あかり覚書
この物語は、実在の土地・史跡を基にした
フィクションであり、神話であり、記録である。
一つの語りとしての記録である。
(鬼死骸村探検隊|実在する旧鬼死骸村を舞台にした物語)
<あらすじ>
鬼死骸村の断片的な記録の中に、ときどき「あかり」という名前が現れる。
誰なのかははっきりしない。
村人なのか、よそ者なのか、あるいは記録の外側にいる者なのか。
だが、彼女の残した言葉には共通点がある。
小さな出来事。日常の断片。
そして、説明しようとすると崩れていく感覚。
あかりは唄う。
誰かに聞かせるためではなく、そこにある音を確かめるために。
これは村の歴史ではない。
だが、村のどこかで確かに続いている、何かの痕跡である。
― あかりは唄を知っている ―
第I話:停留所にバスは来ない
バスは、もう来ない。
それを知っているのは、あかりだけではない。
この村に住んでいる人は、みんな知っている。
それでも、停留所は残されている。
残された、というより、
忘れられきれなかった、という方が近い。
あかりは、その停留所に座っている。
板張りのベンチは、
ところどころささくれていて、
座るたびに服の裾が引っかかる。
でも、気にしない。
ここは、長く座る場所だから。
停留所の標識には、
「鬼死骸停留所跡」と書かれた新しい看板が、
あとから付け足されている。
元の名前は、もうその下に隠れて見えない。
文字は消えても、場所は消えない。
あかりは、それを知っている。
山から風が下りてくる。
風は、いつも同じ速さではない。
今日は、少し遅い。
あかりは、唄う。
大きな声ではない。
誰かに聞かせるつもりもない。
ただ、
声が出るところに、
音を置いていくだけ。
——あぁ、うぅ、いぃ……
言葉にはならない音。
意味を持たない音。
でも、
間違うと、すぐに分かる。
少しでも音がずれると、風が止まる。
完全に外すと、
山が深く息を吸ったまま、吐かなくなる。
だから、慎重に。
でも、怖がらずに。
あかりは、
音程を探すのではなく、思い出す。
どこで覚えたのかは、分からない。
教わった記憶もない。
ただ、最初から知っていた。
遠くで、車の音がする。
観光客だ。
最近は、
この停留所にも人が来る。
写真を撮って、
「ここが例の場所か」と言って、すぐに帰っていく。
あかりのことを見る人もいる。
でも、声はかけない。
「演出かな」
「地元の子?」
そんな言葉が、風に混じって流れてくる。
あかりは、気にしない。
見られることと、分かってもらうことは、
違うから。
二人の男が、道を歩いてくる。
一人は、少し考え込んだ顔をしている。
もう一人は、落ち着きなく辺りを見回している。
——あの人たち、ここを“探してる”。
あかりは、そう思う。
でも、
何を探しているのかは、分からない。
二人は、あかりの前を通り過ぎる。
一瞬、考え込んだ顔の方が、こちらを見る。
目が合う。
その目は、優しいけれど、少し遠い。
「分かりたい」と思っている目だ。
あかりは、
唄うのをやめない。
やめる理由が、ないから。
二人は、そのまま行ってしまう。
山の方へ。
七つ盛りのある方へ。
あかりは、
唄いながら、少しだけ首をかしげる。
——まだ、揃ってない。
何が、とは言わない。
言えない。
言葉にした瞬間、壊れてしまうものもある。
風が、また少し動く。
音が、地面の下で揺れる。
ここには、首が眠っている。
それを、あかりは知っている。
怖くはない。
切り離されたものは、
切り離されたままではいられない。
それだけのことだ。
唄が終わると、
あかりは、しばらく黙って座っている。
次の音が来るまで。
バスは、来ない。
それでも、
この場所は、待つことをやめていない。
あかりは、立ち上がる。
裾についた土を払う。
そして、
最後にもう一度だけ、停留所を見る。
——まだ、続いてる。
それを確かめてから、
あかりは歩き出す。
山とは反対の方へ。
でも、唄は、ここに残していく。
風が、それを覚えているから。
第II話:唄は教わっていない
あかりは、
自分が唄える理由を知らない。
知らないけれど、困ったことはない。
知らないことと、できないことは、
同じではないから。
村の人は、ときどき聞く。
「その唄、誰に教わったの?」
あかりは、少し考える。
本当のことを言おうとすると、
言葉が足りなくなる。
「……わからない」
そう答えると、
大人は困った顔をする。
まるで、あかりが嘘をついたみたいに。
あかりは嘘をついていない。
ただ、覚えたのではない。
最初から、あった。
家に帰ると、古いラジオがある。
もう電波は拾わない。
でも、
つまみを回すと、
