夏の手前のある夜に:阿部野橋の歌唄い
阿部野橋、黄金色の残響
1. 聖域の「場所取り」
1990年代後半の大阪、天王寺。
JR天王寺駅と近鉄阿部野橋駅を繋ぐ巨大な歩道橋(陸橋)は、欲望と哀愁が入り混じる独特の磁場を持っていた。
夕暮れ時、大輔は重いギターケースを肩に食い込ませながら、いつもの「持ち場」へと急ぐ。週に三日。そこは大輔にとってのステージであり、告解室であり、生きていることを証明するための戦場でもあった。
「おおきに~、まいど~」
ギターケースを開け、あらかじめ呼び水として入れておいた100円玉と500円玉を軽く振る。チャリ、という景気のいい音が夜の始まりを告げる。このギターケースは、通行人からすればただの箱かもしれないが、大輔にとっては自分の価値を測る残酷で、かつ最も誠実な計量器だった。
2. 独白のメロディ
夜の8時。帰路を急ぐサラリーマンや、飲み会へ向かう大学生の群れが、川のように大輔の横を通り過ぎていく。 大輔が歌うのは、流行りのカバー曲ではない。自分勝手な、しかし血の通ったオリジナル曲ばかりだ。
「誰も聴いてへんかもしれん。でも、誰かが聴いてるはずや」
そう自分に言い聞かせながら、大輔はかじかむ指で弦を弾く。できたての曲はまだ未完成で、歌うたびに形を変えていく。サビのメロディを少し変えてみる、歌詞にその日の鬱屈を混ぜ込んでみる。飽きるほど同じ曲を繰り返し、阿部野橋の空気に馴染ませていく作業。
10時を過ぎ、人通りが少しずつ緩やかになると、不思議な「対話」が始まる。
3. 交差する人生
ストリートは、劇場だった。 ある夜、大輔の歌の途中で一人の女性が足を止めた。彼女はしばらくじっと大輔の指先を見つめていたが、やがてハンカチで目元を拭った。別れたばかりの彼氏を思い出しているのか、それとも自分の人生の行き止まりを悟ったのか。彼女がケースにそっと置いた1000円札は、涙の代償のように見えた。
かと思えば、「キャー!かっこいい!」と無邪気な黄色い声を上げる女子高生の集団が通り過ぎる。彼女たちにとって、大輔の歌は阿部野橋というアトラクションの一部に過ぎない。
さらには、焦点の定まらない目でふらふらと近づいてくるヤンキー。彼は大輔の目の前でしゃがみ込み、「ええやんけ……」と呟いたまま動かなくなる。 隣では風船パフォーマーがキュッキュと音を立てて犬を作り、少し離れた場所では別のミュージシャンが、ライバルというよりは同志のような眼差しでこちらを睨みつけている。
「みんな、何処かで繋がってるんやな」
大輔は歌いながら、そのカオスな光景を愛おしく感じていた。音楽という見えない糸が、縁もゆかりもない他人同士を、ほんの一瞬だけ阿部野橋の陸橋の上に繋ぎ止めている。
4. 金色の時間
深夜12時。 終電のベルが遠くで鳴り響き、人の流れがプツリと途絶える。街の騒音が引き、排気ガスの匂いと夜風の冷たさが際立つ頃、大輔の演奏は終わる。
指先は弦との摩擦で硬くなり、喉はガラガラだ。しかし、心は驚くほどに満たされていた。 ギターケースの中には、100円、500円、そして数枚の1000円。 その合計金額は、決して裕福な暮らしを約束するものではなかった。それでも、それは誰かが自分の「自分勝手な曲」に対して払ってくれた、魂の対価だった。
「音楽で生きてる!」
そう実感した瞬間、街灯の光がアスファルトを照らす様が、まるで黄金色の絨毯のように見えた。あの時間は、間違いなく大輔の人生における「黄金期」だった。
5. 忘れえぬ「夏の手前のある夜」
今の時代、ストリートで歌えばすぐに「騒音」だと通報される。スマホの画面に目を落とす人々は、街角の生演奏に耳を貸す余裕を失ってしまった。あんなに自由で、無鉄砲で、泥臭い音楽の時代は、もう二度と日本には来ないのかもしれない。
それでも、大輔の指先にはまだあの感触が残っている。
「夏の手前のある夜に」
その曲を歌うとき、大輔はいつも不思議な感覚に陥る。まだ見ぬ「君」――それは将来の自分かもしれないし、いつか出会う大切な誰かかもしれない。陸橋を吹き抜ける生ぬるい風の中に、その「君」が確かに立っていて、微笑んでいるような気がしたのだ。
大輔はゆっくりとギターケースを閉じる。 あの頃の阿部野橋はもうないけれど、あの夜に放ったメロディは、今もどこか大阪の夜空を漂い続けている。
「おおきに、まいど」
誰もいなくなった陸橋に向かって、大輔は小さく呟いた。
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