アジテーター
いつにも増して散らかった文章になってしまった。何か書きたかったのだから仕方がない。
歌というのは、正しく評価される唯一の『自分語り』だなと思う。
まあ聞くといい。歌というのは、例外はあるものの、俺がどう思ったか。俺がどう向き合ったか。それを語るものである。
自分の経験や感性を歌詞に込め、相手に届ける。恐らくそこに客観性や理路整然さを求める人間はこの世に1人も存在しないだろう。
とするならば小説は他人語りだ。
登場人物が他の人、もしくは過去と織り成なす語り合いによって導かれる結果、もしくは何らかの結論を、我々は神のような俯瞰した目線で観測する。
その芸術に求められるのは伏線などを含めたある程度の論理的秩序と導かれる結論の妥当性である。
絵や絵画はそれで言うなら受け手語りと言えよう。
どれだけ作者が構図に趣向を凝らし、魂を込め絵の具を塗りたくろうと、
受け手の感受性が豊かでないと
『絵…うま。』以外の感想が出てきづらい。
ある程度受け取る側がその絵や作者に対して別途ストーリーを用意する必要がある。
小説や歌に比べて受け手に求めるハードルが高いのだ。絵は。
一般的に聴覚よりも視覚の方が受け取ることのできる情報量は数倍多いとされている。
歌を聞くのに使用する聴覚。
それに対して絵を鑑賞するのに使用する視覚、
情報量、それは言い換えると娯楽としての『厚み』と言うことも出来るのでは無いだろうか。
ゲームに例えるとわかりやすい。
必要な容量が500MBのゲームよりも
必要な容量が5GBのゲームの方が面白く、良いゲームである可能性が高い。
もちろんこれは傾向的な話であり、低容量であっても大きな容量のゲームを超えうる十二分に面白いゲームも中には存在する。逆も然りだ。
ここまでの詭弁によって、聴覚を使用する音楽よりも視覚を使用する絵の方が、持つ情報量が多いということは明らかになった。
そして、情報量が多いほど娯楽としては価値が高い傾向にあるということも明らかとなった。
しかしながらである。
芸術としての音楽よりも、芸術としての絵の方が大衆的でないことは火を見るより明らかだ。
娯楽としての『厚み』は情報量に比例して大きくなっていくが、『厚み』を必ずしも必要と定義しない『大衆性』というのはその芸術の中に存在する情報量に反比例するのかもしれない。
音楽というのは日常への浸透具合が尋常ではない。
運転中の車内や飲食店、通勤通学中、睡眠のお供としてそれらと共存し、それらの質や満足感を高めることが出来る。
音楽は比較的少ない情報量故、ライブやフェスなどに代表される、メインディッシュとしての楽しみ方の他に、
何かをしながら音楽を嗜むような、日常の装飾品としての楽しみ方ができるのだ。
ここで小説についても言及しよう。
小説を読むのに使用するのは紛れもなく視覚であるが、小説において視覚を使用して見ているのはただの『記号』である。
『記号』とは、規格化され、色彩を持たず、想像を一切逸脱しないところの、『記号』である。
情報量、言い換えるところの、芸術としての『厚み』としては絵画よりも、音楽よりも少ないと言えよう。
分かりやすく順序立てると、情報量というのは
小説<音楽<絵画
となっている。
がしかし、小説には他の2つとは決定的に違う点が1つある。想像量である。
もちろん自分とて、音楽や絵画を楽しむ行為に想像性が必要ないなどと言うつもりは毛頭ない。
だがしかし、小説を読む行為に必要とされる想像量の多さは他の2つの追随を許さない。
小説はその含有する少ない情報量を補うが如く、こちら側に想像性を要求する。
こちら側になにか行動を要求してくるという点においては絵画に似ていると言えよう。
そして、音楽はそれ自体を主題とせずとも、他の事柄と並列して楽しむことが出来るとも論じたが、小説はむしろ逆である。
小説がその場の中心となり、それらのお供としてコーヒーや紅茶、電球光、カーテンから吹く風などが周囲を彩る。
つまるところ、様々な物事と共存し得る音楽に対して、小説はメインディッシュとしてしか生きられないと言えよう。
それらに対して絵ができることといえば、せいぜい部屋や廊下に絵画を飾って日々を色鮮やかに演出することくらいなものだ。
1枚の絵をじっくり鑑賞するのも1時間2時間が関の山であろう。
だが、ひとえに『初速』に限って言えば絵画には他2つの追随を許さない圧倒的なアドバンテージがある。
初めて名画を一目見た時の衝撃はどんな音楽よりも、どんな小説よりも、鮮烈な物となる。
まとまりのない考察である。
締めに入るとしよう。
この考察ともいえぬ考察を見て、君が何を思ったのかは自分には分からない。
怒り心頭の奴もいれば、馬鹿だと笑い飛ばす奴もいることだろう。純粋に面白くなかったと言って頂いて構わない。
だがそれこそ芸術の主たる意義では無いだろうか。
日常の中心であるかどうか?
芸術としての『厚み』?
初見の衝撃?
言ってしまえば芸術などくだらない。
ただの間延びした人生の暇つぶしだ。
自分は芸術が好きだ。
主菜たる人生を彩り、より味わい深くするための副菜としての芸術。
正しく心を掻き乱し、人生を扇動する。
agitator、人生の扇動者たる芸術である。
