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書かれなくなった村|鬼死骸村のどこかで

この物語は、実在の土地・史跡を基にした
フィクションであり、神話であり、記録である。
一つの語りとしての記録である。
(鬼死骸村探検隊|実在する旧鬼死骸村を舞台にした物語)


<あらすじ>
鬼死骸村についての記録は、ある時期を境に急に消える。
古い地図、風土記、村誌 —— 断片的に残されていたはずの記録が、
明治以降、奇妙なほど書かれなくなっていく。
村が消えたわけではない。人も、まだ暮らしている。
情報工学の研究者・沢渡は問う。なぜ村は、書かれなくなったのか。
書かれない村は、どのように存在し続けるのか。

記録と沈黙のあいだに浮かぶ、ある村の物語。

本編:約3,000文字


書かなかった人

響子の車が、村の外れで止まっていた。
深紅のロードスター。
年式は、誰も知らない。

エンジンをかけると、滑らかに回転が上がり、雑味のない甲高い音がする。
暖機運転は、いつも少し長め。
しばらく、その音だけが夜の中にあった。

村人は、その音で時計を合わせる。
時刻は、いつも合っている。

沢渡は、それが気になっていた。
気になっていたが、理由を言葉にできなかった。

ただ、こう思った。
——この村は、正確すぎる。


沢渡は、黒板に年号を書いた。
明治六年。
その下には、何も書かなかった。

教室の後ろで、誰かが小さく咳をした。
「先生」学生が手を挙げた。
「この後は、どうなるんですか」

沢渡は、一度だけ黒板を見てから、教室の方を向いた。
「記録が、続いていない」

学生は、ノートを取る手を止めた。
「続いていない、というのは……
 無くなった、ということですか?」

沢渡は、少し考えてから答えた。
「無くなった、とは書かれていない」

教室が、わずかにざわついた。
「じゃあ、実在しないんですか?」

沢渡は、すぐには答えなかった。
「実在する、という言い方は」
間を置いて、
「たぶん、向いていない」

学生の一人が、苦笑した。
「行けば、分かりますか?」

沢渡は、その質問だけを、聞かなかったことにした。

チャイムが鳴った。

沢渡は、消し忘れた年号を、
そのままにして、教室を出た。


雑味のない甲高い音

「あの車、珍しい音ですね」
沢渡が言うと、響子は、少し考えてから答えた。

「説明が面倒なやつです」

沢渡は、それ以上、聞かなかった。

夜、村の外れで、エンジン音が一瞬だけ高鳴った。
それを聞いた村人は、時計を見た。
時刻は、合っていた。

そのスムーズで甲高い音は、
遠く、風の中に消えていった。


普通に生きてる人

ケンジは、役場で書類を書いている。
住所欄で、少しだけ、手が止まった。
選択肢に、鬼死骸村がなかった。

鬼死骸村は、明治の初めから、書かれなくなった。 
消されたわけじゃない。
書き足されなかっただけだ。
 
それを、間違いだとは思っていない。
 
書かれなくなった場所を、
ケンジは、毎朝、見てるから。


場所を覚えただけ

役場の倉庫は、表から見える建物より、ずっと古かった。

外壁の色は、何度も塗り替えられているはずなのに、
年月だけが、塗り残されているようだった。

沢渡は、目的を説明しなかった。
説明を求められなかったからだ。

倉庫の鍵は、役場の奥の机の引き出しにあった。
どの引き出しか、最初から、分かっているような手つきで、
誰かが、それを取り出した。

「使ったら、戻しておいてください」
そう言った声は、名前を名乗らなかった。

倉庫の中は、整理されているようで、整理されていなかった。
段ボールには、年度だけが、書かれている。
中身の説明はない。

古い台帳。
綴じ直された紙束。
書式の途中で、項目が一つ減っている書類。

沢渡は、それらを、順番に開いていった。

村の名が、現れたり、現れなかったりした。
同じ年の記録でも、あるものにはあり、別のものには無い。
修正液の跡。
消された文字。
いや、消しきれなかった文字。

「ここは、何だったのか」
それを説明する資料は、一つもなかった。
あるのは、説明が途中で、終わっている痕跡だけだった。

沢渡は、一冊の台帳を閉じた。
閉じたまま、しばらく、その表紙に手を置いていた。
持ち帰ろうとは、思わなかった。
コピーを取ることも、写真に残すことも、しなかった。

