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アリーチェ・ロルヴァケルとの対話

2026年6月20日、モデルニッシモ劇場にて(イタリア、ボローニャ映画祭)

聞き手:ジャン・ルカ・ファリネッリ

ジャン・ルカ 『夏をゆく人々』の話から始めましょうか。あるシーンを見ていただきましょう。殺虫剤のシーンです。

(クリップ:危険な農薬を使った隣の畑の持ち主に、主人公たちの父親が怒鳴り込むシーン)

ジャン・ルカ これほど素晴らしい映像をこんな解像度でお見せするのは恥ずかしいのですが、このクリップの上映は土壇場で決断したものですから。これは本当に素晴らしい映像です。それは、今もなお続いている、古くからの物語を語っています。次々と新たな章が明らかになっていくのです。土地や風景が全くの別物、異質なものへと変貌していく悲劇――かつては生命に満ち溢れていた場所が、今や死に覆われてしまうかもしれない危機に瀕しているのです。

アリーチェ そう、『夏をゆく人々』(原題 Le Meraviglie 「驚異」とか「驚くべき人たち」といった意味)は――私がこれまでに制作した他の映画と同様に――ある一つの地域だけで撮影されました。ラツィオ州、ウンブリア州、トスカーナ州にまたがる、素晴らしい魔法のような場所です。アルピナ高原やマレンマ(こちらは比較的よく知られており、とても美しい地域ですね)の近くに位置しています。特にこの『夏をゆく人々』は、文字通りの自伝的な物語ではないものの、私や姉がどのように育ったか、そして、外国人の娘として育ちながらも、その土地と深い絆で結ばれていたということを、多くの面で描き出している作品なんです。実際、今ご覧になったのは、料理を用意してくれた近所の女性たちのところに、その外国人の男、少女たちの父親が訪ねてくるシーンです。外国人ではあっても、彼は自分がその場所に属していると感じています。彼は「”彼ら”は”我々”をここから追い出そうとしている」という言い方をします。つまり、この場面では、ある場所について「帰属意識」を抱くというのはどういうことか、「地元民」という言葉は、今日では単にその場所に愛着を持つ人という意味なのか、ということを問うています。これは決して言葉遊びなんかじゃないんです。私にとって、疑いの余地などないことですが、ある場所が他の場所よりも優れている、などということはないのです。それは単なる「違い」でしかありません。実は、私はこの地域を題材に短編映画を制作したこともあります。そのプロジェクトは、この土地の風景を理解したいという思いから生まれたもので、いわば映画という手法を用いた人類学的探求のようなものでした。私がこの地域に惹かれたのは、まさにここが「境界の地」だったからです。

私たちは国境や境界を「隔てるもの」と考えがちですが、実際には、そこは可能性を秘めた場所でもあります。私たちの身体の境界である「皮膚」のことを考えてみてください。そこは私たちが世界と触れ合う場所です。つまり境界とは開かれた領域であり、予測不能な要素を孕みつつ、古くからの歴史を湛えた場所なのです。イタリアの他の多くの美しい地域と同様、この地もまた、搾取の標的とされ続けてきました。類まれな美しさに加え、肥沃な土壌、豊かな歴史、そして数多くの考古学的遺跡を有しているからです。人口密度はそれほど高くありません――ボローニャやローマとは比べものになりません――しかし、ここで近年起きていること、そして地元住民が長年にわたって闘い続けている問題は、肥沃な土地を大規模なエネルギー生産のための工業地帯へと変貌させる動きです。

具体的には「代替エネルギー」や「再生可能エネルギー」と銘打たれたエネルギーのことです。「軍隊」が「平和維持部隊」と呼ばれるようになったのにも似て、このエネルギーも確かに「再生可能」ではあるものの、実際には工業規模で生産されるものです。ここで問題にしているのは、高さ200メートルを超える風力タービンです。その構造物の高さは200メートル。エッフェル塔が300メートル近く――正確にはちょうど300メートル――であることを考えると、その巨大さが分かると思いますが。つまり、エッフェル塔に匹敵するような大きさの構造物が立ち並ぶようになったり、肥沃な土地が太陽光発電のために転用されようとしているのです。その中心的なプロジェクトの名は「Focos(フォコス)」といいますが、これは「恐怖」や「戦慄」を意味する言葉でもあります。みなさんご存知の通り、言葉って重要なんです。

