鬼死骸 Ⅵ|揺らそうとする者
この物語は、実在の土地・史跡を基にした
フィクションであり、神話であり、記録である。
一つの語りとしての記録である。
(鬼死骸村探検隊|実在する旧鬼死骸村を舞台にした物語)
<あらすじ>
春、祐介が村を出る。祭りの担い手が一人減る。
守るか、やめるか——その二択しかなかった村で、
あかりが初めて別の選択肢を口にした。
「形式を、少し変えませんか」寄り合いは、その一言で初めて止まった。
守るために変える。それは、この村になかった発想だった。
変化と継承のあいだで、村が初めて自分で揺れた夜の物語。
揺らそうとする者
冒頭
村は、変わっていなかった。
水路は同じ角度で曲がり、社の柱は同じ影を落とし、
夕方の放送も、いつもの音量で流れている。
ただ、人数だけが少し減っていた。
祐介が、春に村を出る。
それはもう、決まっている。
進学だ、と本人は言う。
村を出る理由としては、正しい。
誰も反対しなかった。
反対できる立場の者もいない。
だが、祭りの担い手が一人減る。
それだけのことが、村では「だけ」では済まない。
鬼死骸の祭りは、人数で成り立っているわけではない。
『手順』で成り立っている。
その順序が一つ欠けると、全体がわずかにずれる。
そのことを、最も早く言葉にしたのは、あかりだった。
「形式、少し変えませんか」
提案は、静かだった。
だが寄り合いの場は、その一言で初めて静まった。
鬼死骸では、やり方を変えるという発想自体が、ほとんど出なかった。
守るか、やめるか。
その二択しかなかったからだ。
あかりは、守るために変えると言った。
それは、これまで村に存在しなかった選択肢だった。
沈黙のあと、誰かが、大武丸の名を出した。
「あの人は守るが、代わりにはやらん」
その言葉は、伝承として語られてきたものだ。
守る者はいる。
だが、決めるのは人間だ。
寄り合いで、初めて意見が割れた。
それは争いではない。
長年、守り続けてきたことへの、疲労が、形を持ち始めただけだ。
祐介は、その場で何も言わなかった。
だが、帰り道で、あかりにだけ言った。
「揺らしても、いいのかな」
あかりは少し考えてから、答えた。
「揺らさないと、倒れるかもしれない」
その夜、村は静かだった。
均衡は、まだ保たれている。
だが、初めて、誰かが意図して揺らそうとしている。
その夜の寄り合いがどう動いたか、記録はない。
——(中間の記録は、残っていない)
終盤
寄り合いは、長引かなかった。
言葉は多くなかったが、沈黙が多かった。
守る、と言う者。
変える、と言う者。
何も言わない者。
祐介は、途中で席を外した。
あかりも、少し遅れて外に出た。
社の石段に、二人は並んで座った。
灯りはまだついている。
中では、声が低く重なっている。
「俺がいなくなったら、足りないよな」
祐介は、地面を見たまま言った。
あかりは、すぐには答えなかった。
「足りないと思う」
正直に言った。
「でも、足りないからって、止めるのは違うと思う」
「じゃあ、どうする」
「減ったまま、やる。
それで無理なら、変える」
祐介は、少し笑った。
「揺らすんだな」
「うん。倒さないように」
二人は、それ以上話さなかった。
その会話を、誰かが聞いていたわけではない。
だが、寄り合いの空気は、わずかに変わっていた。
最年長の男が、ゆっくりと口を開いた。
「大武丸は守るが、代わりにはやらん」
誰かが頷いた。
それは確認だった。
守ってくれるものはある。
だが、決めるのは自分たちだ。
「今年は、人数を減らしてやる」
「順番を一つ、後ろにずらす」
「来年、また考える」
決定は、劇的ではなかった。
誰かの一存でもない。
ただ、誰も異を唱えなかった。
その瞬間、村は初めて、自分で揺れた。
祐介は春に出る。
あかりは残る。
祭りは形を少し変えて続く。
