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「マンション」、ハリウッドスターには言えない、我が家の秘密 - - 言葉遊びの遊悠エッセイ

 かつてこの国の家は、「ウサギ小屋」と笑われていました。
 高度経済成長期、狭い土地に押し込められた日本人が、それでも胸を張るために選んだ魔法の言葉。それが「マンション(大豪邸)」だったのです。
 ウサギ小屋の中に大豪邸を建てるという、昭和の先人たちのあまりにも図太く、愛すべきハングリー精神の物語。それは、こんな身近な悲喜劇から始まります。


 海外のビジネスパートナーとのオンライン会議で、雑談がてら「日本のどこに住んでいるの?」と聞かれたら、あなたは何と答えるでしょうか。
 「東京のマンションだよ」
 日本のビジネスパーソンなら、つい口が滑ってしまいそうな、ごく自然な返答です。英語っぽく「I live in a Tokyo mansion!」なんて、ちょっと誇らしげに言ってみたりして。
 でも、もしそう答えてしまったら、画面の向こうの相手は目を丸くして、こう叫ぶに違いありません。
 「オーマイガー!君はIT長者か?それとも貴族の末裔なのか!?」

 後日、出張で来日したそのパートナーを、親切心から自宅へ招いたとします。案内されたのは、駅徒歩10分、ごく一般的な3LDKの集合住宅。ドアを開けた瞬間の、彼のなんとも言えない、狐につままれたような表情。
 「・・・ここが、君の言っていた『エステート(屋敷)』なのかい?」
 和製英語の罠が生んだ、小さな悲喜劇の瞬間です。

 それもそのはず、英語の「mansion」は、ハリウッドスターや大富豪が住むような、文字通りの「大豪邸」を指す言葉なのですから。私たちが当たり前に住んでいるコンクリートの四角い箱は、彼らにとっては「アパートメント」や「コンドミニアム」に過ぎないのです。


 では、なぜ日本の住宅はこれほど誇大妄想的な名前で呼ばれるようになったのでしょうか。

 時計の針を、昭和の高度経済成長期へと巻き戻してみます。
 地方から都市へ、怒涛のように人が押し寄せた時代です。当時の日本の住宅事情は、海外から「ウサギ小屋」と揶揄されるほど狭く、貧弱なものでした。木造の賃貸アパートが乱立し、プライバシーもなにもない時代。

 そこで立ち上がったのが、昭和の不動産業界の先人たちでした。「アパート」という地味な響きでは、新しい時代の憧れを売ることはできない。そう考えた彼らは、辞書から一番格好いい言葉を引っ張ってきたのです。それが「マンション」でした。

 狭い日本で、わざわざ縦に積み重ねたコンクリートの箱を指して、「これぞ大豪邸である」と言い張る。この、あまりにも図太く、愛すべきハングリー精神。ウサギ小屋の中に大豪邸の看板を掲げてみせた先人のたくましさには、思わずクスリとさせられます。いや、一種の感動すら覚えます。言葉の魔術によって、日本人は狭い部屋の中に「私たちの城」を見出したのです。


 それから半世紀が経ち、日本のマンションはさらに進化を遂げました。空に向かってニョキニョキと伸び、今や「タワマン」と呼ばれる超高層のシンボルにまでなっています。

 かつて横に広がれなかったウサギ小屋は、今や縦へと積み重なり、そこに新たな人間模様を生み出しています。いわゆる「階数カースト」です。エレベーターのボタンの数字が、そのまま住人のステータスになってしまう不思議。低層階の住人が、高層階の住人にエレベーター内でそっと順番を譲るような、あの妙にギスギスした、それでいてどこか滑稽な「あるある」の風景。私たちはいつの間にか、先人が仕掛けた「大豪邸」という言葉の呪縛に、今なお踊らされているのかもしれません。


 ここで、言葉の歴史をさらに深く掘り下げてみます。英語の「mansion」を通り越して、そのさらに源流であるラテン語の「mansio(マンシオー)」にまで、意識のスコップを突き立ててみるのです。

 すると、驚くべき事実が浮かび上がってきます。このマンシオーという言葉、大豪邸でもなければ、定住する家でもありません。その本来の意味は、「旅の途中の宿泊所」「一時的な滞在所」だったのです。街道沿いにある、旅人が一夜を明かすためのただの宿。それが、この言葉の本当のスタートラインでした。

 かつてヨーロッパの旅人たちが「一時的に留まるだけの、かりそめの宿」と呼んでいた言葉が、長い時間をかけて地球を半周し、ここ日本にたどり着いた。そしてなぜか、私たちが35年もの長いローンを組み、命がけで手に入れる「一世一代の終の棲家」という意味に、180度ひっくり返ってしまったのです。流動の象徴だった言葉が、固定の象徴へと変貌を遂げた。これこそ、最高の言葉遊びなのかもしれません。


 私たちは、強固な鉄筋コンクリートの安心を買い、そこに「定住」しているつもりでいます。けれども、語源の神様から見れば、私たちが必死に守ろうとしているその部屋も、実は広大な人生という旅路の、ほんのひとときの「仮宿」に過ぎないのかもしれません。

 タワマンの40階に住んでいようが、下町の1階に住んでいようが、あるいは海外の友人に「ウサギ小屋」と笑われようが、そんなことは大した問題ではないのです。どうせ私たちはみんな、この世界という名の長い旅を続ける「日々旅びと」なのですから。

 そう考えると、毎月のローンの明細を見る目も、変わってくるような気がします。
 この街にしばらく滞在するための、ちょっと贅沢な宿泊費なのだ、と。

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