今日このことについて話す必要があると感じたのは、これが単なる特定の地域やプロジェクトをめぐる闘争ではなく、イタリア全土に関わる問題だからです。イタリアは独特の地形をしており、利用可能な肥沃な土地は限られています。しかし、まさにその限られた土地こそが、私たちの食料を生産する場所なのです。ですから、おそらく、私たちは食料の生産方法について見つめ直す必要があるのでしょう。食料をすべて遠方から輸入しなければならない状況なのに、自分たちの土地で膨大な量のエネルギーを生み出したいのでしょうか? それとも、今も栽培されている穀物を収穫したいのでしょうか? 作物の価格が暴落して収穫の手間をかける価値がなくなり、多くの農家が収穫を放棄して、代わりに太陽光パネルを設置する方が利益になると判断している現状があります。

私がこの闘いに強い思い入れを抱いているのは、開発モデルの転換なしにはエネルギー転換もあり得ないと思うからです。クリーンエネルギーの利用を深く重視する私たちのような人間は、自問しなければなりません。終わることのない生産、増大し続ける消費、そして最終的には汚染をもたらす開発モデルに加担することなく、どうすればクリーンエネルギーを生み出せるのかを。確かに、太陽光や風力などから作られたエネルギーそれ自体はクリーンなものかもしれませんが、その消費規模の大きさが依然として問題なのです。こうしたプロジェクトが進められたのは、その地域が農業用地としてまだ息づいていながらも、経済的には脆い状態にあったからです。もし状況が違っていれば、それらは実現しなかったでしょう。

用途の定まっていない膨大なエネルギーを生産し始める前に、私たちは「どのような開発モデルを望むのか」、そして「それをどう動かすのか」という議論を優先させる必要があります。その方針さえ決まれば、最善の方法でエネルギーを供給することに誰も異論はないでしょう。単純な問題のように聞こえるかもしれませんが、実際には複雑なんです。地域をめぐる争いでは、こうしたことがよく起こります。『Omelia contadina(農民の説教)』は私がアーティストのJRと共に制作した短編映画で、WEB上に公開されています。上映時間はほんの数分です。この作品はパンデミックの最中に制作されました。農薬、集約的な単一栽培、そしてエネルギー生産のための土地資源の搾取に苦しみ、助けを求めている「農民による農業」の葬送の儀式のような作品なのです。農地は、まるでそこから金銭を搾り取るための採石場であるかのようです。

私は以前から、映画というものが物語を語ると同時に、ある「闘い」をも語り得るのではないかと考えてきました。実際、『夏をゆく人々』は、自分の物語を語る術も、自分自身を説明する術も持たないある農夫の姿を描いています。彼は、出演したテレビ番組の中で「商品」として機能することに失敗してしまうのです。そして、彼は崩れ落ちていきます――環境への敬意を欠いた農業のあり方や、農薬によって「食い尽くされる」かのように。同様に、『幸福なラザロ(Lazzaro Felice)』もまた、かつての小作制度から現代の小作制度――本質的には経済システムへの隷属に過ぎないもの――へと放り込まれた農民たちの姿を扱っています。

同じように、『墓泥棒と失われた女神(La chimera)』は「トンバローリ(墓泥棒)」に焦点を当てています。彼らはエトルリア(紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群)の墓を冒涜する者たちであると同時に、巨大な機械の歯車でもあります。この映画は彼らを、彼らを利用して自らを冒涜させるシステムの一部として描いているのです。今日のトークの前にジャン・ルカとこんな話をしていたんです。彼はいつも、映画を「人生の物語を語るためのレンズ」として捉える人物です。彼は私にこう言いました。「あなたの活動の背後にある『生』について話したい」と。私の活動の背後にある「生」とは、ある極めて重要なこと――私たちを育むもの、そして私たちの食べ物がどこから来るのかということ――に対する視点を変えようとする人間の生に他なりません。

それは私たちの魂にとっても、身体にとっても重要なことです。疑問視されることすらない、唯一の発展モデルのように見えるものを、どう変えていけるかという問題なのです。その発展モデルでは、木をどう植えるかを深く考えることはせず、土地を荒廃させながら、単に被害を食い止めたり、穴を埋め合わせたりすることばかりに焦点が当てられているのです。これらは本来、私なんかが語るべきことではありません。私は単なる映画作家であり、監督であり、プルチネッラ(道化師)に過ぎないのですから。しかし、私にできるささやかなこと、それは――太陽が万物を成長させるように――新たな視点を開き、人々のまなざしを向けることです。そうすれば、どこに目を向けようとも、そこには何らかの感情が芽生える可能性が生まれるはずなのです。

彼らは本当にあの台地に巨大な風力タービンをいくつも建設するつもりなのでしょうか? もしこの計画が進めば、「加速ゾーン」(再生可能エネルギーの指定拠点)――実質的にはエネルギー生産を主目的とした工業地帯――と化すでしょう。何百ヘクタールにも及ぶソーラーパネルやタービンが設置されることになるのです。そうなれば『夏をゆく人々』という映画は、やがて失われてしまうものの記録となるでしょう。

