鬼死骸|七つ盛りの前夜
この物語は、実在の土地・史跡を基にした
フィクションであり、神話であり、記録である。
一つの語りとしての記録である。
(鬼死骸村探検隊|実在する旧鬼死骸村を舞台にした物語)
<あらすじ>
過疎化の進む旧・鬼死骸村。山あいに、いくつもの盛り土が残っている。
蝦夷の時代から、制圧のたびに塗り替えられてきたこの土地で、
誰かが何かを土の中に残した。 戻るつもりで。届けるつもりで。
現代の調査者たちは、記録の空白と写しのズレを辿りながら、
制圧の形だけが変わり続けてきた歴史に気づく。
今もまた、静かに人が減っていく。次へ渡せる者は、まだいるだろうか。
前文
この土地では、
何度も名がつけられ、
何度も消えた。
残ったものと、残らなかったものは、同じ場所にある。
——同じ形では、残らない。
「この土地、何度も変えられてるらしいな」
沢渡が、助手席から言った。
「変えられてる、って」
ケンジは前を見たまま返す。
「名前とか、支配とか。そういうの全部」
「へえ」
川が、道に沿って流れていた。
底の石まで見える、冷たい水だった。
沢渡がぽつりと言う。
「流れてるものは、残るのか」
ケンジは答えなかった。
水だけが、同じ速さで流れていた。
一 処された男
あいつは、流れもんだった。
飢饉の年であった。
米は実らず、人はみな、どこか様子を変えておった。
腹が減ると、人は変わる。
それは、どの時代も変わらぬことよ。
豊吉という男がおった。
盗賊として捕らえられ、
橋田原にて処された。
天明五年の、十一月のことであった。
されど、それで終わりではない。
遺体は医師に渡され、腹を開かれた。
その折、見つかった。
体に刻まれたものが。
細かな線と印が、手足に。
医師は、それを書き写した。
何か意味があると見たのであろう。
その写しは、後に豊吉の墓に残された。
捕まった理由を、誰も正確には知らなんだ。
あの男が何をしたのか、しなかったのか。
村では、いろいろなことが言われた。
されど、誰も確かなことは知らなんだ。
法が、そう決めた。
それだけのことであった。
誰も、声を上げなかった。
体に刻む者もおる。
土に刻む者もおる。
——あの男も、何かを残そうとしておったのかもしれぬ。
誰かに向けて。
届くかどうかもわからぬまま。
麓に車を停めて、山道を登った。
道と呼べるか、迷うくらいの道だった。
枯れ草が足首に絡んで、落ち葉が積もって、
地面が見えないところもあった。
ケンジが先を歩きながら、時々振り返った。
「こっちで合ってますか」
「たぶん」
杉林に入ると、音が消えた。
手入れされた杉が、真っすぐに並んでいた。
地面に光が届かなくて、下草がほとんどない。
頂上に、鉄塔が建っていた。
電力会社の、大きな鉄塔だ。
「なんか、思ってたのと違いますね」
ケンジが言った。
沢渡は、木々の間から下を見た。
杉に遮られて、村はほとんど見えなかった。
川だけが、かろうじて光っていた。
「昔は、道が全部見えた」
「今は見えなくなったんですね」
「見えなくなるもんだ」
ケンジは、鉄塔を見上げた。
しばらく、何も言わなかった。
「でも」
ぽつりと言った。
「でも、あるんですよね。村」
鉄塔が、風に鳴っていた。
二 要害の男
あの山からは、道が見えた。
木々の間から、北と南を結ぶ道が見えた。
人が通れば、すぐにわかった。
小岩伊賀守という名の男がおった。
要害城——鬼死骸城とも呼ばれた——に住んでおった。
葛西という大きな家の家臣で、この土地を守る番役であった。
鹿島神社には、あの男が奉納した不思議な石があった。
牙のような形をしておって、
鬼の歯だとも天狗の爪だとも言われておったが、
海の生き物の化石だという者もおった。
誰も海を見たことがなかったから、確かめようもなかった。
あの男は、この土地のことをよく知っておった。
蝦夷の時代からある塚のことも。
田村麻呂が来る前から、
この土地に人が生きておったことも。
知っておったから——あの夜、塚を選んだ。
集会場の資料室は、古い匂いがした。
映美が写真を出した。
