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ひと夏の恋……未満

 みなさんの初恋はいつでしたか?
 幼稚園生? 小学生?
 私の初恋は中学生でした。友達と恋バナをするためだけに、便宜上、誰とも好みが被らなそうな男子の名前を適当にあげていたところ、いつしか本気で好きになっていたという、なんだかなぁという初恋です。そのくせ中学3年間ひとすじにその彼に片想いしておりました。
 そんな初恋も実ったんだか実らなかったんだかよくわからないまま、なんともすっきりしない終わりを迎えた私は、ずるずると引きずっておりました。特にどうこうするわけではないのですが、高校1年生の間はあれこれと思い出しては懐かしんでいました。
 もう会えることもないだろうと悲嘆にくれていましたが、バレンタインデーにチョコレートを渡したらホワイトデーにお手紙付きでお返しをくれたくらいなのですから、「久しぶりだけど、どうしてる?」と自宅に電話をしてみればまた何かちがったのかもしれません(そうです、自宅にしか電話がない時代です)。あちらは男子校だったし、彼の性格を考えれば、きっとフリーだったはずです。
 でも私がそんな積極的な行動に出られるはずもなく。彼の方にしたって、万が一私のことを懐かしく思い出してくれたとしても、一度あっさりと私にデートを断られているのですから(これはまた別の話。ご興味のある奇特な方がいらっしゃれば書きます)、彼の方から電話する気も起きないでしょうし。
 彼のことは中学卒業と同時に諦めていたのに、忘れられてはいなくて。そんな未練がましい想いを抱えていました。

 こうやって思い返してみても、私にとって初恋の彼は特別な存在でした。以降好きになった人も多くはありませんが、それでももっともイイ男だったと思います。歳を重ねるごとに見る目がなくなってきたのは否めません。なぜそんなことに……。あ、いえ、後悔しているわけではなくて。今は今で、ちゃんと幸せに楽しく仲良くやっておりますので、ご心配なく。とってつけたようなセリフになってしまいましたが。

 そんな感じでしたから、高校生になってもクラスの男子になど見向きもせず。まあ、男子からも見向きもされていなかったのでしょうけれども。

 そして、高校2年生の夏。

 もうその単語だけで甘酸っぱい感じがしてしまいます。いいですね、青春。

 その高校2年生の夏、私は同じクラスのミコちゃん(仮名)と一緒にプールのバイトをしていました。女子は窓口、男子は監視員と決まっていました。窓口担当のほかの女子はみなさん大学生でした。監視員バイトの男子も高校生は2,3人で、あとは大学生でした。自然と高校生同士で話す機会が増えました。
 特に監視員の1人、高校1年生男子はとても人懐っこく、休憩時間などにフラフラと窓口の方にまで遊びに来たりしていました。ワンコが尻尾をブンブン振ってじゃれつくかのようにあまりに馴れ馴れしいので、私とミコちゃんは1つ年下の彼を「ポチ」と呼んでいました。陰でじゃないですよ、面と向かってです。本人も嫌がっていませんでした。たぶん。

 で、もうおわかりですね。

 私はドキドキしちゃうわけですよ。よく考えてみれば、同世代男子と親しく口をきくのが久しぶりだったからなのでしょうね。でもその時は「好きなのかも」とか思っちゃったわけですよ。

 初恋の彼のことなんか頭から吹っ飛びました。我ながら呆れるほど単純です。

 女友達というのは恋愛に対してかなり敏感で、すぐにミコちゃんから「トーコって、もしかしてポチのこと好きなの?」と聞かれるようになりました。初めは「え~。まさかぁ」とドキドキしながらも否定していた私も、何度か確認されるたびに「もしかして、そうなのかも」と思い、ついには「うん……そうなの」と答えるようになっていました。暗示ってすごいですね。

 でもそれを認めるにはかなり抵抗がありました。
 私は今でこそ5歳下のダンナでも年齢は気になりませんが、高校時代の1歳違いは大きいです。しかもなんの偏見か、年下の男の子なんて……と思っていました。周りも先輩を好きだと言う人はいても、後輩を好きだと言う人はいませんでしたし。
 けれども、問題はもっと大切なこと。ポチには彼女がいたんです。本当なら初めから恋愛対象になどなるはずもなかったのです。けれども運悪く、ポチに彼女がいることを知ったのは「好きかも」と思った後でした。ミコちゃんが聞きとり調査してきたのです。
 もうここで諦めるしかありません。そもそも私は現状で満足していたのです。
 ちょっとドキドキしながら楽しくおしゃべりできるだけで、相手に好かれたいという想いにすらなっていなかったのです。