一つ付け加えるなら――考えてみると面白いことですが――私たちが現在「イタリアの美」として重んじ、称賛しているものの多くは、すべて電気がなかった時代に作られたものです。この映画祭で見られるような「再発見された映画」は別として、それ以外のものはすべて、全く異なる社会モデルが存在した頃の、より古い時代の産物なのです。それは産業化以前のモデルでしたが、皮肉なことに、今日の観光産業を支えているのはまさにその時代のモデルなのです。そういえば、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の授賞式で、観光を促進する映画の力が称賛されていたのを思い出します。ですから、私は映画を作ることによって、無意識のうちに観光産業のために働いているのかもしれません。つまり人々が実際に訪れることになる場所の美しさを紹介しているわけです。皮肉なのは、私がその場所を紹介したがゆえに、その場所が消滅してしまう危機を招くかもしれないということです。

ジャン・ルカ そろそろ別のクリップを流しましょうか。『墓泥棒と失われた女神』を。歌のシーンで気分を盛り上げましょう。

(クリップ:吟遊詩人が墓泥棒たちのこれまでの冒険を歌って聞かせるシーン)

ジャン・ルカ あなたの映画を観ていると、アイデアや内容の密度が並外れていることに気づかされます。ですから、もし同じ作品を二度観れば、より強烈に体験することができるでしょう。ですが、あなたの全作品の中でも特に素晴らしいあのシークエンスが、どのようにして生まれたのかをぜひお聞きしたいのです。

アリーチェ そうですね……いろいろなことがありました。『夏をゆく人々』から、間に『幸福なラザロ』もありましたしね。『夏をゆく人々』では、映画全体で、カメラを構えて撮影しました。厳密な意味での「手持ち(ハンドヘルド)」とは少し違いますが――もちろん身体に固定はしていましたが、できるだけ安定させるようにしていました。それでも、やはり身体に固定されていたわけです。『墓泥棒』は自分自身の身体から切り離された視点を見つけ出そうとする試みでした。おとぎ話の世界が私の中に本格的に入り込んできたのはその時です。リアリズムに見られるような没入感から映画を切り離したいという思いがありました。人はおとぎ話の登場人物には「同一化(自己投影)」しません――何と言えばいいのか――同一化はしないけれど、耳を傾けたり、見つめたりはする。それは私にとって根本的な一歩のように思えました。いかにして形式を展開させるか……物語を語る形式を。世の中には数多くの形式がありますし、それらを使ったのが私だけだと言うつもりはありませんが、映画における共感の唯一の手段としての「同一化」には頼らない形式を目指しました。観客の前に立ち、観客から自分自身を切り離すということです。その「他者」が誰なのか、何を考えているのか、誰にもわかりません。彼らはただそこに、私の目の前にいるのです。おとぎ話の「白バラと赤バラ」を読んでいる時のように、それ以上でもそれ以下でもなく。主人公を見つめる。その行為の中で、私はある種の異なる「知」――あるいは「感情」――を見出します。そうした知や感情というものは、自分自身の反映を見たり感じたりする相手としてではなく、自分とは異なる「他者」として誰かを観察することから生まれるものです。だからある時点で、私はこう考えました。おとぎ話や古い民話の語りにあるような、音楽的な間奏曲、あるいは音楽的なリフレイン(繰り返し)のようなものがこの映画に必要だと。私はカラブリア州でヴァレンティーノ・サンタガティに出会いました。そこは私にとって深い縁のある土地です。実は私の最初の映画もそこで撮影されましたし、彼と出会ったのも、先ほど話題に上ったエネルギーの話と深く関わっています。彼は「コントロヴェント(Controvento)」という集団を通じて、カラブリア――この国の中でも信じられないほど美しい地域の一つですが――における「エネルギー・コロニアリズム(エネルギー植民地主義)」とでも呼ぶべきものに立ち向かっているのです。

ヴァレンティーノは「カンタストーリエ(物語を歌い語る人)」です。ですから彼との共同作業では、脚本を読んでもらうのではなく、映画の全容を口頭で伝えました。彼はタルクィーニアでの撮影に参加してくれました。場所はチヴィタ・ヴェッキアの発電所の近く――あの忌まわしい石炭火力発電所です。石炭については悪く言っておきたいですね。そうしないと、ただの文句だと思われてしまうかもしれませんから。石炭については、そして古代ローマのヴィラ(邸宅)の上に建てられたあの恐ろしい石炭火力発電所については、徹底的に批判しなければなりません。実際、映画の中でもその発電所が見られますし、墓泥棒たちがそこで聖域を発見する場面もあります。でも、もしチヴィタ・ヴェッキアに行く機会があれば、ぜひ見てほしいものがあります。発電所の壁から突き出すようにして、モザイク画が残されているんです。風雨にさらされ、打ち捨てられたままの状態で。いかにもイタリアでしか起こり得ないような光景だと思います。

