クレヨンとパステル、描く歓びの源流 - - 道具と文具の遊悠エッセイ
初めてクレヨンやパステルを使った時のことを覚えていますか。
多くの人にとって、それは、あの独特な油の匂いと、ザラリとした紙の上を滑る感覚とともに、指先に残る画材の感触と結びついているのではないでしょうか。
今回は、身近でありながら、その奥深さを見過ごされがちな二つの画材、「クレヨン」と「パステル」について書いてみたいと思います。
子どもの頃、誰もが夢中になったクレヨンの「描いてる!」という実感が伴う力強い色。
そして、美術室の片隅で、柔らかな光を放っていたパステルの繊細な粉雪のような色彩。
これらは単なる文具ではなく、私たちの創造性の源流であり、手のひらから世界を再構築する魔法の杖でした。
この素朴で偉大な画材たちの、知られざる歴史、生態、そして未来を紐解いてみましょう。
ロウと粉とが辿った道
クレヨンとパステル、その起源は遥か古代の彩色技法にまで遡ることができます。
クレヨンの先祖を辿ると、古代エジプトのミイラの肖像画にも使われたエンカウスティック(蜜蝋画)の技法に行き着きます。
顔料を溶かし込んだ蜜蝋を固めて描くという発想は、現代のオイルクレヨンの構造と驚くほど共通しているのです。
近代的なクレヨンの形が確立したのは、19世紀のアメリカやフランス。
特に、学校教材として大量生産されるようになったことで、クレヨンは一気に「子どもの画材」という地位を確立します。
しかし、その裏側には、安価で安全な画材を子どもたちに提供したいという教育者たちの熱意と、工業技術の進化とがあったのです。
ロウという「結合材」によって顔料の粉を閉じ込めることで、子どもが安全に、そして大胆に描ける自由を与えたのが、クレヨンの最大の功績と言えるでしょう。
一方パステルは、ルネサンス期以降、ヨーロッパの芸術家たちに愛された画材です。
クレヨンのように油分やワックスで固めず、顔料をわずかな粘着剤(アラビアゴムなど)で固めただけの、いわば「色を付けたチョーク」のような存在。
油絵具が乾くのを待つ間に、素早く色を試したり、下絵を描いたりするために使われました。
やがてパステル自体の柔らかな発色と質感、そして独特の光の表現力が見直されて、18世紀にはロココ宮廷の女性たちの肖像画を描くために一世を風靡します。
エドガー・ドガといった巨匠たちが、パステルの持つ繊細さ、そして素早さという「生態」を最大限に引き出しました。
パステルは、油絵具と水彩絵具とのちょうど中間で、粉という原始的な形で色彩を操る、非常に優雅で、それでいて脆い画材なのです。
「クレヨンとパステル」の仲間たち、それぞれの個性と生態
この二つの画材の「生態」を観察していきましょう。
彼らは姿形こそ似ていますが、その性格は驚くほど多様なのです。
力強いクレヨンの二つの顔
クレヨンの代表格は、学校でお馴染みのワックスクレヨンです。
ロウが主成分のため硬く、折れにくいのが特徴。
紙の上を滑ると、その痕跡ははっきりと残り、指でこすっても色は動かない「確固たる存在」です。
このロウの特性を利用したスクラッチ技法や、上から水を弾くレジスト効果は、この画材ならでは。
画用紙やケント紙のようなしっかりした支持体に向いていて、時に木材へのマーキングにも使われる、実用的な側面も持ちます。
これに対して、同じクレヨンの仲間でも、オイルクレヨン(クレパス)は、ロウに油分が加わることで一気に表情を変えます。
非常に滑らかで伸びが良く、発色も鮮明。
厚塗りや混色が自在で、油絵具のミニチュアのような表現力を持っています。
濃い色の上に薄い色を重ねて混色するほか、テレピン油などのオイルで溶かして、筆で塗ってぼかしを表現する「オイル溶き」も可能です。油分が多いため、厚口の画用紙やキャンバスボードなど、油分に負けない強度を持つ支持体が最適です。
儚く舞うパステルの三つの姿
次に、粉を主体とするパステルの世界を覗いてみましょう。
最も繊細なのがソフトパステル。
顔料の割合が高くて、非常に柔らかく、まるで「儚く舞う粉雪」のようです。
発色は群を抜いて優れていて、指や擦筆で簡単に粉を擦り広げ、広範囲に柔らかなグラデーションを作り出すことができます。
その反面、紙の繊維の間に「付着」しているだけなので、定着液(フィキサチーフ)は必須。
表面に凹凸があり粉をよく保持できるパステル紙(タント紙など)や、ザラザラしたサンドペーパーが、彼らの最高の舞台となります。
ソフトパステルの「デッサンの相棒」とも言えるのがハードパステルです。
粘着剤が多く硬めなので、折れにくく、スティックの角を使った鋭い線描や、細密描写に向いています。
ソフトパステルでのぼかしの前に、全体の構図や色配置を線で決める下書きにも活躍します。
油分を加えて定着力を高めたオイルパステルという「ハイブリッド戦士」もいます。
クレヨンよりも滑らかで、ソフトパステルよりも定着力が高い。
厚塗りが可能で、画用ナイフなどで厚く塗った面を削り取ったり、伸ばしたりして立体感を出す「バターナイフ技法」にも適しています。
厚めの画用紙やキャンバスボードといった、油性画材に耐える支持体でその力を発揮します。
進化する色彩の魔法
デジタル時代が進行する中で、アナログな画材であるクレヨンとパステルにも、新たな動きが見られます。
一つは、環境と安全への配慮です。
近年、植物由来のロウや天然の顔料を使った、より安全で環境負荷の少ないクレヨンが登場しています。
また、パステルでも、特定のアレルギー物質を排除した製品や、環境に優しいバインダー(粘着剤)を用いた製品が開発されています。
これは、画材が単なる道具ではなく、私たちと地球との接点であるという意識の高まりの表れなのです。
もう一つは、「デジタルとの融合」です。
一見、真逆の存在に見えますが、例えば、パステルで描いたテクスチャをスキャンしてデジタルアートの背景に使う、あるいは、クレヨンで描いたような「ザラリとした筆致」を再現するデジタルブラシが人気を博しています。
アナログ画材の持つ「物質感」や「手の痕跡」は、デジタルでは代替できない魅力として、逆に価値を高めているのです。
そして何より、ユニークな使い方としての「大人の塗り絵」や「美術療法」での活用です。
複雑なテクニックを必要とせず、ただ指先で色彩を操る行為は、デジタル疲れした現代人にとって、感覚を取り戻すための最も原始的で効果的なセラピーとなり得るでしょう。
指で混色して、粉を纏い、ロウの香りを嗅ぐ。
これは、私たち人間が持つ「触覚と視覚の記憶」を呼び覚ます行為なのです。
「色彩の記憶」と「未来の兆し」
クレヨンとパステルは、私たちに「色を塗る」という行為の根源的な喜びを思い出させてくれます。
クレヨンは力強く、パステルは儚い。
一方はロウという鎧で身を守り、一方は粉という純粋な姿で光を捉えます。
しかし、どちらも、画材の持つ制約を超えて表現する自由を私たちに与えてくれる、最高の相棒なのです。
もしクレヨンやパステルに触れる機会があったら、その素材が辿ってきた悠久の歴史と、無数の芸術家や子どもたちが託してきた夢とに、そっと想いを馳せてみてください。
その描線や粉の広がりの中に、「色彩の記憶」と「未来の兆し」とを見つけることができるかもしれませんよ。
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