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「巡業に来い」という野次から考えたこと。10.13 新日本プロレス両国大会

10.13 両国大会。
竹下幸之介選手がIWGP世界ヘビー級のベルトを掲げた瞬間、確かに会場は歓声に包まれていた。

リング上の竹下選手は、夢を掴んだ青年のように清々しく、その背後には、新日本とDDTとAEWいう垣根を越えた時代の到来を告げる風が吹いていた。

だが同時に、会場のどこかから飛んだ「巡業に来い!」という野次が耳に残った。

その言葉を恥ずかしい、時代遅れだと批判するポストをXで見かけたとき、
自分の中に湧いたのは、違和感だった。

──いや、そうじゃない。

巡業で選手たちを見てきたファンなら、
その言葉の意味はきっとわかるはずだ。

竹下幸之介 ALONE -孤高の挑戦ー

巡業という“プロレスの呼吸”

地方の会場。
決して派手ではない照明、選手の息遣いまで届く距離感。

私もすべてに足を運ぶことはできないが、地元に来たときは観戦に行く。

観客の声とリングのきしむ音が混ざる、その場所こそが、
プロレスという文化の「心臓」だと思っている。

巡業とは、選手とファンが共に呼吸を合わせる場。
「この選手、最近調子いいな」
「今日は攻め方が違ったな」と感じる、その積み重ね。

後楽園での熱狂も、両国での大舞台も、
すべてはその“日常の闘い”の延長線上にある。

だからこそ、「巡業に来い」という声は、
ファンが“物語”を大切にしている思いなのではないかと思う。

「巡業に来い」は懐古ではない。

いまの新日本プロレスは、
日本のプロレス界全体を背負う存在。

テレビ放送、海外展開、提携、ブランド維持―
どれも間違いではない。
むしろ努力と成果の結晶だ。

SNSでは「巡業に来い」という言葉を「ファンの傲慢」と片づける意見も多い。

でも、本質はそこじゃない。

「俺たちが追ってきたのは、そういう新日本プロレスなんだ」
「だからこそ、“新日本での戦い”を見せてくれ」

──その一言には、
“プロレスをずっと観戦してきた者たちの誇り”が詰まっている。

つまり、「巡業に来い」という野次は、
「お前を応援している」というラブコールであると同時に、
“俺たちに新日本を見せてくれ”という魂の叫びでもある。

後楽園と地方巡業の“積み重ね”こそ、王者の説得力をつくる

プロレスの面白さは、「点」ではなく「線」だ。
ビッグマッチだけを切り取っても、本当のドラマは見えてこない。

後楽園での1本のマイク、
地方での小さな因縁、
試合後の退場口で交わすファンの拍手――。
それらが積み重なって、
両国やドームでの一瞬の勝利が「物語」になる。

だから、巡業や後楽園を追っているファンほど、
「日々の熱を知っている選手」にベルトを巻いてほしいと思う。

それは決して排他的な発想ではなく、
「観戦してきた物語を信じたい」という純粋な気持ちだ。

動員に苦戦しているのなら、それに向き合うべきなのではないか。

いま新日本が見失いかけているもの

新日本は、プロレス界の“王者”としての責任を果たしてきた。

だがその「責任感」が、いつしか“業界の中心でいなければならない呪い”になっていないか。

ファンはプロレス界を見に来ているのではなく、
新日本プロレスを見に来ている。

プロレス界を見せるなら、それはプロレス連盟がやればいい。

そう感じる一面もあった両国大会だった。

物語は東京ドームへ

竹下幸之介選手の戴冠は、
プロレス界全体にとって確かに新しい風だ。

でもその瞬間を見たファンが、
「巡業に来い」と叫んだのもまた、プロレスの正しさだと思う。

プロレスは、今日もどこかの会場で起きている“奇跡”の積み重ねだ。

その物語をこれからも観られるように、できるだけ観戦していきたい。

次は年末の後楽園のチケットが取れれば後楽園、取れなければイッテンヨンへ。

EVIL選手とウルフアロン選手、受け手の猛者と金メダリストがどう交わるのかすごく楽しみにしている。

新日本プロレス 東京ドーム Lコード:36523 一般発売 1|ローチケ[ローソンチケット] スポーツチケット情報・販売・予約 | ローチケ(ローソンチケット)

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