ライトスタッフ・音速の壁と宇宙への挑戦
「ライトスタッフ」トム・ウルフの小説。
映画化もされており、そこには『音速の壁』に挑戦した戦闘機パイロットたちと、初の有人宇宙飛行プロジェクトのパイロットたちの2つの物語が描かれています。
ここでは、それらを通して、アメリカにおける航空機開発と宇宙開発初期の内幕にふれてみたいと思います。
1.ライトスタッフとは
「ライトスタッフ(The Right Stuff)」
主に「パイロット」や「宇宙飛行士」のような極限に挑む人々を指して使われます。
極限の状況でも冷静に判断し、困難に立ち向かうことができる勇気・技術・精神力を持つ人々に備わっている資質。単なるスキルだけでなく、プレッシャーに耐える精神的な強さやリーダーシップも含んでいるのです。
この言葉は、アメリカの作家でジャーナリストでもあるトム・ウルフの同名の小説と、その映画化作品によって広く知られるようになりました。
6年間に渡る綿密な取材に基づいて執筆したそうです。
「ザ・ライト・スタッフ ‐ 七人の宇宙飛行士」
このノンフィクション小説を読むと、アメリカにおける航空機開発と宇宙開発初期の内幕を知ることができます。
戦闘機パイロットたちが、孤独な挑戦を続ける姿。
宇宙飛行士とその家族たちが、国家の重圧に耐えながらも信頼の絆を深め合う姿。
この二つを対比して描く、勇気を持って行動する者達を称える物語でした。
1983年に映画が公開され、第56回アカデミー賞で、作曲賞、編集賞、音響効果賞、録音賞の4部門を受賞しています。
内容は、大きく2つのエピソードから構成されています。
1つは、航空機テストパイロットたちの物語。
実験機ベルX-1に乗り込んで『音速の壁』に挑戦した、チャック・イエーガーを主人公としています。
もう一つは、初の有人宇宙飛行プロジェクトのパイロットたちの物語。
マーキュリー計画に参加した7人を主人公としています。
2.音速の壁、チャック・イエーガーの挑戦
当時は、航空機が音速を超えるときには強い衝撃波が襲い、機体を引き裂く恐れがあると信じられていました。
『音速の壁』という見えない壁が存在するとされていたのです。
1947年10月14日、アメリカ空軍の試験飛行士であるチャック・イエーガーは、高度1万3700メートルでB29爆撃機から切り離されたベルX-1に搭乗していました。X-1はロケットエンジンを搭載した航空機で、母機から空中発射され、飛行中に加速する仕組みを採用しているのです。

この日の飛行で、マッハ1.06を記録。
人類史上初めて『音速の壁』を破ったのでした。
懸念されていた衝撃波による振動は、ほとんどなかったそうです。
この成功は、以後の航空機技術と宇宙開発において重要な転機となりました。
イエーガーはその後も試験飛行士として数々の新型機のテストを続け、航空業界の発展に貢献しています。
彼の冷静さと勇気は「ライトスタッフ」の象徴として語り継がれ、航空技術の進化における伝説的な存在となったのです。
3.マーキュリー計画、米ソの宇宙開発競争
1950年代後半、アメリカとソ連との間で宇宙開発競争が激化しました。
1957年、ソ連はスプートニク1号の打ち上げに成功し、世界初の人工衛星を軌道に乗せたことで、アメリカは大きな衝撃を受けました。
これに対抗する形で、アメリカはマーキュリー計画(Project Mercury)を開始しました。
目的は、人間を地球軌道に送り、安全に帰還させることでした。
マーキュリーとは、ローマ神話の旅行の神:メルクリウス (Mercurius) からつけられた名前で、翼の生えた靴を履き、高速で移動すると言われています。
1958年に開始されたマーキュリー計画では、7人の宇宙飛行士が選ばれました。彼らは「マーキュリー・セブン」と呼ばれ、アメリカ初の宇宙飛行士として国民的な英雄となっています。
ロケットの名前には、選ばれた宇宙飛行士たちの誇りを表すために、すべて「7」がつけられました。それぞれの飛行士によって名付けられているのです。
1961年4月12日、世界初の有人宇宙衛星船ヴォストーク1号がソ連によって打ち上げられました。ユーリイ・ガガーリン少佐が搭乗し、地球を一周しています。打ち上げから帰還までは108分でした。
アメリカは急遽これに対抗する形で、1961年5月5日にアメリカ初の有人飛行を行っています。マーキュリー計画 の一環として訓練を続けていたアラン・シェパード が宇宙へ向かったのです。マーキュリー・レッドストーン3号によって打ち上げられた フリーダム・セブンでした。これは残念ながら地球周回ではなく、飛行時間15分22秒の弾道飛行でした。



