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ズルさにも似たテクニック

美しい文章と言うものが世の中にはある。

美しいと思う感性は人それぞれなので、村上春樹をオススメされても、特に何も感じる事のない人達もいる事が事実。

ちなみに村上春樹の名著カフカについては、読了後に2階から放り投げてやろうかと思った。

文章の美しさ云々、意味が分からない事には興味がないのが僕だ。

ブログという形で文章を記している僕にとって、紙媒体での無機質な言葉の羅列に憧れている部分はある。

紙にインクを吹きかけただけのモノに心を震わせてしまう人間の変態な感性を大事にしてしまっているからだろう。

独特な匂いもなんだか大切にしてしまいたくなる要因ともいえる。

ちょっと前に音楽ブログの延長線上で、SNSの中で、ラジオの様に勝手に1人語りできる媒体を使って発信している時期があった。

その際に「CDの文化は終わってしまったのでしょうか?」という原始人からの質問があった。

様々な仕事をしてきた中でわかるのは、歳を取ってくると人は、確実に外からの刺激に対応できなくなっていくという事。

50歳を越えた人間の柔軟性の衰えや、適応する事へのハードルの高さを感じる。それ故に自分を守る事への固執として、古くからの風習を守り続ける思考が強くなっていく。

CDの件に関しても、そうだった。

相手が50歳を越えていたから分からないけど、いつまでそんな話をしなければならないのだろうと思った。

適当に答え、早く消えてくれないかなぁと思いながらも、SNS上で1人語りしている自分が、一番の戦犯な事は棚に上げていた。

話がズレたが、美しい言葉は、強くマイペースに生きる植物の純朴さにも通ずる癒しがある。

体の中にゆっくり確実に浸透していくミネラルウォーターが体の成長やエネルギーに使われるそれに似ている。

美しい言葉の定義も曖昧なので、感覚で楽しむ事が嬉しい。

エモーショナルで心の底から元気を呼び起こす力の根源の様なものから、低体温で妖艶なモノまで様々な美しさがある。

僕が思う美しさを隣に歩いている人にぶつけても、それは迷惑になりかねない。いや、むしろ迷惑だ。

学生時代にオススメ曲のプレイリストを作ってプレゼントする事は、青春の1ページとして、濃いめの鉛筆で記されてるかもしれないが、大人になってからの好きの押し付けは、息苦しさを産んでしまう。

大人に求められる押し付けは、こういったブログ形式の「そっちが勝手に覗きましたよね?」的な、罠型が1番スタイリッシュだと思う。

歳を重ねると、勢いだけでは解決できない事案に陥る、だからこそ頭を使わなければ。

ズルさにも似たテクニックだ。


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