 ある日、ミコちゃんが訊きました。

「ポチと付き合いたいんだよね?」

 ミコちゃんがこう訊いたのにはわけがあります。ポチはしょっちゅう彼女と喧嘩していたのです。「今、彼女と喧嘩中なんだよね~」とか「合わないんだよ、俺たち」とかこぼしていくので、私は「早く仲直りできるといいね」とか「そんなのわかんないじゃん」とか言っていたのです。
 なので、ポチが去ったあとにミコちゃんが訝しがって「トーコって、ポチと付き合いたいんだよね?」と訊いてきたのです。「好きってそういうことでしょ?」と。

 目から鱗が落ちるとはまさにこのこと。

 実はワタクシ、その後の二十歳を過ぎても「彼氏と手を繋いで歩いてみたい」との夢を語るくらいには純情乙女でした。
 「好き=付き合いたい」だなんて考えたことがありませんでした。

 私は高校2年にして初めて「付き合う」ということについて考えました。

 ――わかりませんでした。

 付き合うってなんだろう。きっと多くの人が一度は悩んだことがあるのではないかと思います。
 友達となにがちがうのか? 特別仲がいい人ってこと? じゃあ、親友と何が違うんだろう? 異性ってこと? じゃあ、異性とは親友になれないの?

 ――さっぱりわかりませんでした。

 正直、今でもちゃんと答えられません。でもそんなものかもしれないな、と今は思います。
 私は中学でも高校でも、ものすごく大好きな女友達がいましたが、明らかに恋愛感情ではありません。仲のいい同級生男子もいましたが、そちらも明らかに恋愛感情ではありません。なぜ特定の男の人に対してだと自分の気持ちすらわからなくなってしまうのでしょう。
 でも、恋心の欠片もない相手にはそんな迷いすらありませんから、わからないという時点で異性として意識しているということなのかもしれません。

 中学時代、友達のおかげでいろいろ巻き起こった私の恋路でありましたが、女子とはそういうものなのでしょうか。ミコちゃんもまた裏でなにやら手を回してくれていた節があります。

 私はプールまで自転車で通ったり、バスで通ったりと、天気や気分に合わせて通勤手段を変えていました。一方、ミコちゃんとポチは同じ路線のバスを使っていました。なので、帰りに同じバスに乗り合わせることもあったようです。おそらくその時になんらかの会話がなされたものと思われます。

 バイトの帰りに私たちはよくおしゃべりをしていました。その日も、私はバス停の傍らに自転車をとめて、ポチやミコちゃんと一緒にバスが来るのを待っていました。

「もうすぐ姉ちゃんの誕生日なんだよね~」とポチ。
「へぇ。お姉さんいるんだ」とミコちゃん。

 そんな小さな情報をミコちゃんの隣で聞きながら、なんの役にも立たないのになぜか嬉しくなったものです。

「プレゼントなににしようかな~」

 ポチのひとりごとなのか問いかけなのかわかりにくい物言い。

「お姉さんに誕生日プレゼントあげるなんて偉いね」

 ミコちゃんがたいして感心したふうでもなく、さらりと言いました。

 私は弟から誕生日プレゼントどころか物を貰ったことなど一度もありません。私からはあげていたのに薄情なやつです。二人の会話を聞きながら、私はそんなことを考えていました。

「どんなの買うか決まってるの?」とミコちゃん。
「う~ん。女の人ってなにがいいかわからないから困るんだよね」
「じゃあ女の人と買いに行ったら?」

 ポチとミコちゃんがだらだらと会話をしているのをぼんやり眺めていました。

 実はこのプール、ウチの高校のすぐそばでして。同じバス停なのです。だから充分すぎるくらいに見慣れた景色のはずなのに、夏休みだというだけでまるで違う街のようでした。
 夏の陽射しは明るくて、あらゆるものが色濃くキラキラ輝いて見えました。今私たちはピカピカの時間の中に生きているんだなぁなんて思いながら、ふたりの会話に入らずに、森の方から時折り吹く涼風に緑の蒸されたような匂いを深く吸い込んだりしていました。

