同じ空|鬼死骸村のどこかで
この物語は、実在の土地・史跡を基にした
フィクションであり、神話であり、記録である。
一つの語りとしての記録である。
(鬼死骸村探検隊|実在する旧鬼死骸村を舞台にした物語)
<あらすじ>
岩手県、旧・鬼死骸村。
秋から夏へ、春へ、冬へ。
季節を逆にたどりながら、
村に生きる人たちの、
ある瞬間を切り取る。
言葉にならないものが、
そこにある。
あかりは、秋の空を見ていた。
「去年も、こんな空だった」
誰も聞いていなかった。
空が高い
ケンジ
足早に役場に向かう。
空が高い。
洗濯物が、よく乾きそうだった。
「おーい」
香那
庭先で、洗濯物を干し、見上げてみる。
空が高い。
国道の向こうで、
ケンジさんが、手を振っていた。
白いシーツが、
風に大きく揺れている。
胸の奥だけ、遠くに置いていかれる気がした。
響子
祖母の実家に、忘れ物を取りに来た。
窓を開けると、山の上まで空が続いている。
高すぎて、昔の人に近い気がした。
沢渡
空が高い。
山の輪郭だけ、妙にはっきり見える。
秋だけ、空気の距離が変わる。
映美
集会場に向かう途中。
子供の声が、遠くから聞こえた。
見上げると、空が高い。
もう戻らない気がした。
あかり
空が高い。
空だけは、先にこちらに気づいていた。
遠雷
ケンジ
夕暮れ時。
机に書類を広げている。
たまった仕事が終わらない。
遠くで、雷が鳴る。
降る前に帰れればいいけど。
香那
夕飯の支度。
鍋の蓋をとる。
遠くで、雷が鳴る。
ふと、外を見る。
山の向こうで、光っている。
沢渡
研究室の窓を開ける。
遠くで、雷が鳴る。
音より先に、空気が揺れる。
映美
集会場で帰り支度をしている。
遠くで、雷が鳴る。
あの日も、こんな空だった。
あかり
遠くで、雷が鳴る。
雷は、まだ落ちていない場所を知っている。
蝉の声
ケンジ
朝日に照らされ、目覚める。
蝉が鳴きだしていた。
今年は、朝からうるさい。
香那
朝の散歩。
家に近づくと、
徐々に日差しが強くなる。
蝉が鳴きだした。
静かな場所だと思っていた。
響子
祖母の家では、なぜか早起きになる。
蝉が鳴いている。
祖母の家は、昼だけ時間が遅い。
沢渡
研究室に泊まった朝。
蝉が鳴きだした。
声だけで、姿が見つからない。
映美
窓を開ける。
蝉が鳴きだした。
夏休みは、まだ長かった。
あかり
蝉が鳴きだした。
土の下は、まだ静かだった。
春の水
ケンジ
堤防の道は、役場への近道。
川沿いの風だけが、まだ冬を離さない。
濁った水が、岸辺の枯れ草を巻き込みながら流れていく。
雪解け水で、川が増している。
香那
祖母の畑仕事を、
慣れない手つきで手伝う。
長靴の裏に、濡れた土が張りついて重い。
畑の向こうの川。
雪解け水で、川が増している。
陽を受けた明るい水面。
流れだけがどこか急いでいる。
村の静けさより先に、水の音だけが近い。
沢渡
ガードレール越しに、川面が光っていた。
水が、草を押し流していた。
雪解け水で、川が増している。
冬の境界線が、崩れていく。
季節の残骸が、下流へ運ばれていった。
映美
郵便局の帰り、橋の上で足を止める。
橋の欄干が、少し暖かかった。
見下ろした川は、いつもより白く泡立っていた。
雪解け水で、川が増している。
耳を澄ました。
昔は、この音で目が覚めた。
春が来たのだと、誰かに教えられる前に。
あかり
雪解け水で、川が増している。
水は、前にもここを通った気がする。
同じ桜
ケンジ
昼休み。
桜が咲いている。
今年も、役場の裏が一番早い。
香那
縁側に、祖母と二人で座っている。
香那は、湯呑みを両手で包んだ。
まだ少し冷たい風が、頬を撫でる。
庭の古い桜が、咲いていた。
風が吹くたび、怖いと思った。
祖母は黙っていた。