この後マーキュリー計画では、結果として6回の有人飛行が行われ、その後のジェミニ計画、アポロ計画へと続いていくこととなりました。
4.7人の宇宙飛行士たちとその後
(1)アラン・シェパード
フリーダム 7(Freedom 7)/1961年5月5日打上げ
アメリカ初の有人宇宙飛行(弾道飛行)。宇宙滞在時間は約15分。
その後アポロ14号で月面着陸を果たし、NASAの宇宙飛行士部門の責任者となる。
(2)ガス・グリソム
リバティ・ベル 7(Liberty Bell 7)/1961年7月21日打上げ
2回目の有人宇宙飛行(弾道飛行)。着水後の事故でカプセルは海に沈むが、2000年に回収。
その後ジェミニ計画の飛行士となり、アポロ1号の乗組員にも選ばれたが、1967年の訓練中の火災事故で殉職。
(3)ジョン・グレン
フレンドシップ 7(Friendship 7)/1962年2月20日打上げ
アメリカ初の地球周回飛行(3周回)。宇宙滞在時間は約4時間55分。
引退後は上院議員となり、77歳でスペースシャトルに搭乗した最年長の宇宙飛行士となっている。
(4)スコット・カーペンター
オーロラ 7(Aurora 7)/1962年5月24日打上げ
地球周回飛行(3周回)。実験と観測が行われた。着水地点が大きくずれる。
宇宙飛行後は海洋調査に従事。NASAを離れた後、深海探査プロジェクトに関与。
(5)ウォルター・シラー
シグマ 7(Sigma 7)/1962年10月3日打上げ
地球周回飛行(6周回)。機械系のテストが中心で、宇宙船の完全性が証明された。
ジェミニおよびアポロ計画でも活躍。アポロ7号で指揮を執り、初の有人アポロミッションを成功させた。
(6)ゴードン・クーパー
フェイスレス 7(Faith 7)/1963年5月15日打上げ
地球周回飛行(22周回)。マーキュリー計画の最長飛行、34時間超を記録。
マーキュリー計画最後の宇宙飛行士。ジェミニ計画でも活動し、最長の宇宙飛行記録を樹立した。
(7)ディーク・スレイトン
マーキュリー計画中は飛行しなかった。心臓の問題でマーキュリー計画には参加できなかったが、後にアポロ・ソユーズテスト計画で宇宙飛行を果たす。NASAの宇宙飛行士部門責任者としても活躍。

5.アポロ計画へと続く道
マーキュリー計画の成功を受け、アメリカは次のステップとしてジェミニ計画を開始しました。ここでは、宇宙空間での長時間滞在、船外活動、ドッキング技術などの開発が進められました。
そして最終的に、アポロ計画が実現します。1969年、アポロ11号のニール・アームストロングとバズ・オルドリンは、ついに月面着陸を果たしています。
この一連の計画の成功は、マーキュリー計画で得られた知識と経験の積み重ねによって実現したものであり、ライトスタッフの精神がその根底にありました。
6. 参考となる書籍の紹介
・ザ・ライト・スタッフ: 七人の宇宙飛行士
トム ウルフ (著)、中野 圭二 (翻訳)、加藤 弘和 (翻訳)
中央公論新社 (1983/11/1)
(中公文庫 M 215) 文庫 – 1983/11/1
宇宙開発初期のアメリカにおける試験飛行士と宇宙飛行士たちのドラマを描いた名作。勇気と人間ドラマが詰まったノンフィクションとして高く評価されています。
・ライトスタッフ (字幕版)
1984年
Prime Video
大空へ全ての夢を託した男たちの真実のドラマ!1950年代後半。宇宙計画でソ連に遅れをとったアメリカは、マーキュリー計画を実現させるべく、急遽7人のパイロットを選出。新世界へと旅立つヒーローとして、彼らの前途は約束されてはいたが、ロケットも未完成の計画は無謀といえるものであった。
( ※ 書籍の解説等は原則としてリンク先(Amazon)における解説をベースに記載しています。詳細内容はリンク先を参照願います。)
7. おわりに
「ライトスタッフ」という言葉は、単なる技術やスキル以上に、限界を突破する勇気と挑戦する意志を象徴しています。
チャック・イエーガーの音速突破から、マーキュリー計画の飛行士たち、そしてアポロ計画による月面着陸まで、彼らの挑戦の歴史は、私たちに未知への探求心と挑戦する力の重要性を教えてくれます。
彼らの物語は、今日のビジネスや日常生活においても、多くの示唆を与えてくれるでしょう。
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