私たちはテルリーナにいました。そこにヴァレンティーノがやって来たので、私は映画の構想をすべて話しました。物語を単に前進させるだけでなく、一歩引いて「この墓荒らしとは何者なのか?」を問いかけるような語り手が必要だと伝えたのです。彼らが歴史の「間違った側」にいるという点では、私たちも完全に同意しています。私たちは100%考古学者たちの味方であり、この映画も考古学者たちに捧げられたものです。それは間違いありません。墓泥棒たちは犯罪者ですが、同時に市場の需要に動かされる「駒」でもあるのです。彼らは何よりもまず「金こそが人生を良くする唯一の手段だ」と教え込まれる環境で育ちました。彼らは農家の出身で、可能な限り短期間で大金を稼ぐことしか道はないと知っていました。そんな時、突然、自分たちの土地の地下に眠るものに対する需要、つまり市場が生まれたのです。ですから、その誘惑――あるいは呪い――は強烈なものでした。私自身なら選ばなかった道です。そもそも、私はずっと墓泥棒を恐れていました。彼らが夜に出没するような場所で育ちましたから……鉢合わせするのが怖かったのです。何よりも、彼らが地上の法だけでなく、精霊の法までもどうやってすり抜けているのか、私には想像もつきませんでした。私自身、ある時偶然何かを見つけたことがありましたが、すぐに埋め戻してしまいました。地元で何かが地表に現れているのを見つけても、それを家に持ち込んだり、手に取ったりすることさえできませんでした。でも、夜な夜な出かけていく彼ら――あの男たち――のことを考えると……グループはほぼ全員が男性でした(女性も一人いましたが、圧倒的に男性が多かったですね)。夜に出かけて掘り起こし、こうした遺物を盗み出す彼らの姿は……とても恐ろしいものでした。しかし、人生を重ねる中で、ある時気づいたのです。彼らは私が思っていたような人物ではなかったのだと。彼らは私が思っていたほど独立した存在ではなく、結局のところ市場に奉仕していたわけです。そこでこの映画では――具体的には、第一部の4分の3ほどが過ぎ、観客がギャングとその力関係にどっぷりと浸かったあたりで、観客を物語から一度引き離し、こう問いかけるような人物が必要だと考えました。「この映画の文脈はどういうものなのか? それは、貧しい羊飼いが宝を見つけるという夢なのか? それとも、人類を蝕む富への貪欲さや欲望なのか? 彼らが行く理由は何なのか?」こうして、ある晩タルクィーニアで、ヴァレンティーノはこの歌を作曲しました。この歌は「法」の役割――つまり、あなたの労働を搾取する者が、同時にその労働を守る者でもあるという現実――に触れるものでなければなりませんでした。私たちは、その歌に多種多様な映像を合わせることにしました。とにかく、この歌のシーンの狙いは、没入感を断ち切り、別の視点から物語を眺めてみることでした。

ジャン・ルカ ありがとうございます。さて、そろそろ先に進まなければなりません。予定の1時間がほぼ終わろうとしており、最後のクリップに移ります。これは『幸福なラザロ』からの映像です。

(クリップ:ほとんどホームレスのような生活をしている仲間たちに、ラザロが路上に生えている草を指して「これもこれも食べられる」と教えるシーン)

アリーチェ ある時マサッチオのフレスコ画『楽園追放』を見に行きました。片側には「追放」の場面が、もう片側には「楽園」そのものが描かれています。そこで私は「追放」の場面を眺めていたのですが、ハッとさせられたのは、アダムとイヴが二人とも目を閉じていることでした。普通、楽園から追い出されるとしたら、目を開けておきたいと思うはずですよね。一体どこへ行くことになるのか、警戒したいでしょうから。それなのに、彼らは全裸のまま目を閉じて歩いている。ものすごく危険な状態です。そこで「楽園」の方に目を向けてみると、そこには植物や果物、動物など、この地球上にすでに存在するものが描かれていました。そこで私はこう考えたのです。もしかすると、私たちが楽園から追放されたのは、楽園を「見て」いなかったからではないか、と。冗談はさておき、『幸福なラザロ』のあのシーンは「追放」を象徴していたのかもしれません。「目を開けて、周りを見渡しなさい。目を閉じたままではいけないよ」と伝えるための、ちょっとした物語だったのかもしれない。子供たちに周囲をよく見るよう諭すための、象徴的で本質的な教えだったのでしょう。あそこでゴミを燃やすシーンを撮影する必要があったのですが、実際にゴミを燃やすことはしたくありませんでした。そこで、ゴミのように見えつつも環境に害のない燃やせるものを探すのに大変苦労しました。

