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大学という学歴の必要性(チャレがや企画)

浪人してまで大学に入学し、あまつさえ修士まで修めた人間として、こんなことを言うのはいかがなものかという気もしないでもない。しかし、いち仮説としてなら議論する価値があると思うので、興味のある方はご高覧いただきたい。


さて、いきなり仮説から触れたい。


「大学って、そんなにたくさんの人が行く必要ないんじゃないか?」である。


いや、子どもの頃から「行けるものなら行きたい」と思っていたし、実際にそれだけの実力に恵まれたので大学〜大学院まで行けた。さらに言えば就活でさえ大苦戦しながらも、大学のブランドもあって、こちらでは誰もが知るような会社に入ることができ、それなりの生活ができているのは事実だ。


では、なぜこんな仮説に至ったのか?


理由①
入社すれば、そこからの経験が全てで学歴などほとんど関係ないからだ。メーカーであればなおさらで、高卒入社の社員の中には1年間給料をもらいながら職業訓練を受けて配属される「学校」まである。そのルートから管理職に就いた人も少なくない。
逆に博士号まで取っても管理職になることさえ保証されているわけではない。全ては「入社後にどれだけ学び、成長するか」にかかっている。この話は、メーカーだけではないと思う。現に親戚で高卒から中堅専門商社の役員になっている人もいるし、大学を中退して台頭する人達も多い。


理由②
時代の変化である。20年前、僕が大学院に残ったのは「そのほうがメーカー採用枠的に有利な時代だったから」だ。そのために、さらに奨学金を背負うというリスクを上乗せした2年を過ごしたことにもなる。何百万という借金を抱えての社会人デビューだ。


翻って、今の時代はどうだろう?高卒でも知識はAIでカバーできる時代。大学に、大学院に進む財政的リスクを取る必要があるのか、と考えることもある。


ここまで仮説を立てた理由を述べてきたが、反論もある。完全否定はできないのだ。


反論①
大学は、社会人として自立した人間になる助走期間としての機能を持つ。入学直後の教養科目でやりたいことが見つかり、軌道修正を図る人もいるかもしれない。研究を進めるうちに目指したい業界が変わるかもしれない。高卒から直接入社するのに比べて『大きなアンマッチ』を予防しうる。


反論②
研究者として大学や研究機関への道を目指す場合や、医師や建築士や弁護士、薬剤師などの士業に就く場合だ。高度な専門知識が絶対必要な人達に門戸を開くのが大学だ。同時に、短期的な利益につながらない基礎研究や歴史、哲学探求などの場として欠かせない機能だ。


ここまで双方の見方で大学進学=学歴の必要性を考えてきた。あくまで仮説であり、正解のある話ではない。ただ、『大学全入時代』とまで言われるようになった現在において、盲目的に大学進学を選ぶのはちょっと違うんじゃない?ということをこの年になって思う。

(了)

(1166字)

チャレがや企画、今回も参加します。
(クッソまじめに書いてしまいました)

みくまゆたんさん、コッシーさん、よろしくお願いします。

#みくまゆ会
#チャレがや
#大学

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