かすかにノイズが鳴る。
あかりは、その音を聞くのが好きだ。
ノイズの中には、唄と同じ揺れがある。
——あぁ……ここ。
唄う前に、あかりは息を吸う。
深すぎると、音が重くなる。
浅すぎると、風に持っていかれる。
胸の奥で、ちょうどいいところを探す。
それは、
数えることではない。
体が覚えている。
外に出る。
山の方から、低い音が返ってくる。
耳ではなく、足の裏で感じる音。
七つ盛りが、今日も鳴っている。
あかりは、近づかない。
近づく必要が、ない。
あれは、掘るものではない。
叩くものでもない。
揃うまで、待つものだ。
唄う。
今日の音は、少しだけ揺らす。
三つ目の音を、ほんの少し下げる。
七つ目は、決めない。
決めすぎると、止まる。
あかりは、それを知っている。
理由は知らない。
——昔の人も、同じだった。
そう思う。
それが、どの昔なのかは、分からない。
夜になると、村の集会所が騒がしい。
何か、新しいことが始まるらしい。
「便利になる」
「助かる」
「良くなる」
言葉は、どれも明るい。
でも、音が揃いすぎている。
あかりは、
遠くから聞いている。
唄と違う。
ここには、揺らぎがない。
——ちょっと、こわい。
それでも、あかりは唄う。
止めない。
揺らぎは、残さなければならない。
誰かが決めすぎないように。
夜風が、少し冷たい。
あかりは、声を低くする。
——うぅ……あぁ……
山が、息を吐く。
ちゃんと、吐いている。
それでいい。
誰も、教えなくていい。
教えられたら、
たぶん、できなくなる。
唄は、正しくなくていい。
揺れていれば、それでいい。
あかりは、唄を終える。
今日も、誰にも教わらなかった。
それで、ちゃんと、続いている。
第III話:七つ盛りは鳴っている
七つ盛りは、鳴っている。
いつから鳴っているのかは、分からない。
あかりが生まれる前からかもしれないし、
生まれたあとに、また鳴り始めたのかもしれない。
でも、止まったことはない。
あかりは、
七つ盛りを遠くから見る。
近づくと、音が分からなくなる。
だから、離れている。
近づいて分かるものもあるけれど、
離れていないと聞こえない音もある。
七つの盛り土は、
静かに並んでいる。
形は少しずつ違う。
崩れているものもある。
人の手が入った跡もある。
でも、全部ではない。
——全部は、掘られていない。
それが、あかりには分かる。
地面の下で、音が重なっている。
一つずつは、はっきりしない。
でも、
七つが揃うと、空気が変わる。
あかりは、唄わない。
ここでは、唄わない。
唄うと、音が前に出すぎる。
それは、よくない。
七つ盛りは、自分で鳴る。
唄は、呼び水みたいなものだ。
昔、誰かが掘った。
それも、あかりは知っている。
欲しかったのかもしれない。
守りたかったのかもしれない。
どちらでも、同じだ。
音は、動いた。
でも、全部は、動かなかった。
——だから、まだ揃ってない。
風が、盛り土の間を通る。
風も、鳴っている。
木の葉の音。
草の擦れる音。
土の中の、鈍い響き。
全部が、同じ拍子ではない。
だから、続いている。
遠くで、人の声がする。
機械の音もする。
あかりは、少し眉をひそめる。
——触りすぎると、ずれる。
ずれた音は、すぐには戻らない。
時間がかかる。
ときには、戻らない。
七つ盛りは、怒らない。
でも、応えなくなる。
あかりは、
それがいちばん怖い。
誰も悪くないのに、
ただ、聞こえなくなる。
あかりは、
地面に座る。
土に手を置く。
冷たい。
でも、
冷え切ってはいない。
——まだ、眠ってる。
それでいい。
全部が起きたら、終わる。
あかりは、そう思う。
だから、唄わない。
今日は、聞くだけ。
七つ盛りは、
今日も鳴っている。
聞こうとしなくても。
掘らなくても。
ただ、ここにいるだけで。
第IV話:正しい人たち
あかりは、
人が集まる場所が、少し苦手だ。
声が重なると、音が平らになる。
平らな音は、どこか怖い。
でも、今日は見に行く。
山のふもとで、何かが始まっている。
新しいものらしい。
人が集まっている。
笑っている人もいる。
困った顔をしていた人が、
少し楽そうにしている。
——助かってる。
それは、あかりにも分かる。
道が整えられて、
水が引かれて、
夜の灯りが増えた。
誰も損をしていない。
怒っている人もいない。
中心にいる女性は、よく話す。
静かだけれど、よく届く声だ。
あかりは、遠くからその人を見る。
——あの人、正しい。
言っていることも、やっていることも。
順番も、理屈も、ちゃんとしている。
村の人たちは、うなずく。
同じところで、同じように。