均衡は壊れなかった。
ただ、他人任せではなくなった。
社の奥で、風もないのに、鈴が鳴ったという。
それを聞いた者も、聞かなかった者もいる。
大武丸は、何も言わない。
言わないからこそ、村は決めた。
祐介は、その夜、自分の部屋で荷物をまとめた。
段ボールは半分も埋まらない。
出ていくと決めたはずなのに、
何かを置き忘れている気がした。
祭りの順番が、一つ後ろにずれる。
そのことを思い出すと、胸の奥が少しだけ熱くなった。
揺らしたのは、石ではなかった。
自分たちだ。
祐介は、初めて、村を出ることを怖いと思わなかった。
窓の外は静かだった。
明日は、揺れない。
それでも、
何かが確かに動いている。
以下は、その夜の記録である。
記録者は、特定されていない。
断章|揺らす前夜
揺らす前夜(起)
これは、寄り合いの前の夜の記録である。
あるいは、その後の夜かもしれない。
揺らさないと、倒れるかもしれない。
——誰かが、そう言ったという記録がある。
誰が言ったのかは、残されていない。
記録によれば、その夜、風はなかった。
少なくとも、気象台のデータにはそうある。
平均風速0.3メートル。
体感としては「無風」と記録される値だ。
だが、村では違った。
音がした、と言う者がいる。
地面の下で、何かが擦れるような音。
あるいは、水気のない田の底を、
大きな手がゆっくり押し広げるような。
誰も外には出なかった。
出なかった、というより、出る理由がなかった。
鬼死骸は、長いあいだ揺れていない。
地震計も、異常は示していない。
社の柱も、墓石も、傾いていない。
それでも、誰かが言った。
「揺らすらしい」
何を、とは言わない。
誰が、も言わない。
ただ、その一言だけが、村を一晩で古くした。
その夜、灯りは早く消えた。
消された、と言ったほうが近いかもしれない。
記録係は、最後にこう書いている。
—— 明日は、揺らす。
揺れる、ではない。
揺らす。
主語は、記されていない。
揺らす前夜(承)
翌朝、社の裏手に集まったのは七人だった。
理由は単純で、古い石を一度だけ動かす必要があったからだ。
文化財指定は受けていない。
正式な調査でもない。
ただ、排水工事の名目で、地面を少し掘るだけのこと。
石を持ち上げる段になって、七人は無言になった。
そのとき、
七人のうち、最年長の男だけが、石に触れる前に手を合わせた。
祈ったわけではない。
ただ、掌を合わせただけだ。
誰もそれを咎めなかったし、理由も尋ねなかった。
男は何も言わず、そのまま石の端に手をかけた。
その石は、まだ温かかった。
朝の冷気の中で、不自然というほどではない。
誰も口には出さなかったが、全員が同じことを思った。
昨日、誰かが触れたのだろう——と。
村に伝わる話では、その石の下には「空(くう)」があるという。
空洞ではない。
「空(くう)」だ。
誰も確かめたことはない。
重機は入れなかった。
音を立てないためだ、という説明だったが、
本当の理由は別にあったのかもしれない。
石は、思ったより軽かった。
拍子抜けするほどに。
倒れなかった、と誰かが思った。
何が、とは言えなかったが。
持ち上げた瞬間、誰かが「今だ」と言った。
その声は、誰のものでもなかった。
土は乾いていた。
昨夜、風はなかったはずだが、
地面の下だけが、妙に冷えていた。
三十センチ。
五十センチ。
やがて、空間が現れた。
しかし、それは穴ではなかった。
そこには、
黒い板のようなものが横たわっていた。
木でも石でもない。
湿ってもいない。
だが、触れた者は、「濡れている」と感じた。
誰も触っていないのに、全員が同じ感想を持った。
七人は顔を見合わせなかった。
作業を続けた。
その瞬間、遠くで、寺の鐘が鳴った。
だが、その寺は、明治に焼失している。
音は、記録されなかった。
