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採集帖 #5 少しだけ東日本大震災について触れる

■3月11日の記憶の記録

※これは、私個人の周縁の記憶の記録です。

「被災者の方ですか?」
市役所の転入届窓口でそう言われてから14年経った。


15年前の3月11日、私は都内の病棟で働いていた。
昼を過ぎ、落ち着いた時間帯に大きな揺れが襲った。
悲鳴が聞こえる。
師長が「自分を守りなさい」と言ったひとことが未だに忘れられない。
仕事が終わり休憩室でテレビを観た。
同じ音が繰り返し流れていた。
岩手県出身の同期は家族と連絡が取れないと泣いていた。
帰宅難民になった友人を物が散乱した自宅に泊め、よく状況が飲み込めないまま、2人で何を食べ、床についたのかもう覚えていない。
ただ、コンビニから食料が消えていた。
翌日からテレビ画面に繰り返し映し出される、凄惨な光景に固まったまま直視せざるを得なかった。
私は直接被害を受けた人間ではない。
だから、私は何もできないし言えないと感じていた。
だけどずっと、その時の映像を観るのは未だに痛みを伴うし辛い。

そして、私の息苦しく帰りたくない田舎だと思っていた地元の福島は「フクシマ」というカタカナの記号に変わっていった。

その出来事から月日が経つに連れて、私は抑うつや苛立ちが増え、人間関係の摩擦が起こり、とうとう限界だと思い、次の道を決め逃げるように退職した。
それは2012年の秋だった。

次へ移る前にしばらく地元福島で過ごした。
家族や知人達は変わりなく過ごせていたが、
時々、家族は町の何が変わったのか、その時どんな方が避難していたのか、なにを助け合ったのか、どこを除染作業したのか、風評被害の中、食べ物は食べるしか仕方ないが、子どもにはこれは食べさせないようにしているとか、そんな話をしていたと記憶している。

見慣れた校庭には除染袋が積まれていた。
それまでの景色は、薄い膜がかかったように、どこか別のものになっていた。
何がどう変わったのか、何が正しいのかよくわからない。
ただ、灰色の空が一段低くなったような空気だけが漂っていた。

私はしばらくの無職期間をなぜだかわからないが、毎日、録画されていたジブリの『ハウルの動く城』を繰り返し観ていたことを覚えている。
なぜだったのだろうか。

震災が起こってから、今まで当たり前にあった価値観は変わってしまった。
「ある」と思っていたものが心の準備もできないままに変わっていくという現実を知った。

そんな中、次の道へと九州へ移住した。
九州という選択肢しかなかった。
縁もゆかりもない場所へと移り、市役所で転入手続きをした際、「被災者の方ですか?」と問われた。
その言葉でラベリングされる現実に、私は衝撃を受けた。
もちろん、それは行政上の分類であり、支援を行うための確認に過ぎない。
それが行政上の確認だということは、頭ではわかっていた。
けれど、受けたショックは想像以上に大きく、私はそれを誰にも言えずに飲み込んだ。

「いいえ、違います」と小さく答えた。

私の経験は小さなことかもしれないけれど、まぎれもなく、片隅で感じていたことであり、それは事実なんだと今、静かに思い直している。

時折、日常で楽しそうに話している人々の様子や、街でみかける働く人の姿や、子どもたちのはしゃぎ声や、川沿いでたばこを吸うおじさんの姿など、そういった日常の風景を見ているとわけもなく切なくなる。

そして、なにかをきっかけとして、その時の辛さが立ち上り、誰にも知らせないように静かに鎮めている人がいるのではないかとそう感じた。
きっと今、目の前で楽しく語り合う相手がそうなのかもしれない。

目の前に見せているもの、見えているものはその人の一部であって全てではないと思っている。

どんな風にその痛みを鎮め、どんな風に今日という日々を生きているのだろうか。
今がまるで偽物のようで、自分だけ時が止まり、周りが動いているように見えているのか。
その心の中は、誰にも計り知れない。


15年という年月は経ったが、私はまだ九州にいて、なんとか暮らしている。
ふとした時に、あの日のことを思い出す。
そして私は今も誰にも知られないように、何かが湧き上がったら、静かに鎮めて日々を送っている。


2026.3.11  塩






■一頁の聲

私は聞きたいと思う
今がどんな形であろうと
一頁の聲を
私は聞きたい




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