第6回 評価された失敗、そして初めてのリストラ ── ガラケー時代の表と裏
失敗にも、ちゃんと目を向けてくれる人がいた
前回書いた、最初の携帯電話開発は、正直なところ成功とは言えなかった。だが、その失敗は間違いなく、エンジニアとしての経験になった。私も、そうだった。
私自身は試験担当で、大した貢献はしていないと思っていた。それでも、ハードウェアの部署の手伝いをしていたことなどが評価され、査定は高かった。今でも覚えている。見ている人は、ちゃんと見ていてくれる。それが素直に嬉しくて、賞与にも上乗せがついた。
携帯部署の解体、そして転職への一歩
その後、携帯電話の部署はバラバラに再編され、私は新機種を開発する部署へ異動になった。
そんなとき、以前の同僚から声がかかった。誘いを受けて、私は自分から会社を退職し、新しい道へステップアップすることにした。行き先は、携帯電話の事業者(キャリア)だった。
ガラケー仕様を作る、責任重大な仕事
そこで担当したのは、いわゆる「ガラケー」──日本独自の仕様をキャリア側が制定し、メーカーに開発してもらう、という仕事だった。

携帯電話の仕様を策定し、試験手順書を充実させ、受け入れ試験を行い、メーカー様の出荷の合否を判定する。極めて重要な役割で、メーカー各社との緊密な連携が欠かせない仕事だった。
新しいメール仕様、ブラウザ仕様、メールの仕様。その他独自仕様、通信では2Gの仕様を詰め、別の部署では3Gの準備も進んでいた。とにかく忙しい会社だった。
メーカさんの開発中の端末が新製品仕様のプロトコルを試験できない為、ラボを用意して、特別な試験場所で試験をしてもらう施設の管理人などもした。メーカさんにも来ていただき、試験をして頂いた。私は管理人をしたり、ブラウザやメール仕様等の管理業務をしたり、他部署の調整、メーカ様の端末担当、新端末ラインナップの試験調整など多岐にわたり忙しかった。深夜や休日も業務をしているメンバーは多かった。スケジュールを守ることがとても大事だった為だ。

会社が大きくなるにつれ、仕事の重みも増していく
会社の規模が大きくなるにつれ、給与体系も変わり、組織も膨らみ、扱う予算も大きくなっていった。
私は試験を行う部署にいたので、受け入れ試験のための測定環境を整える予算取りや稟議、メーカー様の担当としての折衝、量産に至るまでのメーカー様とのやり取りを担っていた。どうしても容認できない不具合が見つかれば、修正を依頼する。そういう、簡単には割り切れない判断を求められる仕事だった。
突然の大リストラ
しかし、会社の業績が思わしくなかったのか、ある時期から大きなリストラが始まった。
私は、どうやらそのリストラの対象になっていたようだった。仕方がないので、会社を退職することにした。
原因はわからないが、給与体系が変わり、急に高額な給与を頂いていた。なんかバランスがおかしいとは思っていたが、給与の多い役職を中心にターゲットとされた。しかし業務を中心に回していたメンバーが一気に消えるのは、残されたメンバーは大変だったと想像するが仕方ない強引なリストラ対策ではあったことを記憶している。
会社は次の就職先を探すサポートをしてくれた。だが、私が希望する職種では、なかなか面接まで進むことができなかった。今でこそAIの追い風で花形になっている半導体業界。当時の私も、その業界に入りたいと思っていた。だが、経験がないという理由で、需要はまったくなかった。
古巣へ戻る、という選択
仕方なく、私は以前勤めていた携帯電話の開発会社へ戻ることにした。以前採用してくれた上司へ相談した。快く話をしてくれ面談し採用された。
今度の役割は、携帯電話の開発を調整する業務だった。開発の現場から少し離れた立ち位置ではあったが、これまでの経験を活かせる仕事でもあった。
また偶然にも前職のキャリア向けの携帯電話の開発を担当となった。先方の窓口は私の部下だった女性だったが、こちらが色々と基礎的なことを政治的な理由で、対応ができないので、怒られたことを今でも忘れない。とても悲しかった。
振り返って
失敗した開発でも評価してくれる人がいたこと。会社が大きくなるにつれて重くなる責任を背負ったこと。そして、突然リストラの対象になり、行きたかった業界の扉は開かなかったこと。
思えば、キャリアというのは自分の思い通りにはいかない。半導体業界に進めなかった悔しさは、正直あった。だが、その代わりに古巣へ戻るという選択肢が残されていたのも事実だ。行きたい場所に行けないとき、それでも進める場所へ進む。それもまた、一つの生き延び方なのだと思う。
次回も、この続きを書いていきたい。