「これです」
墨の線。細かい図形。
沢渡が覗く。
「写しか」
「豊吉を解剖した医師が、
刺青を書き写したものだと言われています。
墓に残されたと」
地図が広げられた。沢渡が見比べる。
「……似てるな」
「はい。でも」
映美は言葉を切る。
「ズレてます」
沢渡は、しばらく黙って二枚を見比べた。
「……重ねてみろ」
紙を少しずらして、重ねる。
最初は、合っているように見えた。
だが——
「……なんだ、これ」
映美が息を止めた。
どちらの写しにもない線が、浮かび上がっていた。
細く、尾のように伸びている。
沢渡は、その先を指でなぞる。
そこには、何もない。
地図にも、記録にも。
「……動いたな」
三 七つ盛りの夜
夜、動かす者がおった。
天正十八年(1590年)の、秋のことであったと申す。
祖父が、幼い頃に古老から聞いた話ゆえ、真は知れぬ。
されど——
豊臣秀吉の命により、主君・葛西晴信が改易された。
遠い中央の論理が、この土地を動かした。
後の記録には「散々ニ打破ラレテ敗走シ」と書かれた。
しかし古老の語りでは、
その言葉とは違う光景が伝わっておった。
小岩伊賀守は、夜、七つ盛りへ来た。
松明を持った男が、数人の供と一緒に塚のそばに来た。
何かを運んでおった。重そうであった。
しばらく作業が続いた。
土を掘る音。
木を組む音。
また土を戻す音。
夜明け前に、男たちは去った。
後には、古い塚の隣に、新しい盛り土が増えておった。
古い塚と、同じ形に。紛れ込むように。
「なぜ、止めなかったんだ」
と、わしは一度だけ祖父に聞いた。
祖父は、しばらく黙った。
「止めても、意味はなかった、と古老は言うておった」
小岩伊賀守は戻らなかった。
下要害の豪農の家に匿われ、
その後、油田村へ移ったという。
されど——わしはずっと、こう思うておる。
あの男は、戻るつもりであった。
必ずここへ戻るつもりで、土の中に何かを残した。
誰かに受け取ってもらうつもりで。
届くかどうかは、わからぬ。
それでも、あの夜、あの男は何かを未来へ向けて投げた。
戻れなかった男が、それでも、投げた。
夜だった。
集会場の、小さな部屋。
缶コーヒーが、テーブルの上に三つ並んでいた。
「来月、また一軒廃屋の処理があって」
ケンジが、手元の書類を見ながら言った。
「今年で何件目だ」
「六件目ですね」
窓の外、夜の村は暗かった。
灯りの数が、少ない。
「田村麻呂が来た」
沢渡が、ぽつりと言った。
ケンジが顔を上げた。
「頼朝が通った。
秀吉が仕置をした。
法が、豊吉を殺した。
明治になって、村の名前が消えた。
そのたびに、人が減って、
記録が塗り替えられた」
「でも、村は残ってきましたよね」
と映美。
「残ってきた。今は、誰も刀を抜いていない。
命令を出す人間もいない。でも——」
ケンジが、書類を見たまま言った。
「人が、減っていく」
「……形が、変わってるだけか」
誰も、それを否定しなかった。
しばらく、三人とも黙っていた。
「あの財宝」
映美が、ゆっくりと口を開いた。
「七つ盛りに隠されたって言われてるやつ、まだそこにあるんですかね」
沢渡は、答えなかった。
窓の外の、暗い村を、見ていた。
四 伝えること
田村麻呂は、刀で来た。
頼朝も、刀で来た。
秀吉は、権力で来た。
法が、豊吉を殺した。
しかし、そのたびに——誰かが、何かを次へ渡そうとしてきた。
小岩伊賀守は、土の中に残した。
豊吉という男は、体に刻んだ。
祖父は、わしに語った。
わしは、今、ここに記しておる。
届くかどうかは、わからぬ。
今度は、どうであろう。
今度の制圧には、顔がない。
刀もない。
命令を出す者もおらぬ。
ただ、静かに、
人が減っていく。
次へ向けて投げようとしておる者が、おるだろうか。
受け取ろうとしておる者が、おるだろうか。
わしには、わからぬ。
「もう一つ、見つかりました」
映美が言った。
「どこだ」
「個人蔵です。公開されていない資料で」
封筒が机に置かれた。
少し古い紙の匂いがした。
「写しです。同じものの」
沢渡が封を開ける。
