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短期連載小説               霞んだ境界(3)

 拓哉は念のため、店の表から新たにこの店へと入って来る他の客たちの様子を暫く窺ってみた。

 さっき奇妙な、金魚の形をした大きな風船が浮かんでいた事や、自分が見た武者行列の正体が一体何だったのか?いまひとつ腑に落ちなかった拓哉は、商店街の様子がおかしければ、きっと誰かがそれを話題にするはずだと思ったからである。

 だが、客の間から聞こえてくるのは、ありきたりな世間話だけだった。
 武者行列をやるらしいとか、やはり何かの催しでもあるんじゃないのかと言った会話もちら、と聞こえたが、誰もそれに対してそんなに深い興味や関心を抱いている様な人はいなかった。

 店の主もそんな事には一向にお構いなく、ただ懸命に魚を裁き、刺身を盛り付け、料理をしている。

 拓哉も矢張り、あれは自分の勘違いだったのかな?と思う程度で今日、自分自身に起こった大きな針路上の変化のあまり、少し神経が過敏になっているだけなのだと、この時点でその出来事を心に刻まれている、彼の深い心の襞に収めてしまう事に決めた。

 誰ひとりとして、表の様子に大きな変化も異変も、見た様な者はいないのだから。

「拓っくん。サワーのお代わりは?」と尋ねられて、拓哉は素直にそれに応じた。

 よし!俺だって今夜位は・・。                                         
 大いに飲んで楽しまなくっちゃあ!と、

 今日あった出来事を頭の中で振り返るのも止める事に決めて、
いつも通りの彼に戻ると、サワーを美味そうににゴクッ!と飲んで
心にケリを付けた。

 決意はときに、却ってその目的としたものを妨げるものだが、拓哉
にとっては今度の一件がそれだった。
 彼がつい、今しがた拘らない事に決めたばっかりのその決意は、あっけなく潰え去った。

 表で人がざわめき、時にどよめく声が聞こえ始めたのである。
 明らかに表では、何かが起きているらしかった。

「大将、聞こえましたか?表でなんか騒いでますよ」

「おう、その様だねえ。なあ、拓っくん、済まねえけどさあ、俺はいま見ての通り手が離せねえからさあ・・。何があったっか、拓っくんが見て来てくれねえか?」

 店の客の中からも、それを察して幾人かの客が、拓哉と一緒に表の
様子を見に席から立ち上がり、出入り口の方に歩いて行った。

「何ですかねえ?お祭りは無いってさっき聞いたけど・・。」

「うん。でも、さっきみたいにまた人が増えて来たぞ・・。
凄い人だかりだねえ。此処からじゃあ、なんにも見えないけど」

「切腹が始ろうってえんですよ・・。ふっ!でも、まさか本気で切腹
する奴があるわけ無えやなあ・・。なんかの催し物でも始めるんじゃあ
ないのかなあ?」

 拓哉たちの前にいた、どっかの親父が振り返ってこう言ったが
拓哉にも、なじみの客にも、その意味が分からない。

「え?切腹う?!」

「うん。あの武者行列みたいな侍たちは、それを見届ける小役人に
その上役の目付だってさ・・。あの死に装束の侍が、今から口上を
述べるんだってよ。そんな事をさっき、古風な江戸の侍言葉で言ってたよ。
それにしても一体、いきなりなんの騒ぎなんだろうねえ?」

 親父も好奇心と期待とが、半分混じった戸惑い顔だ。
 
 拓哉が、人だかりの隙間から路上脇へ這い出てみると、初めてその
様子が見えた。
 先ほど店の中から、ちらと見えた幾人かの武者行列のようなのは
小役人で、裃に袴を付けている3人の代表者がその見届け役の、少し
偉い役人と言う訳らしく、彼らの中の真ん中にいる役人が、大声で
ゆっくりと口上を述べ始めた。