台帳は、元の箱に戻された。
箱は、元の棚に戻された。
倉庫は、何も変わらなかった。

鍵を返すとき、誰も確認しなかった。

沢渡は、その場所を、覚えただけだった。


確かめない人

戸籍謄本の写しに、響子は、見慣れない地名を見つけた。
消されかけたような、薄い文字。
祖母の名前の近くに、
——鬼死骸村。

ふと、幼い頃、祖母から聞いた話を、思い出した。

「書かれなかった部分にこそ、
 長く残るものがある」

その言葉の、意味は分からなかった。
そのときは、おとぎ話だと思っていた。

響子は、それを確かめようとは思わなかった。


行ってみれば、分かる

鬼死骸村は、地図の端にある。
あるいは、かつて端にあった。

正確な位置は、資料ごとに、少しずつ違っている。

沢渡恒一が赴任して数年が過ぎた頃、
彼はようやく、この村の名を、研究室で口にするようになった。

「先生は、行ったことがあるんですか?」
学生に聞かれ、沢渡は、一瞬だけ考えてから答えた。

「……記録に残りきらなかった場所。行ってみれば、分かる」
沢渡は、それ以上、説明しなかった。

史跡はある。
説明板もある。
観光用のパンフレットも、最低限は揃っている。

だが、どれを読んでも、“ここが何であるか” は、
はっきりとは書かれていない。

研究室の窓から、風が木々を抜ける音がする。

沢渡は、それを聞いていただけ。

それが何の音か、確かめはしなかった。


確かめなかった音

祖母の部屋には、ピアノがなかった。
それでも、祖母はよく、指を動かしていた。

机の上。
膝の上。
何もない空間に。

「昔、習ってたの?」
と聞くと、祖母は、少し考えてから言った。

「説明が面倒なやつ」

それ以上は、話さなかった。

ある日、祖母の古い書類の間から、折り目のついた紙が出てきた。

五線譜。
音符は、途中で途切れている。
曲名は、書かれていなかった。

響子は、それを、ピアノで弾こうとは思わなかった。
何の音か、確かめなかった。

紙は、元の場所に戻した。

祖母は、もういなかった。


風の中に消えていた音

寄り合いが終わったあと、集会場には、まだ灯りが残っていた。
役場のスタッフが、片付けと掃除をしている。

床の隅に、小さな紙切れが、落ちていた。

折り目のついた、手書きの五線譜。

誰かの忘れ物か、それとも、捨てられたものか。

集会場の隅にある、アップライトピアノ。
調律したのは、いつだっただろう。

なんとなく、音符をなぞってみた。
調律のゆるいピアノで。

聞いたことがあるような、ないような、
懐かしいような、そうでもないような音。

「なんだ、これ」
スタッフは、それ以上、気にしなかった。

外に、かすかに音が漏れた。

夕方の道を歩いていた、一人の村人が、
ふと、足を止めた。
気がつくと、自然と、集会場の方へ足が向いていた。

北国の日差しは、低い。
外に出たとき、もう音は、風の中に消えていた。

今日も、特別なことはなかった。


朝霧

朝霧が、村を、ぼんやりと覆っていた。

家も、道も、畑も、山も、
そこにある。

音は、まだ、
届いていなかった。


いつも通りの日

朝、ケンジは、いつも通り起きた。

天気は、悪くなかった。
霧は、もう引いていた。

役場に行き、机に座り、書類を一枚ずつ、処理していく。

住所欄で、一度だけ、手が止まった。
選択肢の中に、見慣れた名前がなかった。

ケンジは、それを不思議だとは思わない。
昔から、そういうものだった。

空欄に、別の地名を書き込む。
正式なほうを。

窓の外では、風が、木々を揺らしている。
その音を聞いて、ケンジは、少しだけ、時計を見た。
時刻は、合っていた。

昼休み、集会場の前を通った。
中から、ピアノの音がした気がした。
聞いたことがあるような、ないような。

立ち止まるほどではなかった。

午後も、仕事は続いた。
特別なことは、何もなかった。

帰り道、ケンジは、村を見渡した。
書かれなくなった場所を、毎日、見ている。

今日も、ごく普通の一日だった。

この物語は、
ここで一旦、終わりである。

しかし、「完」とは書かない。
なぜなら、
書かれなくなった村


この物語は、実在する岩手県一関市・旧鬼死骸村を舞台にした、
記録・神話・現代が織りなす物語の一編です。
この村には、フィクションでは作れない地形と歴史があります。
鬼死骸村の全体像は、【鬼死骸村探検隊】(ポータルページ)にて。
地図・動画・神話・怪異記録が重なっています。



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