あの日食べたラーメンの味・・
僕が学部生であった頃には、大学へ通う途中に魚屋さんが幾つかあった。
その中でも、三軒茶屋から明治薬科大学方向へ向かう道の右脇に、二軒の
魚屋さんが商いを競っていたものだ。
旬のイワシやサンマ、あさりにしじみ、柳川なんかを食べたくて、ドジョウなんかが欲しい時には、その二軒の内の、当時住んでいた家に近い方へ行く。
その店では、僕が魚を買うと、必ず店の親父さんが「学生さんには精進してもらわなくっちゃ!!」と、言いながらポリ袋にいっぱい入った「ぬか漬け」をプレゼントしてくれる。
この「ぬか漬け」がまた、物凄く!美味しいのだ!!
その賑やかな商店街の角から、ちょっと右の路地へと曲がってしまえば、すっかり人影はすっかり少なくなる。
その路地には、一軒の中華屋さんが「ぽつん」とあった。
何と!その日僕は、ゲームセンターで当時、物凄い人気のあったゲーム
『ゼビウス』に夢中になり過ぎて、その日財布にあったお金の大方、なんと!5000円をゲームにつぎ込んでしまい、すっかり気落ちしてとぼとぼと
家路をたどっていた。
今にして思っても全くバカだったと思う。(大いに呆れて下さい・・)
その後僕も、ゲームセンターでお金を失う事が無い様にと、格安店で任天堂の『ファミリーコンピューター』とゲームソフトを幾つか買って、二度と無駄遣いをせぬように心掛けたのだが・・。
その日、気落ちして歩いていた僕は、当然にがっくりと肩を落として下を向きながら歩いていたのだと思う。時期はもう、空気も冷たくなる11月の初めの頃だった。
当時はスマホも無いから、下を向いて歩いている人なんか滅多にいなかった。
当時はみんなが、まっすぐ前を見て歩いていたものだったのだ。
僕みたいに何かの原因でお金を失うとか、失恋したとか、そんな理由から大いに気を落としている最中の人でも無ければである。
そんな風に下を見い見い、しょんぼりと歩いていた僕は然し、路上にあるものを見つけてしまったのである・・!
お金であった!!然も500円!!
僕は辺りをさっと!見渡した。
普段からその路地に入ってしまうともう、その路地を歩いているのは
『明治薬科大学』の学生か、周辺の住民だけである。
(誰も・・、いないっ!)っと思った僕は、物凄い一瞬、一刹那でそこに落ちていた500円を拾い上げ、何食わぬ顔でそれを、大急ぎでポケットにしまい込んだ。
悪い事をしようとしているのだ、と言う自覚はもちろんあった。
何せ、その時僕が考えていたのは、その拾った500円で、すぐ前方数メーターにある中華屋さんへ入ってしまおうと言う悪巧みだ。
これを交番へ届け出ようと言う気は、全く起こらなかった。
まさしくあの時、僕には「魔が差した」のである・・。
だけどその当時、言い訳に聞こえるだろうが、社会のみんなの間には「500円までなら、交番に届け出無くっても良い」のだ、という迷信があったのである。
そんなも迷信も手伝って、細かく言えば「拾得物横領の罪」を、みんなが案外平気で犯していたものだ。
そこから交番までは三軒茶屋駅までの道を、再び引き返して行かなければならず、そこまでする必要はあるまいと、その時の僕は自分を正当化していた。僕は悪くないのだと・・。
こんな考えが頭を巡っているその間にも、罪悪感と羞恥で一杯になりながら僕は、ドキドキしながらその中華屋さんの赤い暖簾を潜っていた・・。
誰も見ていなかったはずだ!大丈夫だ!
そう自分を励まして僕は、気が付けばラーメンを注文していた。
その店の、美味しいはずのラーメンは、然し罪悪感で全く美味しく感じられなかった、当然だ。・・。
思い返せば、僕が500円も拾ったなどと言う事は、後にも先にもあの時たったの一遍だけだ。
お陰様で、お腹はいっぱいになったのだが・・。
あれから時を経る事何十年・・。早いものである。
ここで今それを白状したが、然し二度と500円も拾う事は無く、僕が
「拾得物横領の罪」を犯すような事もあるまいと思う。
僕は「くじ運」が悪いのである。おみくじを引いても常に「吉」か
「小吉」で「大吉」などは、もう何年も前に、学芸大学付属高校の脇にある『世田谷観音』様で引いた時以来だ。それを御守りとして財布に入れて置いたのだが、いつのまにかそれも消えていた。
とは言え僕の場合「くじ運」は、悪い方が良い。
僕が下手に「くじ運」などに恵まれていたとしたら、それこそ「何かと言えばしょっちゅう」1万円を拾い、賭け事に凝りと、却って不運に襲われ、下手をすれば、それこそ「拾得物横領罪」で逮捕、などと言う目にさえ遭い兼ねなかっただろうからだ。
如何にそれが拾いものとは言え、流石に1万円も横領すれば、タダでは
済まないだろう。
拾いものをするならば、500円ほどで、びくびくしている方が良いのである。
こうしてあの時を思い返すと「勘弁して下さい、ごめんなさい」と、今でも思う。
無論、今度若し万が一、僕が500円を拾ったとしたら、その時には必ず
交番へ届け出ようと思う。