「……よね? トーコ」

 ふいにミコちゃんに肩を叩かれました。

「え?」
「聞いてた?」
「ごめん、ぼーっとしてた……」
「ポチがね、お姉さんの誕生日プレゼント買うんだって」
「ああ、そこは聞いてた」

「でさぁ……」ポチがだるそうに言葉を繋ぎます。「女の人のってわからないから誰か一緒に買い物行ってくれないかな~って話」

 え? それ、悩むとこ? 私が簡単な答えを提示してあげました。

「彼女と行けば?」

「……」

 なぜか黙り込み、白けた顔を見合わせる二人。

 え? 私、なんか変なこと言った? 補足が必要?

「女の人の意見聞きたいんでしょ? だったら彼女に選んでもらったら?」という補足。

 どう? ものすごくまっとうな意見だと思うけど?

「……そうだね。そうするよ」

 なぜか不機嫌そうなポチ。変なの。
 と、思っていたら、後日ミコちゃん曰く。あのあとバスの中でポチがこう言っていたそうな。

「霜月が俺のこと好きだなんてウソだろ。気があるのにあの誘いに乗ってこないって、ありえないだろ」

 ……知るか。あんなのでわかるわけないじゃん。なにその恋の駆け引きみたいな高度なヤツ。
 ってか、ミコちゃん、あんた、なに勝手にバラしてるのよ……!

 思い返してみれば、恥ずかしくなるようなできごとだったのですが、そんなネガティブな思いは、夏の眩しすぎる陽射しと蝉の鳴き声の混じったじりじりとした暑さに溶けて消えてしまいました。溶けた後に残ったのは、重苦しさのないポチへの好意だけ。

 ミコちゃんがポチに余計な情報を漏らした後も、ありがたいことにそれを信じなかったポチの態度は変わることがなく、おかげで私も不思議なほど自然にポチと話すことができていました。

 そもそも私は、彼女持ちの年下男子とどうなりたいなんて考えもしていなかったのです。
 夏が去って風が冷えてくれば、私の心も醒めていくだろうと疑いもなく思っていたのです。
 ガラス張りの壁からプールサイドに立つポチを見つめてキュンとなったり、笑いながら話しつつもドキドキしたり。
 そんな日々が夏と共に終わって、二度と会えなくなるとわかっていました。

 そして、確実に夏は終わりへと向かっていきます。

 バイトメンバーは受付、監視員ともに各6,7人くらいだったと思います。高校生も大学生もいたので、年齢はバラバラでしたが、みんな仲良しでした。

 夏休みも残り一週間ほどになった頃、プールの近くの公園で夏祭りがあることを知りました。
 あの辺りは昭和40年代後半に山を切り崩して開発された新しい街です。ですから、当時はまだ十数年しか経っていなかったのだと思います。なのでお祭りも盆踊りと小さな縁日があるだけのものです。

 そのお祭りにみんなで行くことになりました。その公園はプールから徒歩30分ほど離れているので、当日は普段バス通勤の人も自転車で来て、バイト帰りにみんな自転車で向かうことになっていました。

 とはいうものの、元々自宅からプールまでが自転車で来るには遠い人などは、やはりいつも通りバスで来ていたので、実際には全員が二人乗りという結果になりました。当時は二人乗りがいけないことだなんて知らなかったのです。大人が誰も注意しなかったので、みんな知らなかったのだと思います。

 私もミコちゃんも自転車で来ていたので、どちらかの自転車を誰かに貸すことになるだろうと思っていました。けれどもミコちゃんはいつの間にか女の先輩を後ろに乗せて行ってしまいました。
 次々と出発する中、じゃあ私はひとりでいいのかな、と走り出そうとした時。ふいに自転車が後ろに引かれました。

「乗せて」

 振り向くと、ポチが荷台を掴んでいました。

「あ……でも、私、後ろに人乗せて漕げないよ?」

 私は、後ろに荷物を括りつけてさえ真っ直ぐ走れないのです。人を乗せて走れるはずがありません。もちろん、前かごに荷物を入れる場合は真っ直ぐ走れますよ。そこまで運動神経が悪くはありません。

「俺が漕ぐよ。後ろに乗るのは平気?」

 その日私はミニのフレアースカートで、荷台に跨るのには抵抗がありました。

「横座りでも大丈夫?」
「好きなように座れよ」

 かくして、人生初の男子との自転車二人乗りをすることになりました。

 ――で、いきなり問題発生。

 えっ……どこにつかまればいいの? 

