恐るべき公安👮♂️④-04謀略工作部隊サクラ「“サクラ”から”チヨダ“への改名」
恐るべき公安④-04謀略工作部隊サクラ「“サクラ”から”チヨダ“への改名」
悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。
青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動
「サクラ」から「チヨダ」へ
公安1課から警備企画課へ
●公安1課から警備企画課へ
盗聴事件の発覚によって「サクラ」部隊が被った打撃は小さくはなかった。
マスコミや世論による強烈な批判を一身に浴び、闇の背後に埋もれてきたはずの公安警察、それも「サクラ」を統括するキャップである公安1課理事官までが更迭されてからしばらく後、中野の警察大学校にあった「サクラ」の本拠地はひっそりと姿を消した。
「情報活動をやっていることが分かった段階で、その情報活動は失敗だ」
との言葉どおりと言ってしまうにはあまりにも大きすぎる失敗だった。
公安警察にとって、それは菅生事件以来の歴史的な敗北だった。
では今、「サクラ」はなくなったのか。確かに「サクラ」の名称はなくなった。
だが、本拠地と名称を変え、今も存在し続けている。ある公安警察官が言う。
「盗聴事件がきっかけだったのは間違いない。あのころから本拠地を(警察庁や警視庁がある)霞が関に移した。
担当も警察庁公安1課から警備企画課に変わってね」
「チヨダ」誕生
●「チヨダ」誕生
1991年春、警察庁警備局で組織改革が実施された。
それまで警備局筆頭課として共産党調査を担当した公安1課が警備局全体の調整や
事務作業を引き受ける機能も包含していたが、新たに警備企画課が設置され、局全体の調整、事務作業を引き継いて独立。
筆頭課として全国の公安警察に関する制度、運営の企画・調査、さらには局内の総合調整を切り盛りする部門として発足した。
手元に警察庁組織図がある。
警備企画課には課長、総合情報分析官、理事官などのポストが並んでいるが、
例によって理事官職で組織図に掲載されているのは1名だけだ。
実は公安1課=「サクラ」時代と同様、組織図にも載らないもう1人の理事官が警備企画課に誕生したのである。
これもまた例によって、組織図に載っていないとはいえ、
それまでキャリア官僚として出世の階段を上ってきた人物が組織図から忽然と名前を消すのだから、関係者は誰もが彼が何の任務に就いたかを知っている。
つまり、かつての「サクラ」は警備局組織改編によって公安1課から警備企画課に横滑りしたにすぎない。
今、関係者はこれを「チヨダ」の符号で呼称する。
「やっていることに基本的な違いはない」。多くの公安警察官はそう言う。
「サクラ」から「チヨダ」に名前を改めた組織が何をしているのか、いくつかの証言を総合すると、その最大の役割は全国の公安警察による協力者獲得作業に対する指示、管理、統括、そして直轄部隊の機動的運営である。
これまで全国の公安警察による協力者獲得作業と直轄部隊運営は全てが「サクラ」によって仕切られてきたが、現在は「チヨダ」によって引き継がれたのである。改めて主な機能を検証すれば以下のとおりだ。
各県警の「協力者対策」を統括
●各県警の「協力者対策」を統括
ある都道府県警の公安警察官が運営している協力者に対し、
別の都道府県警察が協力者候補としてアプローチしてしまうようなケース。
「協力者になるような人物は、どこの県警でも目を付けやすい」とされ、
複数のルートによって同一人物にアプローチが施される場合が想定されるが、
協力者運営にとっては最悪の齟齬である。ある県警の協力者になっているにもかかわらず、別の県警からの接近を受ければ協力者側の不信感は増大する。
協力者の統括的運用を「チヨダ」が担うことでこうした齟齬は回避できる。
このため一般の公安警察官が協力者獲得工作に着手する場合、
事前に「チヨダ」に申請し、作業を登録することが義務づけられる。
許可されると登録番号が付与され、「チヨダ」の指揮下で工作が推進されることになる。
女性や未成年者に対する協力者工作は原則禁止されていると記したが、わけあって着手する場合には「チヨダ」の事前承認を得ねばならない。
一定金額を超える多額の報酬を渡すことなども「チヨダ」の事前承認が必要とされる。
身分を偽って工作をしたり、スピード違反など警察業務との取引を工作の材料とする際も、原則として「チヨダ」の事前承認が必要。
作業に着手すると協力者獲得の経過は逐一報告がなされ、中でも説得段階に入ると「チヨダ」との綿密なやりとりが行われる。
