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乗り物キケン

 遠足があまり好きではありませんでした。乗り物酔いがひどいのです。慣れだとも聞きますが、通学・通勤でも酔ってしまうので、その説は受け入れかねます。あしからず。

 大人になっても改善される気配はなく、今でも旅行に酔い止め薬は欠かせません。電車の乗車時間でいえば、よほど体調が悪くない限り10分までは大丈夫です。20分がひとつの峠で、この時点でなんともなければ結構長時間耐えられます。でもかなりの確率で30分を越える乗車は厳しく、途中下車してトイレに駆け込む羽目になります。
 なので、東京都内に出掛ける際は、途中下車の時間も計算に入れて予定を組まなければいけません。遅刻できないような用事の時は、たかがお隣の東京都に行くだけのために酔い止め薬を服用します。
 私の住むあたりから東京都内は通勤圏内です。ダンナも職場はずっと東京です。だからそんなに遠いはずはないのですが、東京に用事があったり、遊びに行く予定があると、ものすごく緊張します。そして緊張しすぎておなかも痛くなります。踏んだり蹴ったりです。

 私にとって乗り物に乗るということは、ちょっとばかし勇気と覚悟のいることなのです。
 けれども、冷や汗をだらだら流し、視界がゆらゆら揺れ、胃が絞られるような不快感に襲われようとも、人前でリバースしたことはありません。そこは気合いで乗り切ります。なので私とお出掛けになることがあっても警戒なさらないでください。万が一のためにエチケット袋も常備しておりますので。

 それでも一度だけこっぴどくやられたことがあります。飛行機です。

 私が初めて飛行機に乗ったのは2歳の時でした。祖母に連れられ、ふたりきりの福岡-羽田間空の旅。よりにもよって台風の雲の上を通過するものでした。
 もちろん当時はそんなことを知る由もなく、小さな窓から見えるどこまでも続く羊の背中のような雲の群れを眺め、「長靴を持って来ればよかったね」と言ったそうです。そう言ったことは覚えていませんが、窓の外の絵本の中のような景色は今でも覚えています。
 そしてその後、祖母の膝を盛大に汚したことも……。
 当時はスチュワーデスと呼ばれていたキャビンアテンダントがおしぼりを持ってきてくれたことまで鮮やかに思い出されます。

 ン十年経ってもなお祖母は思い出したようにその話をしたものです。よほど印象的だったのでしょう。ごめんね、おばあちゃん。

 おばあちゃんとはいえ、その頃の年齢は50歳。1年に何度も横浜から博多まで遊びに来てくれました。

 私の飛行機初体験の数か月前には、山陽新幹線の岡山-博多間が延伸開業され、祖母はますます気軽に来てくれるようになりました。気軽すぎるのか、つっかけサンダルで来たこともあります。足の甲の部分がネットのようになっているあのサンダルです。

 気軽にと言っても今ほど便利ではありません。新横浜-博多間は7時間くらいかかったそうです。その頃の新幹線は0系。あの丸っこいコアラの顔のような新幹線でした。
 帰りは博多駅のホームまで見送りに行くと、必ずキオスクでボンタン飴とスカイミントを買ってくれました。(どちらもソフトキャンディなのですが、ご存知の方がいらっしゃるかどうか……)

 その頃、私は母の真似をすることに夢中でした。

 アルプスの少女ハイジのエプロンと三角巾を身に着けて、いかにも忙しそうに家の中や庭を歩き回っておりました。
 水を入れた洗面器を庭に持ち出して、自分のハンカチをジャブジャブ洗い、洗濯物を干す母の横でビチョビチョのハンカチを干したりしていました。

 弟が生まれると、今度はお人形さんのお世話で忙しくなりました。ミルク飲み人形におもちゃの哺乳瓶でミルク(中身は水)を飲ませたり、オムツを交換したり、着替えさせたり。横に倒すと瞼が閉じるので、そっと寝かせて布団をかけたり。もちろん弟の世話をする母の行動とリンクしていました。外に出る時はベビーカーに乗せ。

 当時はベビーカーという言い方はしておらず、みんな乳母車と言っていました。人形用の乳母車もあり、私はそれを押して庭に出たりしていました。
 日光浴が健康にいいと言われていた時代で、庭に小さなレジャーシートを敷いて、人形にも日光浴をさせてあげていたのです。

 その時、弟は乳母車(人間用)に乗せられたまま日光浴をしていました。母がその場にいなかったので、大きな人形(弟)の世話(のつもり)をしたりしていました。乳母車を押すと、弟はご機嫌でした。
 それを見ていたら、ちょっと羨ましくなりました。

 私も乗りたい。

 でも、3歳の女の子には弟を乳母車から降ろすことはできません。ダメだと思うとどうしてもやってみたくなるもの。

 そんな時、目に入ったのはお人形さんの乳母車。お人形さんはひなたぼっこ中なので乳母車は空いています。
 いいのがあるじゃないの~とばかりに座ってみます。窮屈だけど布張りなので問題なく座れました。
 けれどもはたと気付くのです。だれも押してくれないと。座ったまま足でチョコチョコ進んでみますが、たいして楽しくもありません。

 がっかりして立ち上がろうとしたら……乳母車(人形用)が持ち上がりました。

 ――あれ? 