ジャン・ルカ そろそろ終わりの時間ですが、まだ質問があります。「目を開く」というこの考え方についてです。これは重要なテーマだと感じています、特にこの映画祭においては。一見すると、古い映画を上映するだけの静かなイベントのように思えるかもしれません。しかし実際には、それらの古い映画の多くが、私たちの「現在」に語りかけてくるのです。実に多くの作品がそうです。そしてこの映画祭は、ある知識人に捧げられています。私たちに時に厳しい叱咤激励をくれた相手、ゴッフレード・フォフィ(イタリアのエッセイスト、活動家、ジャーナリスト、映画、文学、演劇評論家。2025年没)です。ですから、ゴッフレードについて、皆に深く愛されたゴッフレードについて、少しお話しいただければと思います。彼といつかまた会える「楽園」、あるいは「辺獄(リンボ)」のような場所があることを願うばかりです。

アリーチェ ゴッフレードは、私がこれまでの人生で出会った中で最も重要な人物の一人でした。彼がいなくなって以来、ずっと彼が恋しいのです。世の中はあらゆる面でうまくいっておらず、私たちは常に警戒を強いられています。もしかすると、彼からの「叱咤」――私たちを目覚めさせるための呼びかけ――は、私たちがかかっている催眠状態を解くためのものだったのかもしれません。時に私たちは、周囲にある恐ろしい現実を受け入れることに慣れきってしまっているように感じることがあります。

ジャン・ルカ それでも、私たちの周りには美しさも存在しています。

アリーチェ その通りです。私にとって、ゴッフレードはボローニャとも深く結びついています。ボローニャは、私たちが『無垢の瞳(Le Pupille)』という短編映画を制作した場所です。この作品は、ゴッフレード・フォフィが書いた手紙に基づいています。その手紙は実のところ、「不服従」と「脱走」を讃える賛歌のようなものでした。ゴッフレードは私たちに「脱走」すること――その場を立ち去ること――を教えてくれた人物であり、未来の平和の鍵が、その「脱走」という行為にあると信じていました。このIl Cinema Ritrovato(ボローニャ映画祭)の観客の皆さんが「脱走者」となり、その「脱走」の精神を受け入れてくれることを願っています。何よりもまず、絶えず何かを生産し続けること――ひたすら生産、生産と繰り返すこと――への強迫観念から逃れなくてはいけない。それは、先ほど話題に出た「開発モデル」にも通じる問題です。 対して「守ること」や「ケアすること」について考える人はほとんどいません。しかし、それらを自らの天職とすることは、単なる進化の先にある一歩を踏み出すことです。それは「在り方」そのものに関わることなのです。

歴史的に見れば、私は何千年もの間、守ることやケアすることを担ってきた「女性」という性に属しています。特に、そうしたケアの行為そのものが疑問視されたり軽視されたりした時代において、女性たちが何世紀にもわたって実践してきたケアという営みは、真に評価されることはありませんでした。成功とは、守ることやケアすることではなく、何かを「創造すること」――新しいものを作り出し、新しい事業を立ち上げること――にあるとされてきたのです。「維持すること」ではなく「付け加えること」に価値があるとされたのです。だからこそ、私はケアという行為を大切に思っています。ケアという行為には革命的な何かがあると信じていますし、このフェスティバルはそれを体現している――あるいは、そうあるべきだと思っています。なんだかフェスティバルの宣伝をしているように聞こえるかもしれませんが。でも、これこそがゴッフレードが私たちに常に教えてくれていたことではないでしょうか。多くの人が新しい小説や映画、アイデアを携えて彼のもとを訪れたとき、彼はいつも、あえて古い映画や古いアイデア、古い物語、あるいは古い本を差し出してくれたものです。まるでこう言わんばかりに。「ナルキッソス(自己愛に溺れる者)ではなく、エコー(こだま)になりなさい」。まだ存在しないものの発明者にならなければならないと常に考えるのではなく、すでにそこにあるものを再発見する存在になりなさい、と。私はそこに、深い親和性を感じます。ですから、彼に心からの愛を込めて、ありがとうと言いたいと思います。

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