その揃い方が、
少しだけ、気になる。
風が、今日は弱い。
音が、まとまりすぎている。
あかりは、
耳を澄ます。
人の声の間に、揺らぎが少ない。
迷いがない。
——迷わない人は、こわい。
でも、それは悪い意味ではない。
あかりは、ちゃんと分かっている。
迷わない人は、
誰かの代わりに迷ってきた人だ。
女性は、図面を広げる。
紙の上の線は、きれいだ。
そこには、無駄がない。
遠回りもない。
「これで、みんな楽になります」
その言葉に、嘘はない。
あかりは、少しだけ息を止める。
——楽になりすぎると、
唄えなくなる。
誰も唄うことを求めていない。
唄わなくても、回る。
それは、とても良いことだ。
でも、七つ盛りは、唄を忘れない。
女性が、ふと顔を上げる。
あかりと、目が合う。
一瞬だけ。
その目は、優しい。
あかりを見る目だ。
——あの人、わたしを使わない。
それが、あかりには分かる。
使わないけれど、
必要とも思っていない。
女性は、また図面を見る。
話を続ける。
あかりは、その場を離れる。
正しい人たちは、
正しいまま、
進んでいく。
止める理由は、どこにもない。
あかりは、少しだけ、唄いたくなる。
でも、ここでは唄わない。
揺らぎは、
今は、邪魔になる。
山の方へ歩く。
風が、少し戻ってくる。
七つ盛りは、今日も鳴っている。
正しさとは、別の場所で。
第V話:唄は、誰のものでもない
その日は、朝から風が不安定だった。
止まったかと思うと、急に強くなる。
山が、
何度も息を吸い直しているみたいだった。
あかりは、理由を聞かない。
聞かなくても、分かることがある。
今日は、揃う日だ。
揃う、というのは、
何かが完成するという意味ではない。
ただ、
選べるところまで来た、ということだ。
あかりは、停留所へ行く。
バスは、来ない。
それは、ずっと前から決まっている。
でも、今日は人が少ない。
いつもより、静かだ。
遠くで、
何かが終わった気配がする。
終わったのか、
始まらなかったのかは、
分からない。
あかりは、
ベンチに座る。
ここは、首が眠っている場所だ。
怖い話ではない。
切り離されたものが、
まだ、
この土地を忘れていないというだけの話だ。
唄うかどうか、少し迷う。
今日は、唄わなくてもいいかもしれない。
全部、揃わなかったから。
でも、揃わなかったからこそ、
唄う意味がある。
あかりは、息を吸う。
深すぎず、浅すぎず。
胸と、地面の間くらい。
——あぁ……
最初の音は、低く。
決めすぎない。
風が、応える。
少し遅れて。
——うぅ……
三つ目の音を、わずかに揺らす。
山が、ためらう。
——いぃ……
七つ目は、外さない。
でも、固定しない。
地面の下で、何かが鳴る。
七つ盛りが、重なる。
全部は、開かない。
それでいい。
唄は、呼び戻さない。
支配もしない。
ただ、
「まだ続けられる」と知らせる。
遠くで、誰かが決断した気配がする。
正しい人が、正しさを手放したのかもしれない。
あるいは、
誰かが、
選ばないことを選んだのかもしれない。
あかりは、気にしない。
唄は、
誰かの決断のためにあるものではない。
最後の音を、風に預ける。
風は、それを持っていく。
山へ。
土へ。
そして、また戻ってくる。
あかりは、唄を終える。
静かだ。
でも、止まってはいない。
あかりは、立ち上がる。
停留所を振り返る。
——大丈夫。
誰に言うでもなく、そう思う。
バスは、来ない。
でも、道は消えていない。
あかりは、歩き出す。
どこへ行くのかは、決めていない。
決めなくていい。
唄は、あかりのものではない。
この土地のものでもない。
ただ、
世界が、
まだ一つに決められていないことの証として、
そこに在り続けるだけだ。
最終外伝 ― あかりの「いない日」 ―
その日、誰も気づかなかった
朝、
鬼死骸停留所跡に、
あかりはいなかった。
それだけのことだ。
誰も、
「今日はいないな」とは言わなかった。
理由は簡単で、
いつもいるわけではなかったから。
風は同じように吹いていた
七つ盛りの草は揺れ、
鬼石の影は、いつも通り短かった。
鹿嶋神社の鈴は鳴らなかった。
誰も振っていない。
それなのに、
境内の空気は
少しだけ軽かった。
沢渡は、違和感だけを持ち帰った
その日、
沢渡は、停留所跡の前を通った。
理由はなかった。
いつも通る道だった。
ただ――
立ち止まった。
理由は、なかった。
「……今日は、静かだな」
誰に言うでもなく、
そう呟いた。
彼は、
「誰がいないか」を考えなかった。
ただ、
何かが終わったと感じただけだった。
ケンジは、歌を聞かなかった。
ケンジは言う。
「あれ?
