサンドイッチ
ひとり日帰り東京旅行。
旅行と書いたが、遊びに行くわけではなく、一応仕事。でもせっかくだから楽しむに越したことはない。
うちには2種類のカメラがある。
大きくてごつめのミラーレスカメラとコンパクトデジタルカメラ。
少し前から、どちらのカメラを持っていくか悩んでいた。
最近スマホのカメラでは物足りなくなってきて、大きなカメラを首にかけて出歩くことが多い。
どちらもスマホと比べるとかなりきれいではあるけど、大きいカメラの方が画質も色味もいいと感じるから、大きい方を持ち歩いている。
でも、旅行となると話が変わる。いい写真を撮りたい気持ちと同じくらいに荷物を軽くしたい気持ちがある。
パソコンもあるから、日帰りとはいえリュックは重い。でもせっかく普段行かない場所に行くんだからいい写真が撮りたい。
夫に相談する。
「邪魔やろ、ちっちゃい方でいいんちゃう」
"できるだけ身軽に"を重視する夫にあっさりそう言われてしまった。小さい方を持って行くことにした。
新幹線に乗り、車内を3枚、ドトールのモーニングセットを12枚、外の景色を3枚撮影する。
東京駅に着き、待ち合わせ場所である上野駅へ。
「公園口」という出口名に惹かれて改札を出てみると、目の前にピンクと緑のポスターできれいに飾られた東京文化会館があった。写真を撮る。1枚。
目的地までスマホで調べずに行ってみたくなり、設置されている地図を頼りに歩いていたら意外とちゃんと到着できたのが嬉しくて、そのときの景色を撮る。1枚。
上野での用事が終わり、VOCA(ヴォーカ)展という展示を見るため、上野の森美術館へ。
鑑賞後、記念に外観を撮ろうと思っていたのに、周りを見ながら歩いていたら写真のことなどすっかり忘れていた。
その後、以前住んでいた場所を巡るつもりだったけど、帰ることにした。あの場所は家族と話しながら歩く方が楽しいだろうということに気がついてしまったら、ひとりで行く気にはなれなかった。
東京駅に着き、"THE東京駅"の景色を撮る。寒いから急いで2枚だけ。
娘へのお土産を買おうと「すみっコぐらしショップ」へ行くとTシャツが安くなっていた。お土産にセール品はどうなのか?という考えが頭をよぎったけど、結局買った。
夫へのお土産を選び、バタバタと新幹線へ乗る。
自分はどんな写真を撮ったのだろうか。わくわくしながらカメラを確認する。
行きの新幹線で食べたドトールのサンドイッチセットの写真が半分以上を占めていた。
どっちのカメラを持っていこうか悩んでいた自分を思い出し、なんともいえない気持ちになった。
玄米とストレス
玄米。外食で食べるとおいしい。
色と味的に体に良いことをしている気分になれるのもいい。
"実は体によくない説"も聞いたことがあるけど、なんとなく白米よりは体にいいんじゃないかと思っている。
そんな玄米。日々の食事に取り入れてみたことがある。
玄米にはこってりしたおかずはあまり合わないから、鮭や卵焼き、水菜のサラダなど自然と健康的なものが並ぶようになった。おしゃれカフェで見るような雰囲気の、写真が撮りたくなるような感じの。
最初の1〜2週間は良かった。新鮮さもあるし、美味しいし、体にも良さそうだし。
でも途中から飽きてきてしまった。というか、たまに炊いた白米が美味しすぎて食べすぎてしまうという、何とも本末転倒な現象が起きてしまった。
白米の日には生姜焼きなどのこってりしたおかずを作り、何杯もおかわりする。
玄米を炊いた日の食卓の雰囲気は、少し重い。家族みんながテンションが下がってしまう状態にまで陥った。
白米と混ぜて炊いてみたりもしたけど、やっぱり"100%白米"には勝てない。食べきれない玄米が冷蔵庫に残ったまま、いつしか白米しか炊かなくなった。
たまに外食で食べるからおいしく感じられていたことに気がつく。精米のありがたみにも気がつく。
外食だと大量の葉っぱサラダが全部食べられるように、家と外での食事って何かが違うんだと思う。
何が違うんだろう?
