コンテストは、民主主義人民共和制から完全民主主義へ?(チャレがや参加作品)
人がどんな領域でも表舞台で活躍するには、『選ばれる』必要があります。選ぶ行為にはいろいろな方法がありますね。選挙、採用活動、資格試験……そして『コンテスト』があります。
コンテストといえば、note内でも公式さんの実施される創作大賞を始めとするものや、クリエイターさん主催の私的なものまで日々たくさん行われていますね。多くのクリエイターさんが何らかの形で挑まれたことがあるのではないでしょうか?
さて、このコンテストですが主催者側はどのように『グランプリ』を決定しているのでしょう?
まずは『応募要項』に合致するか?これは最低限の足切りですね。言語の解釈の問題を除けば、非常に公平に選ぶことができます。
さて、本題です。コンテストには必ず『審査員』がいらっしゃいます。ここからの行程には公平性はありません。まさに『審査員のお眼鏡に適うかどうか』なのです。
審査員がひとり、もしくはごく少数であれば独裁になりますし、ある程度の人数がいらっしゃる場合でも絞り込みは審査員の独断、最終決定は多数決になっていきます。
僕が過去に一度だけコンテストでグランプリを取ったときは、ただひとりの主催、本田すのうさんのこころに刺さった。それだけが理由です。他にも数々の優秀作品が揃う中で選ばれたのは、ただそれだけが理由となります。
『クリエイター 本田すのう』という存在を完全に理解していない限り、一定以上のレベルの作品の中で『運ゲー』となるのです。
他のコンテストに関しても、最終決定の局面では少数多数決か、責任者の独断となるのです。どこかの国の意思決定に似ていますね。
この形態が変わりうるのが、昨今のAIの台頭です。審査員の皆さんの審査基準は要項以外人それぞれでしょうが、選考理由を機械学習することであっという間に選考されてしまう。
AIの独裁ではなく、過去の様々な審査員の選考基準を学習するのですから、たくさんの審査員の多数決に近い状況となります。だから、完全民主主義と言えるのではないでしょうか?
では、応募側もAIで最優秀作品を作ればいいのではないか?という疑問が出てきます。これは心配ありません。AIが作った作品は『作成時点では』最優秀かもしれません。
しかし、我々人間には感情があり、知恵があります。言葉は自由です。ルールのあるゲームとは違います。AIの想定していない作品が飛び出す余地は十分あるのです。
ライティングはAIの台頭とともに、これから衰退すると言われていますが、僕は必ずしもそうとは思っていません。これからも人の手がける面白い作品を書けるし、読める。これからもクリエイター仲間として楽しんでいきましょう。
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みくまゆ会企画『チャレがや』のテーマ『コンテスト』向けに寄稿します。
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