ベクトルの向きが違うだけ。仕事と趣味の境界線について
「好きなことを仕事にしたい」って、よく聞くよね。
それ自体は素敵なことだと思うし、否定するつもりはないけど。 でも、なんかちょっとモヤっとすることもある。 なんだろうね、あの感じ。
仕事と趣味の境界線って、案外シンプルなのかも。 結局のところ、「誰を優先しているか」の違いなわけ。
ベクトルの向きが、外に向いてるか、内に向いてるか。 ただそれだけの話なんだよね。
誰かのためにチューニングするから、仕事になる
仕事って、本質的には「他人を優先する」行為だよね。
お客さんだったり、クライアントだったり、チームの仲間だったり。 他者の課題を解決したり、欲求を満たしたりする。 だからこそ、そこに対価としてのお金が発生する。
たとえば、車の運転。 誰かを助手席に乗せて、目的地まで送り届ける時。 急ブレーキは避けるし、温度設定も相手に合わせるよね。
相手の機嫌や状況に合わせて、自分のやり方を曲げたり、調整したりする。 そこに多少の面倒くささや、妥協が生まれるのは当然のこと。
他人を心地よくさせるためのノイズを引き受けるのが、仕事だしね。
自分だけを喜ばせるのが、趣味の特権
逆に趣味って、「自分を優先する」ことだよね。
誰に褒められなくてもいいし、社会の役に立たなくてもいい。 ただ自分が気持ちいいから、楽しいからやる。
さっきの運転の例で言えば。 休日の深夜に、あてもなく一人でドライブする時間。 好きな音楽を爆音で流して、遠回りしたって誰にも怒られない。
ベクトルが100%自分に向いていて、他人の評価や効率は関係ない。
この自己完結できる自由こそが、趣味の絶対的な聖域なんだよね。
「好きなことを仕事にする」のジレンマ
この「他人優先」と「自分優先」を混ぜようとするから、ややこしくなる。
趣味だったものを仕事にした瞬間、ベクトルを他人に向けなきゃいけなくなる。 深夜の自由なドライブが、いきなり「お客様を乗せたタクシー」に変わるわけ。 これって、けっこう息苦しい。
「もっと燃費よく走れ」とか「このBGMはウケない」とか言われ始める。 自分のための楽しみだったのに、万人にウケるように調整する作業が始まる。
もちろん、他人の期待に応えること自体に喜びを見出せるならいい。 それは間違いなく、最高の仕事になると思う。
でも「自分を優先したい」という純粋な欲求を捨てきれないまま仕事にすると。 どこかで必ず、誰かの期待とぶつかって嫌気がさす。
好きだったはずのことが、見たくもない作業に変わっちゃうかもね。
ルールが違うゲームとして楽しむ
仕事は他人を喜ばせるゲーム。 趣味は自分を喜ばせるゲーム。
どっちが偉いとかじゃなくて、単にルールが違うだけ。
誰かのために汗をかいて、喜んでもらって、お金をもらう。
その対価で、誰にも邪魔されない自分だけの時間を買う。 そういうサイクルで生きていくのが、一番健全な気もする。
どっちも大事だけど、無理に一つにまとめる必要はないんだよね。 混ぜるから苦しくなる。
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