和紙が一枚。
墨の線。
細かい図形。
見覚えがあった。
だが——
「……違うな」
二枚を並べる。
最初は、合っているように見えた。
だが、少しずらすと——線が、噛み合わなくなる。
「どっちが正しいんですか」
映美は首を振る。
「わかりません」
「……足されてるな。写したやつが、つないでる」
「つなごうとしたのかもしれません」
地図が広げられた。
二枚の写しと並べる。
一枚だけでは見えなかった形が、
重ねることで浮かび上がる。
「七つじゃない」
沢渡が言った。
七つ盛りの前に、三人は立っていた。
地図と写しを手に、盛り土を一つずつ確かめていく。
「……一つ、二つ、三つ……」
ケンジが、小さく数えた。
「七つ、ですね」
沢渡は答えなかった。
もう一度、目を向ける。
「……いや」
沢渡が言った。
「六つしかない」
ケンジが顔を上げた。
「え?」
「さっき、七つ——」
言いかけて、止まる。
もう一度、見た。
今度は——
「……八つ、ある」
誰も動かなかった。
風だけが、杉の梢を揺らした。
「あれ、違うよ」
声がした。
振り返ると、少女が立っていた。
「そこ、足りてないよ」
指をさす。
杉林の奥、木漏れ日の届かない場所。
地図には、何もない場所だった。
「まだあるよ」
「何が」
「揃ってないやつ」
沢渡が目を向けた瞬間、少女はいなくなっていた。
風だけが、杉の梢を揺らした。
あかりの断片
一 そこにあるもの
そこは、いつも同じだった。
土があって、少し盛り上がっている。
数は、決まっていない。
七つのときもあるし、そうでないときもある。
誰かが数えると、少なくなる。
数えなければ、増える。
二 書いたもの
体に書いたものがあった。
見えなくなる前に、書いた。
書いたものは残らない。
写したものが残る。
写したものは違う。
三 ない場所
そこには、ない。
前はあった。
今はない。
気づくと、ずれる。
四 流れているもの
水は、動いている。
同じ形で、流れている。
誰も動かしていない。
止めることもできない。
変えようとすると、別の形になる。
五 揃わないもの
揃うことはない。
揃う前に、変わる。
それでも、揃えようとする。
だから、違うものになる。
それが、残るということかもしれない。
終幕
春だった。
沢渡は、七つ盛りの前に立っていた。
杉林の中だった。
木漏れ日が、盛り土の表面を滑っていた。
林の外とは、空気が違った。
冷たくて、静かだった。
いくつかの盛り土が、並んでいた。
形が微妙に違う気がした。
古いものと、そうでないものが、
混ざっているようにも見えた。
はっきりとは、わからなかった。
沢渡は数えなかった。
「あれ、違うよ」
声がした。
あかりが立っていた。
「そこ、前はなかった」
指をさす。
盛り土の一つ。
沢渡が、杉林の奥を見た。
地図にない場所。
ゆっくりと近づいて、しゃがんだ。
手のひらを、土に当てた。
春の日差しが届かない、杉林の奥の冷たさだった。
——少し、沈んだ。
沢渡は、眉を寄せた。
押したわけではない。
ただ、触れただけだった。
手を離す。
土は、元の形に戻っていた。
跡は、残っていなかった。
「流れてるものは、変わらないよ」
あかりが、ぽつりと言った。
沢渡は、立ち上がった。
木々の間から、遠くに川が光っていた。
「この先、この村、どうなるんですかね」
ケンジが、盛り土を見たまま言った。
「わからない」
「今まで、残ってきたじゃないですか」
と映美。
誰も、続きを言わなかった。
振り返ると、あかりはいなかった。
川の音が、遠くから聞こえた。
水は、変わらず、同じ方向に流れていた。
この物語は、実在する岩手県一関市・旧鬼死骸村を舞台にした、
記録・神話・現代が織りなす物語の一編です。
この村には、フィクションでは作れない地形と歴史があります。
鬼死骸村の全体像は、【鬼死骸村探検隊】(ポータルページ)にて。
地図・動画・神話・怪異記録が重なっています。
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