「この者、主鏑木丹後守さま家来、土方伊右衛門!主の不興を買いし故、切腹の御沙汰を仰せつけられたる者なれども、そは腹黒い心に因りてには非ざるなり。彼の潔白を証さんが為なり。若し腹黒心なれば切腹を免れんと図りも致しましょうがさには非ず。潔く、是より丹後守さま御沙汰の如く、切腹差し許されし上は、我らそを見届けましょうぞ。」
 
 役人の一人が大声に粛々、こう述べ終えた。
と見れば、それと対した一画に、別な白い死に装束を帯びた男が、
畳の上にいた。

 侍の前に置かれた白木の三宝の上には、懐紙と小刀が置いてある。
それを前にして、死に装束の男は取り巻く群衆の皆に向かい、深く
一礼すると、また別な口上を述べ始めた。

「私義、丹後守さま家来、土方伊右衛門は此度、主丹後守さまから
有難くも切腹のご沙汰を賜りし段、甚だ誉高き事と存じ上げ、深謝致
し候者也。
 掛る御沙汰を賜りし上は、必ずや我が一族の面体を汚す事無く、 
ひたすら是切腹相勤め、我が家門の繁栄を祈り、父上様はじめ子々孫々
累代の者共へ、報恩致しまするべく・・・」

 白い装束を着ながら、その月代を全て上げて見せている主役が
今日の出し物のメインらしく、長々といつ果てるとも知れぬ口上が
続いている。

「あの人がその切腹役をする役者かい?どこの劇団かねえ、良い役者
じゃねえかあ!俳優座だったら確か、大岡越前とおんなじだな!」

「芝居は分かってますけど、どうしてここで切腹の演劇なんかやるんですか?商店街の主催?なんだかイヤだわねえ・・。」
 
 今度は隣にいた主婦らしき女性が尋ねている。

「なあに奥さん!芝居ですって、お芝居!見てたら分かりますよ」

 切腹の主人公である侍、土方伊右衛門の口上は、この様子から見て
まだ、その半ばにも達してはいないようである。

「・・真白き誉をいざ!御覧じろ。この伊右衛門。有難き切腹の儀に
臨み、次にはまさに我が先祖の御霊に感謝の辞を述べ申さん・・。
 そもそも我が土方の家は、その初め天正年間、お納戸役として鏑木
の家にお仕え致したのがその始めにて、以来降る事十七代・・。」


「芝居にしても長すぎやあしませんか?これってほんとにお祭り
かなんかの・・」

「いやあ、まさかあ!違うだろう。お祭りじゃあこんなのやったら
文句言われっちゃうよ。大事な神様をお祭りするおめでたい日よにお!
俺が思うには、こいつあ多分、映画の宣伝だろうよ・・」

 そろそろ飽きが来始めた野次馬の間からは、こんな文句が聞こえ始めた。

 拓哉も確かにこれは、随分と長い口上だなあと内心思い、顔見知りの酔い客と一緒に、そろそろ店の中へと戻りましょうかと言う事になった。

「あ~!長い長い。大将!ビール頂戴よ!」

「大将あの、僕も咽喉が渇いちゃって・・。梅サワーお代りもらって良いっすか?!」

 得体のしれないその、謎の行列に見入っていた群衆たちも、そろそろ各々の用事を想い出した様で、三々五々帰り始めている。それでもまだ、あの土方と言う名の侍を、見守っている半数ばかりのもの好きが、道の端へと寄った。

 店の出入り口からも、三人いた目付衆らしき男の、裃から上だけが見え隠れしていた。

「へい!お待ちっ!梅サワー!」
「あ!どおもっす!」
「で、拓っくん?あれは一体何だったんだ?」

 店の主から聞かれた拓哉が、その概ねを話し始めた。

「映画の宣伝かなんかみたいっすよ。切腹の口上が長くって、
みんな逃げてっちゃって。何とか言う人・・、ええっと、
伊右衛門とか名乗る侍が、殿様の不興を買って、これから名誉ある
切腹の儀式を行いまするう!みたいな事を言ってましたけど・・」