 もう一度座り直して、乳母車(人形用)を押さえつけながら立ち上がろうとしますが、乳母車(人形用)の両サイドが腰骨に引っ掛かって抜けません。うんうん唸りながら頑張りましたが、埒があきません。しかたなく座ったまま足でチョコチョコ進んで家の中に向かって叫びました。

「ママー!」

 聞こえないようです。もっと近くまで進み、縁側に手をかけて叫びます。

「ママー!」

 まだ返事はありません。私は焦りました。もう一生このままお尻に乳母車(人形用)をくっつけたまま過ごさなければならないのでしょうか。早く抜かないと、私が育ってしまって、どんどん抜けにくくなるにちがいありません。

 幸い乳母車(人形用)は子供のおもちゃなのでとても軽いです。私はどうにか部屋に入れないかよじ上ろうとしました。けれども腰が曲がったままなので上れるはずがありません。
 それどころか力尽きて転んでしまいました。四つん這いです。お尻に乳母車(人形用)をくっつけたまま。
 こうなるともう元の体勢には戻れません。乳母車(人形用)が倒れた状態なのですから。

「ママーッ!!」

 恐怖に駆られた私の大声に飛んできた母によって、乳母車(人形用)は案外あっさり外れました。

 あやうく尻はまり姫になるところでした。

 それ以来トーコ姫は乳母車に乗りたいとは思わなくなりましたとさ。めでたしめでたし。

 さて。乗り物の定義が曖昧になってきたついでなので、お次は進まない乗り物のお話を。ブランコです。

 今は撤去されてしまった公園も多いようですが、私が子供の頃の公園遊具といったら、ブランコ、シーソー、鉄棒、砂場、ジャングルジムは定番でした。
 ブランコは鎖を握るので手が鉄くさくなるのがちょっと嫌でしたが、ゆらゆら揺れているのは好きでした。男の子なんかは鎖がたわむくらいに大きく漕いだりしていて、見ているだけでもひやひやしましたが、私は大人しくそれなりの角度で揺られていました。

 横浜での思い出なので幼稚園生か小学校低学年くらいだったのだと思います。

 遊具はいつも誰かが使っていて、なかなか遊べなかったのですが、その日は運よくブランコが空いていました。
 私はブランコに腰かけて漕ぎ始めました。隣のブランコに乗っていた子は前方に揺れた時に綺麗に飛び降りて、そのまま去っていきました。
 残されたブランコだけが揺れを次第に小さくしてやがて止まりました。

 ――かっこいい!

 運動音痴がなにを血迷ったか真似することに決めました。

 あまり揺れ幅が大きいとブランコの周りを囲っている柵に激突してしまうかもしれません。ドキドキしながら漕ぎますが、どうせいつも大きく漕いだりなんてしていません。普段通りに漕いで、いざ。

 シュタッ!

 着地の瞬間に砂で滑りかけてヒヤリとしましたが、無事着地できました。ひとりにんまりしたその瞬間。

 カクンッ。

 ブランコの座面による膝カックン。
 うつ伏せにすっころぶ私。

 この時に限らず、私は転ぶ時に手が出ません。なぜみんなはとっさに手をつけるのでしょう。手が出ないため、当然顔から突っ込みます。
 顔についた砂を払いながら起き上がり――。

 ゴンッ。

 戻ってきたブランコの座面が後頭部を直撃。再び顔面落下。

 さすがに二度目はないようにと、這って柵の外側へ。
 なんだかあちこち痛い。なにげなく顔をこすって仰天しました。手が赤く染まったのです。
 鼻血でした。

 後にも先にも鼻血を出したのはこの時だけ。かなり衝撃でした。出血の痛みはないのに、結構な量が流れ出るんですね。
 満身創痍の私は、鼻血で道を汚してはいけないとそのことばかり考えて、両手で鼻血を受けながら家路を急ぎました。

「ただいま~」

 母を驚かさないようにと、なるべく普段通りの声をかけます。なにも気付かず普段通りに出迎える母。

「おかえり~」

 その言葉の後に悲鳴。
 どうしたの? なにがあったの? どこ怪我したの? どこが痛いの? どこでやったの? 誰かと一緒だったの?
 立て続けに投げかけられる質問。
 えっと……どれから答えれば……?

「えっとね、ブランコ乗ってたらね……酔った」

 現在あちこちの公園でブランコが消えゆくのは、私のせいかもしれません。

 みなさまも乗り物には充分にお気を付けくださいませ。