また、協力者からの「情報」と協力者の「運営」を分離することで、協力者運営における恣意性と情緒性を排除することも「チヨダ」の目的だという。
すでに記したように協力者からもたらされた情報を事件化することを決断したことにより、協力者を切らねばならなくなった場合、協力者としての重要性を「チヨダ」が判断、一方で情報自体の価値や事件としての重要性を公安各課が判断し、
双方を分離して上層部に報告が上がるシステムが生み出される。
これによって、協力者を切ってでも検挙する事件か、あるいは協力者の継続運用を優先すべきか、政治的判断時において上層部に到達する情報のバイアスを排除することができる。
人事権も掌握
●人事権も掌握
全国の都道府県警に所属する「チヨダ」部隊の人事問題も大きなテーマの1つだ。
公安警察といえども警察機構の一端に存在する以上、一般警察の人事と無縁ではいられない。
まして建て前上、各都道府県警所属の職員(警視以下)に対する人事権は警察庁にはない。だが実体上は「チヨダ」に関しては別運用がなされ、人事権すら行使しているのが現実という。
例えば、重要な協力者獲得作業を進行中の係員に突然異動が発令されたらどうなるか。
微妙な駆け引きの中で潜行して推進される工作作業は、簡単に別の係員に引き継ぐことなどできはせず、長い時間とカネをかけた作業が水泡に帰してしまう可能性が高い。
かつて「サクラ」所属の公安警察官にかかる人事は「警察庁事前承認事項」とされていた。
現在は「事前協議事項」に格下げとなっているが、事実上は事前承認と同等レベルでの運用がなされ、各都道府県所属の警察官といえども「チヨダ」が人事権を掌握しており、無断で配置転換することは不可能だと言う。公安警察に関する限り、自治体警察という建て前がいかに実態とかけ離れているかがうかがい知れる。
警察内といえども厳密な秘匿下におかれた公安警察の実態を関知していない幹部も多い。公安警察官の活動に理解を示さなかったり、あるいは公安警察に対する知識の欠如から知らずに係員を異動させてしまうケースも少なくない。
ある県警の警備部幹部にはこんな経験がある。県警の人事部門が幹部や警察庁に対して何の相談も施さないまま、重要な協力者の運営を続けている所属公安警察官の異動を決めてしまったというのだ。
「人事部門に怒鳴り込んで異動は撤回させた」
幹部はそう言って笑う。
もちろん「チヨダ」係員が当該都道府県警の本部長や警備部長の指揮下に入っていないわけではない。
だが、本部長や警備部長の経歴によって部隊把握度に濃淡の差が生じているのは事実だという。
公安部門を歴任した本部長がトップとして君臨すれば、
トップ自らが配下のチヨダ部隊員の実態を把握しようとつとめるであろうし、
係員からも情報が必然的に上がるようになる。
だが、実態を知らない本部長や上司だったら情報は「チヨダ」=警察庁警備局との直接回路の中でやりとりされるだけで、係員側は本部長らに対し逐一報告などしなくなる。
「いちいち心配を掛けることはない」――某県警の「チヨダ」係員は淡々と言い放った。
裏理事官の顔ぶれ
●裏理事官の顔ぶれ
過去の「サクラ」あるいは「チヨダ」のキャップ=裏理事官にはどのような人物が名を連ねているのか。
既述のとおり裏理事官に就任するのは全てがキャリアの警察官僚である。
就任時期はいずれも40歳前後の警視正クラス。
入庁から15年前後の働き盛りの警視正クラスが当てられる。
最近で最も著名な裏理事官経験者は衆院議員の亀井静香だろう。
亀井は「サクラ」時代の裏理事官として全国の部隊を指揮した。
その後は北海道警本部長、警察庁警備局長などを歴任した伊達興治、
オウム事件の際の警視庁刑事部長で神奈川県警本部長などを経験した石川重明、
そしてすでに紹介した堀貞行は盗聴事件発覚時の裏理事官で、その後茨城県警本部長などに就いた。
盗聴事件後、「チヨダ」として生まれ変わってからも1年から2年程度で担当者が交代しているが、
いずれも警察官僚のエース、準エースクラスの人材が配されている。
協力者の運営という公安警察にとって最も秘匿度の高い活動を指揮する以上、当然なのかもしれない。
またキャップの下で事務を執る課員の多くは全国都道府県警からの出向者だが、彼らにも強い保秘意識が求められる。
「任期を終えれば全国で運用する協力者の概要を把握するようになる以上、当然だろう」ある公安警察幹部は、そう言う。
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より