「ふうん、映画の宣伝かあ。じゃあ、有名な役者か何かが来てるの?」

「いやあ!名も無い俳優だよ大将!今まで一遍も見た事無い奴だったけど、まあ、二枚目は二枚目さ」

 拓哉に代わって、一緒に見ていた別な酔客が答えた。

 店主が「ふうん・・、二枚目ねえ・・」と、それに応じた時だった。

 表の通りが俄かに騒々しくなった。
 それまで見物していた人だかりが一斉に、向かって右へ右へと、小走
りに動き出した。
 
 店のカウンター越しに群衆が、行列になってそれに流されて行くのが見えている。

「おい!大変だぞ!あのバカ野郎が、ほんとに腹切りやがった!」

「おい!介錯だと言って首まで切ったんだぞ!」

「そうだ!人殺しだ。警察を呼ぶんだ警察!首まで切りやがった!!」

 店の中にいる者たちは全員「え・え~っ!」っと言ったきり、その
場でグラスや箸を持ったまま、動けなくなった。

「救急車呼んだって遅いよ。もう、あいつの首が道端に転がってらあ!」

「芝居じゃあね~のか?」

「まさか!芝居で人の頭、切り落とせるもんかい!もう、あの侍みたいなのは、死んじまってらあ!自分で見て来なよ!」

 言われたその客は、口をとんがらせていたが、それでも素直に表へ出た。

 その客の顔がみるみる内に青ざめて「あ!あ!あ~-っ!」っと叫び、
何一つ言わず、また動かなくなった。その酔客は、店のドアにもたれたままその場に崩れ落ちる・・。

 いきなり路上に転がっている無残な生首を見て、その客は気絶したのだ。

 拓哉も表へ出て見れば、先ほどの死に装束を着けた侍らしき男の、
胴体部分と頭部とが、ふたつに切り離されて道路に転がっている。

 拓哉が眼にしたのは、その侍の真っ赤な血が、胴体部分から
どく!どく!と、勢い余って吹き出しているさ中の様相であった・・。

 さっきまで、皆が大きな風船だと思っていたあの金魚の姿も、今のいままで見えなかったが、どこからとも無くその大きな金魚が戻って来ると見た時、道に転がっている侍の無残な死骸を、餌だと思ったらしいその金魚は、素早く侍の転がった頭部に近寄ると、それをぱくっと!ひと呑みにしてしまった。

「うわっ!おえっ!!」

 

金魚

路上には、頭部を切り落とされた胴体だけが、転がってまだ路上にあったが、みんなにも、大きな風船だと思っていたその金魚の形をしたものが、どうやら大きくて、本当に生きている金魚だとその時になってようやく分かって来た。

 その大きな金魚は、侍の胴体部分のまだどくどくと、血が吐き出されている頸部に口を近付けて、匂いでも嗅ぐようにその様子を窺っている。

 金魚は、みんなが考えているよりも10倍以上は、す早く動いて餌食の
頸部を齧り始めた。 

 さすがに吐き気を催した拓哉は、道路に膝を付き、両の眼を自分の掌で覆った。

 今しがたまで、平気で見物していた群衆の間からは、衝撃的な絶望感と
突如として現れたこの事象からの恐怖とで彩られた絶叫が湧き起こり、
我先にその場から離れようと、大通りのある、店から向かって右の方向
へと流れ始めた。

「拓っくん!良いから中へ入るんだ!みんなも!将棋倒しにでもされたら、大変だぞ、さあ早く店の中へ!」

 店主が誰彼構わず、店の客だろうが何だろうが、その場から逃げようとしても、少ししか動く事が出来なくなった人たちを、大方店の中へと招じ入れた。

「全くどうなっちゃってるんだあ?」

 拓哉には、その店主の声さえ耳には入らず、両方の手で髪の毛を握り締めながら、カウンターのテーブルに肘をついたまま動かない。
 
 問うている店主に、拓哉に代わって誰からともなくこう、声が掛かった。

「飛んでもないものを見ちまったよう、大将!!済まないけど、水くれ!」
 
 怯えの極みと言う態で、その客は声を震わせていた。


(続く)

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