第10話|足止めの限界、獅子の最後の抵抗 |『孤独な獅子騎士は、傷だらけの恋を隠せない』 サラ×レオン編|王都恋物語-50
第10話|足止めの限界、獅子の最後の抵抗
お茶会そのものは、驚くほど穏やかに終わった。
第二王子は終始ご機嫌だった。
第一王女から個人的に招かれたことが、よほど嬉しかったのだろう。
終始、薄っぺらい優越感を隠そうともしなかった。下品な冗談を交え、勝手な自信に満ちた笑みを浮かべ、最後にはすっかり自分が好かれているつもりで席を立った。
セラフィーナは最後まで微笑みを崩さなかった。
扇を持つ手も、声も、仕草も、完璧だった。
王女として、何ひとつ隙を見せない。
「では殿下、どうぞ道中お気をつけて」
「ああ、姫。近いうちに、またぜひお話ししたいものです」
恩着せがましく笑う第二王子に、セラフィーナはにこやかに頷いた。
「ええ、機会がありましたら」
その言葉に満足したのか、第二王子は意気揚々と踵(きびす)を返す。
従者たちもそれに続き、一団はそのまま王宮をあとにした。
見送りの列が崩れないうち、セラフィーナはなおも微笑んだまま、その背を見送る。
やがて姿が見えなくなる。
その瞬間だった。
ぎゅっ、と扇を握る手に力が入った。
細い肩が、震える。
顔にはまだ笑みの名残がある。
けれどそれが消えるより先に、アルヴィスがそっとその手へ自分の手を添えた。
「力をお抜きください、我が君」
低く、静かな声だった。
その冷静な響きに、セラフィーナは小さく息を呑む。
それからようやく、張り詰めていた指先の力を少しだけ緩めた。
「……ありがとう」
掠れた声で言ってから、セラフィーナはごく小さく問う。
「尾行は?」
アルヴィスにしか聞こえない声だった。
「つつがなく」
アルヴィスもまた、ほとんど唇だけで答える。
「私直属の影に追わせております。あとはヴォルフラムが必ず」
セラフィーナは目を閉じた。
祈るように、けれど、ただ祈るだけではない者の強さで。
「……ええ」
ここから先は、ヴォルフラムたちの仕事だ。
◇
重い足音が、部屋の前で止まった。
レオンはゆっくりと目を開ける。
来た。
さっきまでの従者たちとは違う。
その足音には、命令する側の苛立ちがあった。そして、すべてが自分の思いどおりになると信じている者特有の、傲慢さがにじんでいた。
扉が開く。
入ってきた男を見た瞬間、レオンは確信した。
こいつが“仕留めるべき相手”だ。
身なりが違う。
立ち方が違う。
そして、自分が部屋に入っただけで空気が支配されることを、疑いもなく知っている顔をしていた。
後ろには従者たち。
さっきの虚勢がまだ喉に引っかかっているのか、どこか苛立ちを滲ませた顔で控えている。
「……ほう」
男は、床に転がされたレオンと、強張ったミレナを見比べた。
「随分と面白いことになっているな」
レオンは答えなかった。
代わりに、足首に巻かれた縄へそっと力を込める。
完全には切れていない。
だが、もう何度も擦っている。あと少し。
最後の力を使うなら、今しかない。
男の視線がミレナに向く。
その瞬間だった。
レオンの中で、何かが弾けた。
「っ!」
縄が切れる。
床を蹴る。
躊躇は一瞬もなかった。
深く息を吸う余裕もないまま、レオンは一気に飛びかかった。
従者が叫ぶ。
ミレナが息を呑む。
肩まで伸びた金髪が大きく揺れた。
肩の傷が裂ける。わき腹が焼けるように痛む。
それでも止まらない。
ただ真っ直ぐ、男へ向かう。
それは軽口ばかり叩く男の動きではなかった。
獰猛(どうもう)だった。
荒々しく、美しく、深手を負ってなお牙を剥く一匹の獣だった。
まるで傷だらけの獅子だ。