湯気だけが、ゆっくり流れていた。
いつの間にか、お茶が冷めていた。
響子
窓の外には、山が見える。
山では、もう桜が咲いている。
祖母の桜は、咲いただろうか。
沢渡
桜が咲いている。
同じ木でも、毎年少し形が違う。
映美
春の日差しの中、
桜が咲いている。
卒業写真は、いつも曇っていた。
曇り空に散っていく桜が好きだった。
あかり
桜が咲いている。
散る前から、地面は知っていた。
同じ雪
ケンジ
役場を出ると、ちょうど雪が降ってきた。
街灯の光に、白い粒だけが浮いている。
コートの襟をたてる。
明日、早起きだな。
香那
窓の外。
庭に、雪が積もっていた。
誰の足音も、残っていない。
沢渡
雪が降っている。
この、音が吸われる感覚は、何だろう。
映美
集会場の外。
雪が降ってきた。
耳を澄ました。
子供の頃と同じ音がする。
あかり
雪が降ってきた。
雪の方が、耳を澄ませている気がした。
冬の窓
ケンジ
朝、目覚めたら、
窓が凍っていた。
駐車場の車が、
フロントガラスまで凍っている。
車、ちゃんと動くかな。
香那
寒い朝。
まだ薄暗い台所。
床が冷たい。
凍える指を、両手で摩る。
窓が凍っている。
息を吹きかけたけど、溶けなかった。
凍った窓の向こうで、
山だけが白く光っていた。
沢渡
研究室の朝。
窓が凍っている。
白い結晶が、枝のように広がっている。
結晶は、なぜ同じ形になるのだろう。
映美
かじかんだ手に、息を吹きかける。
朝日が、凍った窓に光っていた。
指で丸を描いた。
そこから外の景色が、滲んで見えた。
あかり
窓が凍っている。
誰の息で曇ったのか、わからなかった。
同じ月
ケンジ
仕事の帰り。
ケンジは、家路を急ぐ。
「もう、こんな時間だ」
足元が明るい。
今日は、月が大きい。
空を、見上げる。
「ああ、今日も月が出てる」
ふと、都会に行った友人のことを思い出した。
「明日も仕事か……」
足早に、家路を急ぐ。
香那
夕暮れ時、
食事の後片付けをすませる。
香那は、急須でお茶を注ぐ。
祖母の前に、置く。
「ありがとう」
外を見ていた祖母が、言った。
「香那さん、月が綺麗じゃよ」
「綺麗ね」
「でも、なぜか少し、遠い気がする」
香那は、小さく呟いた。
隣で祖母は、黙って風を感じていた。
響子
響子は、祖母の実家に来ていた。
祖母も、昔、きっと見ていた月。
今、自分が見ている月と同じだろうか。
少し、怖い。
風が、祖母の方から吹いてきた気がした。
映美と沢渡
集会場。
日が暮れる。
沢渡は、資料を広げている。
映美は、残っていた書類の整理。
沢渡が、ふと顔を上げ、窓の外に視線を投げる。
「月が出てる」
満月を通り過ぎて、少し小さくなった月。
映美も同じ窓を見た。
「ほんとだ。見に行きましょう」
二人は、集会場の前で月を眺める。
「綺麗な月ね。でも、近くで見ると、眩しすぎるかも」
映美が言った。
少し間を置き、沢渡が言った。
「……月には、大気がないからな」
「え?」
「遮るものが何もない。だから影が、すごく濃い」
風に乗って、虫の音だけが揺れている。
でも、この風は月には届かない。
あかり
あかりは、月を見ていない。
月に、見られている。
あかりは、月を見ていた。
「来年も、こんな月だ」
誰も聞いていなかった。
この物語は、実在する岩手県一関市・旧鬼死骸村を舞台にした、
記録・神話・現代が織りなす物語の一編です。
この村には、フィクションでは作れない地形と歴史があります。
鬼死骸村の全体像は、【鬼死骸村探検隊】(ポータルページ)にて。
地図・動画・神話・怪異記録が重なっています。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします!
いただいたチップは探検活動の費用に活用させていただきます。