 女子の後ろに乗る時はおなかに手を回しますが、男子相手じゃそうもいきません。怖いな、と思いつつも洗いざらしの白いシャツの裾をちょっとだけ摘まんでみました。

「危ないからちゃんとつかまれよ」

 そんなこと言われても……男子に触れたことなんてないし……。と思っていると、ガッと手首を掴まれ、おなかに回されました。とっさに手を引っ込める私。ポチは呆れたように、「じゃあベルトでも掴んどけ」と。
 私は他の部分に触れないようにベルトの厚み部分を掴みました。安定しなくて怖いかな、と思いましたが、女子の運転とは違ってとても安定した走りでした。

 長い長い坂道をひたすら下って行きます。広い歩道を歩く人は誰もいなくて、真っ直ぐ伸びる道の先にみんなの自転車が連なっているのが見えて、その光景になんだかわけもわからず泣きそうになりました。

 この坂道は私の通学路でもあります。結構急な坂道で、帰りはずっとブレーキをかけっぱなしなので手が少し痛くなるほどです。その坂をポチは猛スピードで走り抜けます。

「ひゃっほー!」

 気持ちよさそうな奇声をあげています。後ろに人を乗せていることなど忘れているのではないでしょうか。

「ちょっと! ブレーキかけてよ!」
「あー?」
「ブレーキッ!!」
「聞こえなーい!」
「だからっ、スピード出し過ぎだって!」
「えー? 気持ちいいじゃん」

 ……なによ、聞こえてるんじゃん。

 自転車はどんどんスピードを上げ、みんなを追い抜いて行きます。

 相変わらず気持ちよさそうに奇声を発するポチ。恐怖にきゃあきゃあ悲鳴をあげる私。

 仲間を追い越すたびに「うるさいよ、あんたたち」と掛けられる声。近づく炭坑節。人々のざわめき。

 このシーンだけが今でも鮮やかに思い出されます。
 公園に着いた時、しっかりポチの背中にしがみついていて、慌てて平静を装ったことも。


 そして迎えたバイト最終日。

 夏祭りがあった公園の近くにあるお好み焼き屋さんで、打ち上げと称した飲み会がありました。
 大学生はみなさん成人していましたが、高校生は当然未成年です。一応代表者である大学生の身分証だけ確認されただけで入店できました。あの頃はお店の方も黙認することが多かったような気がします。

 そのお店に向かう時のこと。歩道もないような車両一方通行の細い道を通ります。十数人でぞろぞろと歩く真横をかすめるように車が走り抜けました。その瞬間、ぐいっと端によせられました。

「気をつけろよ。危ないだろ」

 肩にはポチの手が乗せられていました。とても熱い手でした。

「……ありがと」

 小さくお礼を言った私の肩を抱いたまま、ポチは車道側に立ちました。男子に女の子扱いされていると感じたのは、あの時が初めてでした。
 そう感じた自分が恥ずかしくて、ポチの手の熱さよりも自分の耳が熱くなるのを感じました。さりげなく離れようとしましたが、絶え間なく車が通るせいか、ポチはしっかりと壁になってくれたままです。肩に手を回したまま、普段通りにおしゃべりをしていました。そんな平然としたポチにちょっとムカつきました。だって、私はすべての意識が肩に集中してしまって、ポチの話なんてうわの空なのに。

 もう耐えられない。

「ちょっとぉ、この手、いつまで置いてるのよ」
「え~?」

 明らかに聞こえないふりをするポチ。もうなにも考えられない私は「もうっ、馴れ馴れしいなぁ」と笑ってポチの手を払い除けました。

 私が覚えている限り、それがポチと直接言葉を交わした最後です。

 彼女持ちの年下男子に淡い恋心を抱いた私もどうかと思いますが、彼女持ちのくせに他の女子に馴れ馴れしい男子はサイテーだと思います。だから私はこの恋をまったく引きずることはありませんでした。

 それなのに、私が次に恋をするのは、これから5年も先の社会人になってからのことなのでした。

 そして夏の訪れを感じるたびに、この想い出がよみがえってくるのです。

 今年も暑い夏がやってきます――。

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