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葬送のフリーレンから死について、勝手に哲学っぽく考えてみた

大人気アニメ葬送のフリーレンとりあえず、一級魔法試験のところまでで終わりましたね
私は、単行本勢なのですが世間様がおっしゃっているようにアニメならではの+αもありより、世界観もキャラクターも魅力的に描いてもらい
一言で言うと「サイコーだぜ」
詳しく言っても「サイコーだぜ」
となってしまう程よかったです

そこで、この葬送のフリーレンの始まりであるヒンメルの死からフリーレンは旅を続け、弟子を取り今まで知りえぬものを知っていくお話ですが

今回は”死”について勝手に解釈を広げ考えてみました

フリーレンは何千年も生きているエルフ
ということは容易にたくさんの死を間近にしてきたと思います
そんな、「人間なんてすぐ死んじゃうじゃない」って言ってしまう程
”死”に対して感情を持たなかったフリーレンが、どうしてヒンメルの影を追っているのか、そしてあの無表情なフリーレンが優しい笑顔をみせるのか考えてみたいと思います

あの笑顔のフリーレンの表情をみて私たちが何かいろいろな感情を抱くのは(まさか、私だけ?)理由があると思うのです

さて、ここからはアニメでなく現実世界の話をします
私たち日本人の寿命は今や80歳もふつうで100歳だって珍しくない時代です
人生がながいということは、私たちだって”死”の出会いは少ないわけではなく、目にしていると思います
人間と限定してさらに、親近者となればもしかしたらまだ”死”と直面したことがないとか向き合ったことがないという人もいるかもしれません

しかし

毎日人は死んでいますし、霊柩車だって通っていますし火葬場だって毎日稼働しています
”死”とは決して特別なことではないですね
もっといえば、犬や猫、熱帯魚など大切なペットの”死”がありますし
野良犬の死がいが道路にあるのを見たことあると思います
虫だって植物だって世の中”死”が溢れかえっています

でも、私たちはすべての”死”に対して悲しみを感じるでしょうか?
親の死はいつか受け入れないと・・・と思っていても心がはちきれそうだと思いますし、我が子だとするならば想像を絶して心が壊れてしまいそうです

でも、ニュースで子どもの可哀そうな”死”のニュースが流れていても心が壊れることはないですよね

何が違うのでしょうか?”死”には違いはないのに・・・
言うなれば、虫の”死”も人間の”死”も現象面で言うと何も変わりません
しかし、私たちはある特定の”死”に対して深い悲しみを感じるのであればもしかしたら、それはその対象の”死”に対しての悲しみではなく自分自身が今まで依存していた部分(言い方が悪いですが、愛情かもしれませんがあえてここでは依存とします)を失うから戸惑い悲しむのではないか
だって、対象の依存の量が多ければ多いほど”死”を悲しみ、辛い日々を感じてしまうではありませか?

だから、依存量が少ないものの死は形式上の可哀そうはあっても、辛くはない

そんな考えもあると仮定してフリーレンへ戻ります

フリーレンは今まで話したことの逆をしていることになります
基本、依存はしない人なのでヒンメルの死にたいして無表情でしたよね、そして、周りの人から嫌みを言われて「たった10年しか~」って自分が何も知らいないことを後悔して泣きます
これは、知らないことに対しての後悔の涙なので、私たちの依存関係からくる死に対する悲しみとはちょっと違いますよね

では、逆とはどういうことかというと

ヒンメルとの旅を思い出して、ヒンメルとの足跡をたどり、かっこいい?像を見つけヒンメルのことをどんどん好きになっていく(依存)
そして、気持ちが豊かになり、感情が豊かになってく、それはまるで”死”の悲しみを知るための旅なのかもしれない


いや~やっぱり葬送のフリーレンはよいマンガです
今からも行間を深読みして、涙を流しながら読みたいと思います


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