パリピに囲まれた陰キャの苦悩(チャレがや企画)
僕が通った高校は全道でも『自由』の許される学校だった。
青、赤、ピンク、金、茶。
3年間で見た、学生の黒以外の髪の色である。
道民、道産子ならここまで言うと、『あそこ』か『あそこ』だなと想像がつくだろう。
そんな自由な学校だから、ほぼ全員がいわゆる『陽キャ』だった。陰キャ属性の僕にとっては、部活に入ることもなく(電車通いと最寄りから自転車×2で片道1時間で遠いのが表向きの理由)、クラスに数人いる同類とつるむことになるのだが、毎年クラス替えする度に人間関係がリセットされる。そんな環境だった。
問題は文化祭だ。
各クラスが出しものを自クラスでするものだから、当日は必然的にどこかに身を移さなければならない。部活の子は部室、仲のいい子(カップル含む)は一緒に回っていく。
結局、僕には広い校舎のなかでまる1日居場所がない非常事態となった。どうするよ?どこで時間を潰せばいい?行き場のない僕が葛藤で悶々としていると、とあるクラスメートが声をかけてくれた。
「暇なら、将棋でも指す?」
これは願ってもない申し出だった。やっと落ち着ける場所を見つけた僕がノコノコと彼についていった先にあったのは、用具室のような狭い部屋。部室だった。
彼は将棋部部長だった。
部長だけあってさすがに強い。駒の動かし方を知っている程度の僕が勝てるはずがなかった。それでも、集中して時間を過ごせることが嬉しかった。
もっと周りとコミュニケーションを取れば、せめて文化系でも部活に入っていれば、人生は変わっていたかもしれない。何とかほぼ毎回合格していた英語構文テストや、様々な授業で立たされたり赤点を取っていたかもしれない。大学や就職先も全く違っていただろう。
それでも、あの青春時代に身の処し方に困るほど陰キャをこじらせたことは、今考えると「非常にもったいないことをした」と思える。
成績も至って平凡で、目立たない、つまらないやつ。
1日休んで皆勤賞を逃した、残念なやつ。
まさに英語教諭の決めゼリフだった、「話にならん、立っとれ!」と自分に言い聞かせたい、もったいない3年間だった。
あーあ、合格発表で番号を見つけたときはあんなに喜んでいたのに。
そう考えると、休職といい、僕は一体40数年の何年間を残念に過ごしているのだろう?こんな恵まれながら無為に生きているやつはそうそういないのではないか?そう思わずにはいられない。
(了)
(980字)
今回は我ながら微妙な感じになってしまいました。
こんな回もあります。
会長の黒歴史の前座と思っていただければ。
ご査収下さい。
