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第135章|時代の振り返り|35年回顧録

私は、1986年、27歳の時に創業した。

今回の第135章回顧録は、
私自身の35年の歩みと並行して起きた、
日本社会の大きな時代変化について振り返ってみた。

時代は、
景気だけではない。

法律。
金融。
震災。
人口。
流通。
IT。
そして、人の価値観。

それら全てが、
商売の景色を変えていった。

■ 1979年〜|大店法改正と地方商店街の衰退

大型店出店規制の緩和により、
地方の古い商店街の衰退が本格的に始まった。

郊外型大型店舗時代の入口だった。

私はその頃、
ホテル勤務をしながら、
夜は飲食店アルバイトを掛け持ちしていた。

その後、
個人飲食店を任され、
経営や現場経験を積んでいく事になる。

■ 1986年〜|バブル景気

当時、
私は素人同然でパン屋を創業した。

出店先は、
大手量販店
マイカル
グループ内。

時代は好景気。

世代交代や店舗整理も重なり、
私は、
リストラ対象店舗を
低投資で取得出来るチャンスを得た。

その流れの中で、
3店舗まで事業拡大していく。

■ 1990年〜|バブル崩壊と阪神淡路大震災

日本経済は一変した。

土地神話は崩壊し、
多くの企業や銀行が苦境へ向かった。l

私は、
本社工場設立を進めたが、
結果的に市から退去要請を受け撤退する。

この頃、
私は初めて、
「人の良心すら疑う時代」
がある事を知った。

さらに、
阪神・淡路大震災
が発生。

関西経済にも大きな傷跡を残した。

■ 1997年〜|金融危機

金融不安が日本全体を覆った。

そして、
マイカル
破綻の煽りを受け、
我々も本店を喪失した。

その後、
共同出資により、
大阪ユニバーサルシティ地区へ移設。

しかし、
共同出資は後に解消。

最終的に、
再び直営2店舗体制へ戻る事になる。

■ 2001年〜|IT時代の始まり

世の中は、
インターネット時代へ入っていった。

私は、
大阪ベーカリールフランFCに参加。

そこから、


  • イズミヤ奈良

  • 大丸ピーコック継承店舗

  • ならコープ

  • 伊丹・大阪北コープ

  • 平和堂

など、
多店舗展開を加速していく。

この頃は、
量販店インショップベーカリー全盛期でもあった。

■ 2008年〜|リーマンショック

世界金融危機。

日本経済も再び冷え込んだ。

その中でも、
私は店舗取得を続けた。


  • 平和堂5店舗

  • 近鉄駅前4店舗

などを取得。

景気が悪い時ほど、
逆に動ける人間にはチャンスも生まれる。

そんな時代でもあった。

■ 2011年〜|東日本大震災

東日本大震災
は、
日本人の価値観を変えた。

私はその頃、


  • 神戸コープ西宮

  • 京都桃山コープ

  • 大丸ピーコック北生駒

などを取得。

さらに、
ベーカリー独立スクール&カフェも取得した。

この頃、ようやく売上も20億を達成した。

しかしその後、
大丸ピーコック破綻により、
7店舗を喪失。

その後、
平和堂八幡、
ホームセンタームサシ京都八幡、
ならコープ七条などへ移設していく。

そして個人的には、
余命宣告を受け、
大手術も経験した。

人生観が大きく変わった時期でもある。

■ 2020年〜|コロナ禍

そして、
世界はコロナ禍へ突入する。

人の移動。
外食。
観光。
夜の街。

全てが止まった。

これまで経験してきた、
バブル崩壊、
金融危機、
リーマンショックとも違う。

「人が外へ出られない」

という、
戦後でも異常な時代だった。

特に飲食業界は、
強烈な打撃を受けた。

ただ、幸いなことに私の事業は売上が高騰した。
正に、時代の変化悪化に強い西洋米のテイクアウト
ビジネスだと思った。

ただ、何故か自分の事業に対する熱が低下して
いた…

35年を振り返ると、

商売とは、
商品を売る事ではない。

“時代の変化に適応し続ける事”

だったように思う。

そして今、
AI時代という、
更に大きな転換期が始まっている。

私の熱が低下した理由は、
新しい時代の入口を感じたことにある。

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