外で食べる特別感、テンション、人に見られているという意識(誰も見てないけど)、お金払ってるから残したくないという貧乏性的な気持ち、シンプルにもったいない気持ち。
こんな感情が混ざり合ってるんだと思う。
でもあのまま玄米を続けていたら逆に不健康になっていた気がする。
健康なものを無理して食べ続けるより、それを続けることによって溜まるストレスの方が体によくないだろうから。
白米うめぇ〜と幸せな気持ちで食べることがいちばんの健康法だと思う。好きなものを食べたい言い訳に使っている部分も半分くらいはあるけど、でも割と本気でそう思っている。
妊娠中、産科の先生が「タバコを吸うよりも、辞めなきゃと自分を追い込んでストレス溜める方がよくない。それくらいストレスって体にとってよくないものだよ。」と話していた。この言葉を今も信じている。
これからもわたしは、健康のために肉と米を食らっていく。
アルフォート事件
アルフォート。一気に食べるのがもったいなくて残していたひとつに夫が気づかず捨ててしまった。
楽しみにしていたから悲しかったけど、ひとこと「ごめん」と言ってくれたら気がおさまる程度のことでもあった。
でも夫は謝らなかった。
「ごめんを言ってしまうと100%捨てたオレが悪で、加害者側になってしまうのが嫌だ。そこに置いてた人にも落ち度はあるはずなのに。」
「確かにそれはそうやけど、捨てられた側は悲しい気持ちになってるんやから、ひとこと謝ってくれたらいいやん。それで解決するのに。」
というようなことでしばらく言い合いになった。
結局夫はごめんを言わず、わたしは言わない夫を理解することができず。
アルフォート事件は「これからは捨てる前に中身を確認する」が決まったところで幕を閉じた。
4〜5年前のこの出来事は、いまだに2人の会話によく上る。そしておととい、またこの話題になった。
話しているうちに、ごめんという言葉に対しての認識が夫とわたしで違うことに気がついた。
わたしは、故意でなくとも自分のした行動で少しでも相手が傷付いたのなら"ごめん"という言葉を使ってきた。
でも夫は、ごめんという言葉に意味を感じてないらしい。足が当たってしまったとか、明らかに100%こっちが悪いとき以外はあまり使わない、とのことだった。
ほとんどのことは「どちらかが100%悪い」ではなく、「30:30+40のすれ違い」で起きてる。
なのにどちらかが"ごめん"と言った瞬間それが100:0になって、加害者と被害者の構図になるのが納得いかないらしい。
アルフォート事件はわたしにも30くらい非があったのに、被害者になろうとしていたことに気が付く。「ひとこと謝ってほしい」と何度も言ってしまったことを、5年越しに反省した。
それにしても、30悪いところがあったなら、やっぱり謝ってくれてもよかったんじゃない?
アルフォート事件はこれからも続く。
キムチ鍋とバスボール
キムチ鍋の材料を買うためにスーパーに寄った。
仕事が終わり、作る気力も食べる元気もなかったわたしを見て夫が「今日は俺が作る。何が食べたい?」と言ってくれたから。
普段は「娘が食べられるかどうか」を考慮してメニューを決めるのだけど、本当に今自分が食べたのはキムチ鍋だったから、キムチ鍋と答え、娘の分は小さな鍋で別の味付けで作ることにした。
保育園帰りいつものスーパーへ。
塩分を気にせず、"キムチの鍋の素"を買う。いつもは180gを分け合う肉も、今日は600g買う。
楽しく買い物して帰宅した。料理をしてもらってる間に娘とシャワーで汗を流し、きれいな体でお腹いっぱい食べて就寝、の予定だった。
帰宅後、娘は「今シャワーしない、遊ぼう」と言う。
予定通りに動くことを諦め、折り紙やピアノで遊んだ。でも、その間中ずっと娘は何か言いたげな顔をしていた。
話を聞くと、0歳の次女を抱っこしながら片手間で遊んでいたことが不満だったらしい。不満に思う気持ちは分かるが、なんだかわたしも疲れてきてしまった。
その時点で20時。いつもならそろそろ布団に入る準備をする時間なのに、ご飯もお風呂も終えられていない現実が嫌になった。
でも、この空気のまま今日を終えてはいけない気がした。一日くらい寝るのが遅くなったって、今後の人生に何の影響もない。何も影響がないなら、笑って今日を終えたかった。
平日は湯船に浸からずシャワーで済ませることが多いが、娘の大好きなバスボールで遊ぶためにその時間からお風呂を掃除し浴槽に湯を張った。
バスボールのおかげで娘は元気になり、わたしのどんより気分もどこかへ行った。
お風呂を上がった時点で21時。そこからキムチ鍋をお腹いっぱい食べる。水餃子とお肉と野菜をいっぱい入れて、締めのうどんまでしっかり頂く。
いつもの夜ご飯よりも楽しくていっぱい笑えたのは、時間を気にする脳を手放せたからだと思う。
結局、布団に入ったのは22:30。
お腹いっぱいのまま、楽しい空気のまま。
時間通りに動けなくてモヤモヤするくらいなら、時間なんて気にせずその瞬間を楽しめる人でありたい。
夜のテンションもあってか、その日のキムチ鍋が楽しすぎた。お酒は飲めない下戸だけど、呑んでるような気持ちになった。
そんな姿を横目で見つつ、次女は大きなあくびをしていた。