だが相手も甘くない。
あと一歩というところで、男が半身ずれた。
その動きは無駄がなく、まるで最初から飛びかかってくると分かっていたようだった。
「やはり来るか」
低い声と同時に、横から側仕えが飛び込む。
レオンは腕を振り払う。
1人目の喉元を掴み、壁へ叩きつける。
だが2人目が背後から肩を押さえ、体勢を崩した。
「邪魔だっ!」
肘を振り抜く。
鈍い手応えが返る。
それでも数が違う。
しかも、目の前の男は怯えない。ただ冷静に距離を測り、レオンが倒れきるのを待っている。
それが余計に腹立たしかった。
レオンは歯を食いしばり、なおも前へ出る。
ミレナと男たちの間に立つ。
それだけは崩さない。
どれだけ傷が痛んでも、膝が笑っても、そこだけは譲れなかった。
「レオンさん……!」
ミレナの声が震える。
従者の拳が、今度は真正面から顔面に入った。
鈍い音がした。
視界が白く弾け、次の瞬間には口の中に鉄の味が広がる。
血が、ぽたりと床へ落ちた。
それでもレオンは倒れなかった。
「っ、は……」
息を荒げながら、なおも笑う。
「いやぁ……顔はやめてほしいんだけど」
軽口を叩いた直後、横腹に蹴りが入る。
「がっ……!」
さすがに膝が落ちた。
呼吸が潰れ、喉の奥から苦鳴が漏れる。
「レオンさん!」
ミレナが叫ぶ。
縄で縛られたまま、必死に体を前へ倒している。もう彼女の頬は涙で濡れていた。
「もうやめて……!」
声が震える。
「レオンさん、もうやめて! レオンさんが死んじゃう!」
その声に、レオンはほんの一瞬だけ目を細めた。
泣くなよ。
そう言いたかったのに、喉がうまく動かない。
それでも立とうとする。
足がふらつく。視界が二重に揺れる。
それでも、なお前へ出る。
男はそれを見て、うんざりしたように息を吐いた。
「面倒だな」
側仕えの一人が問う。
「どうします」
「抑えろ。もういい」
男は冷たく言い放つ。
「薬を使え」
そのひと言で、空気が変わった。
レオンは舌打ちする。
だがもう、体が言うことをきかない。
従者たちが一斉に押さえつける。
腕を取られ、肩を押し倒され、抵抗しようとしても遅い。
小瓶の蓋が抜かれる音がした。
薬臭い布が、口元と鼻先に押し当てられる。
「っ……!」
息を止める。
だが長くは保たない。もともと失血している身体だ。抵抗するたび、余計に視界が暗くなる。
ミレナが何か叫んでいる。
泣いている。
でも、その声ももう遠い。
ここまでか、とレオンは思った。
情けないな。
最後まで、あんまり格好よくなかった。
それでも胸に浮かんだのは、一人の女性の顔だった。
サラ。
怒った顔。
呆れた顔。
笑った顔。
ちゃんと、言えばよかったな。
そう思ったところで、意識が重い闇へ沈んだ。
◇
空を裂くように、鷹が飛ぶ。
陽光を受けた翼が鋭くきらめき、その影が地上を走った。
ヴォルフラムは馬上で顔を上げる。
「あれか」
「間違いない!」
隣を駆けるガレスが、息を荒げたまま答える。
影の者とのやり取りには、鷹が使われた。
目印となるその一羽を、今はヴォルフラムとガレスが追っている。
石畳を蹴る馬の蹄。
風を切る音。
胸の奥を焼く焦り。
ガレスの目は、もう前しか見ていなかった。
ミレナを取り戻す。
それだけだ。
ヴォルフラムもまた、無駄な言葉は口にしない。
ただ速度を上げる。
鷹はさらに先へ飛ぶ。
その先にいるのは、攫われた二人か。
それとも、すでに遅い現実か。
誰にも分からない。
だからこそ、間に合わせるしかなかった。
もう、遅いかどうかは関係ない。間に合わせるのだ。
獅子は、最後の力まで使い切りました。
次話、扉の向こうから現れるのは――