今日は歌、聞こえなかったっすね」
でも、
それ以上は考えなかった。
彼は、考えすぎない人間だった。
だからこそ、生き残る。
夜、七つ盛りは鳴らなかった
風はあった。
温度も、湿度も、
前日とほぼ同じ。
それなのに――
七つ盛りは鳴らなかった。
条件が、揃っていなかった。
その日、村は少しだけ「現代」になった
誰も歌わない。
誰も待たない。
説明できる世界が、
一日だけ戻ってきた。
それを、
誰も喜ばなかった。
最後に残ったもの
翌日、
あかりは、
また、そこにいた。
でも――
それを
「確認した人」はいない。
なぜなら、
確認しなくても、
もう分かってしまったから。
外伝・最終行
その日、あかりはいなかった。
それだけで、村はすべてを理解した。
未回収断片集
第1話:いしは うたわない
石は、うたわない。
わたしは、ずっとそう思っていた。
石は黙っている。
踏まれても、埋められても、
何も言わない。
でも――
耳を近づけると、
なにかが、戻ろうとしている音がする。
それは声じゃない。
言葉でもない。
息を止めたとき、
胸の奥で、
血が流れる音に似ている。
わたしは歌っていない。
教わってもいない。
それなのに、
石のほうが先に知っていた。
第2話:ここに来てはいけない人たち
「立ち入り禁止」の札は、
いつからあったんだろう。
わたしが最初に来たときには、
なかった気がする。
でも、大人たちは
「昔からあった」と言う。
昔って、
いつ?
ここに来てはいけないのは、
人じゃない。
考えすぎる人だ。
第3話:七つ盛りは ずっと数えている
一つ
二つ
三つ
数えなくても、
数は減らない。
増えもしない。
人が忘れても、
盛りは忘れない。
盛りは、
人が来るのを待っているわけじゃない。
条件が揃うのを待っている。
それが人かどうかは、
関係ない。
第4話:しっている ということ
しっている、というのは、
おぼえている、ということじゃない。
からだが、先に動いてしまうこと。
ことばより先に、声が出ること。
それを
「こわい」と言う人もいる。
でも――
それはたぶん、
正しい。
第5話:うしろを向かない約束
うしろを向かないで、と
言われた。
どうして?と聞いたら、
答えてくれなかった。
でも、知っている。
うしろを向くと、「今」が壊れる。
だからわたしは、前を見ている。
いつも。
第6話:名前とあした
名前を呼ばれなかった。
それだけのこと。
でも、
その日はとても静かだった。
あした、
わたしは、
ここにいるかもしれない。
いないかもしれない。
でも、
音は残る。
それでいい。
あかりに関する記録は他にも存在するが、内容は一致していない。
この物語は、実在する岩手県一関市・旧鬼死骸村を舞台にした、
記録・神話・現代が織りなす物語の一編です。
この村には、フィクションでは作れない地形と歴史があります。
鬼死骸村の全体像は、【鬼死骸村探検隊】(ポータルページ)にて。
地図・動画・神話・怪異記録が重なっています。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします!
いただいたチップは探検活動の費用に活用させていただきます。