地震計も、風速計も、異常なし。
ただ一つ、村役場の古いサーバーが、
その時刻にだけ、不明なログを残している。
—— 過去接続:許可
その文言は、現行のシステムには存在しない。
誰が許可したのか。
何を接続したのか。
黒い板は、掘り出されたはずだった。
しかし、翌日、同じ場所を掘り返しても、何も出なかった。
石は元に戻されていた。
誰が戻したのかは、記録にない。
ただ、その日以降、村人は同じ夢を見るようになった。
揺れているのは地面ではない。
揺れているのは、時間の継ぎ目だった。
揺らす前夜(転)
夢の内容について、具体的な記述は残されていない。
意図的に削除された形跡もない。
最初から、書かれていない。
ただ、七人は翌朝、互いに目を合わせなかった。
確認を避けたのではない。
確認する必要がなかった。
共有されている、という確信だけがあった。
それは記憶というより、配置だった。
村の景色が、わずかにずれている。
社の向き。
水路の曲がり方。
墓石の並び順。
誰も「変わった」とは言わない。
だが、誰も「同じだ」とも言わない。
記録係は、その日、筆を止めている。
—— ここから先は、確証がない。
そう書いたあと、数行が空白になっている。
本来ならば、「黒い板」の再確認や、
役場サーバーのログ解析について、
記述が続くはずだった。
だが、続いているのは、別の筆跡だった。
—— 石は、まだ動かしていない。
日付は、揺らす前夜。
つまり、まだ掘っていない時点の記述だ。
筆跡鑑定では、どちらも同一人物とされる。
しかし、インクの成分は違う。
後者は、現在流通していない配合だった。
誰が、書いたのか。
七人のうち、二人が村を出た。
理由は記されていない。
だが、出ていない五人も、すでに村の中にいない可能性がある。
位置は同じでも、時間がずれている。
揺れているのは、地面ではなかった。
揺らされたのは、「順序」だった。
記録係は、最後にこう残している。
—— もし明日、石を動かすなら、
私はまだ、ここにいる。
この一文が、いつ書かれたものかは、誰にも分からない。
揺らす前夜(結ばない)
この記録を読んでいる時点で、石はすでに動いている。
そう考えるのが自然だ。
だが、順序は保証されない。
あなたが今読んでいるこの行は、揺らす前夜に書かれている可能性がある。
記録係は、未来の読者を想定していない。
それでも、次の一文だけは、
明らかに読者に向けられている。
—— 石に触れていない者だけが、
これを読める。
確認する方法はない。
触れた記憶がないことは、触れていない証拠にはならない。
ここまで読んだ者は、順序をひとつ失っている。
それが何であったかは、思い出す必要はない。
揺れているのは文章ではない。
あなたの「今」だ。
—— 明日は、揺らす。
(と、書かれている)
もし、あの黒い板が「順序」を吸収する装置だったとしたら、
すでにあなたは、触れた後の時間にいるかもしれない。
七人は、互いに確認しなかった。
あなたも、誰にも確認しないだろう。
いま、揺れているのは文章ではない。
あなたの、「今」だ。
この章を閉じる瞬間、石はまだ動いていない可能性がある。
あるいは、これから動かすのかもしれない。
—— 明日は、揺らす。
その明日が、どの時点を指すのかは、読む者の側で決まる。
鬼死骸Ⅵ
完
(と、書かれている)
この物語は、実在する岩手県一関市・旧鬼死骸村を舞台にした、
記録・神話・現代が織りなす物語の一編です。
この村には、フィクションでは作れない地形と歴史があります。
鬼死骸村の全体像は、【鬼死骸村探検隊】(ポータルページ)にて。
地図・動画・神話・怪異記録が重なっています。
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