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距離があるから生まれる信頼もある

香川県の父母ヶ浜(ちちぶがはま)というところに家族旅行に行った時の写真です。日本のウユニ塩湖とも呼ばれる観光スポットです。
子ども達は姉弟で仲良くハートを描いたりして、いろいろなポーズの写真を撮りました。

人と人の間には距離感というものがあって、他人であっても心の距離が近くなって親密になったり、家族であっても心の距離が遠く離れてしまうこともありますよね。
その距離も一定ではなくその時々で、近づいたり離れたりするように感じます。

以前介護福祉士として勤めていた入所施設で、2年にわたって人間関係が築けない利用者がいました。
私は他の利用者と変わらず同様に接しているつもりでしたが、暴言や援助の拒否が強く「そういう障がい」だからと同僚にフォローしてもらっていました。
そうはいっても、職員として延々と援助に関われないというのも苦しいものです。私と利用者の間の距離感は離れていくばかりで寂しさを感じていました。

そんなある日、施設の廊下で困った顔をしているその利用者がこちらを見ています。周りを見ると他の職員は誰もいません。
いつもなら他の職員を見つけて何かを依頼するところですが、この時は私に苦々しく声をかけてくるのです。

その方は急ぎのトイレの介助を頼みたかったようです。私は内心「勝手だなぁ」と思いつつ、関われるまたとないチャンスと思って援助を行いました。

それ以来、すこしずつ関係性を作ることができるようになってきました。
後になって知りましたが、その方は過去にいじめられていたことで人を心から信用することができなくなってしまったらしく、いつも職員の顔色をうかがいながら生活していたのです。

長い間、特定の人に暴言や拒否的な問題行動がある「そういう障がい者」と捉えられていました。
しかし本当はそれが本音で、おとなしくしているときは相手のことが信用できず我慢して話を合わせていたということなのです。
また、利用者は援助を受けるために立場的に弱いという面も、その行動を複雑にしていたのかもしれません。

その背景がわかってから、私とその方との距離は一気に近づきました。不平不満もかつての暴言ではなく、「ここが嫌だ」、「このほうがいい」と自己主張となってきたのです。
いつも眉間にしわを寄せていたその方は、これまでの生きづらさの表れだったと気づかされました。
職員と利用者という線は引きつつ、できる支援は程よい距離感で関わることができるようになりました。

家族だからといって距離が近すぎても本人の主体性や尊厳を損なうこともある。
他人と不用意に距離が近くなってもトラブルの元となる。相手と自分自身がちょうどいい距離感を保つのはなかなか難しいものです。

父母ヶ浜で子どもたちの成長した姿を見ながら、少し離れたところから見守っていくことも愛情なのかなと静かに思ったのでした。





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