新章スタート第4部 『花の姫君は、腹黒宰相補佐官の溺愛に気づかない』 プロローグ|城中が知っている溺愛に、姫君だけがまだ気づかない|王都恋物語-17
プロローグ|城中が知っている溺愛に、姫君だけがまだ気づかない
花の姫君の伝説ーーー
王都では昔から、第一王女が生まれた日のことを語る者が絶えなかった。
春でもないのに城の庭園の花がいっせいに咲いたとか、閉ざされていた温室のつぼみまでひらいたとか、空を渡る鳥が王宮の塔の上を何度も旋回したとか。
真偽のほどは怪しい話ばかりだが、ただひとつ確かなのは、その日生まれた王女が、誰もが目を奪われるほど愛らしかったということだ。
ピンクプラチナの髪。
朝露のように澄んだ瞳。
やわらかな微笑み。
王女セラフィーナは、国じゅうから“花の姫君”と呼ばれ、王国の誇りとして愛されている。
「そんな姫君がいるわけないじゃない、バカバカしい」
――当の本人はこうである。
冬の陽が差しこむ王宮の庭園を眺めながら、セラフィーナは肩をすくめた。
窓の外には、冷たい空気のなかで白い冬薔薇が揺れている。
「大げさすぎるのよ。花が咲いただの、鳥が舞っただの」
「大げさではありません」
低く澄んだ声が返る。ふり向かなくてもわかった。
アルヴィス・リュミエール。宰相補佐官にして、公爵家嫡男。
黒曜石のような長い黒髪と、冷たい美貌を持つ男だ。近寄りがたいほど整った顔立ちなのに、目が合うと大抵の人は逃げる。美しいのに怖い。
そして、王女のそばから決して離れない。
いつの間にかすぐ横に立っていたアルヴィスは、薄青の肩掛けを広げた。
「冷えます。こちらを」
「ありがとう」
受け取ると、彼は当然のように言う。
「殿下はこの色を12の冬からお好みですので」
「……よく覚えてるわね」
「殿下のことですから」
セラフィーナは小さく笑った。
この男は昔から、こういうところがおかしい。
「それに、庭の花の件は記録にも残っています。温室の件は誇張でしょうが」
「本当に?」
「はい。陛下が上機嫌で、庭師たちに無理を命じられたとか」
「お父様……」
思わず額を押さえると、アルヴィスは静かに続けた。
「殿下は8歳の春にも、同じように庭の花をご覧になっておられました」
「え?」
「東庭の白薔薇の前で立ち止まり、“白い花は静かで綺麗ね”と」
「そんな昔のこと、覚えているの?」
「はい」
さらりと言われて、セラフィーナは呆れた。
「じゃあ、10歳の誕生日に何をもらったかも覚えてる?」
「青薔薇の鉢植えです。ですが殿下は、“珍しいけれど、私は白薔薇のほうが好き”と仰いました」
「……怖いわ」
「7歳のとき、東屋でお泣きになった理由も申し上げましょうか」
「やめなさい」
ぴしゃりと止めると、アルヴィスは素直に口を閉じた。
もっとも、反省している顔ではない。記録を正確に述べただけだと思っている顔だ。
後ろに控えていた侍女の1人が、慌てて視線を伏せた。肩がかすかに震えている。笑ってはいけないと思いながら、少しだけ笑いたいのだ。
「本当に、私のどうでもいいことばかり覚えているのね」
「どうでもよくはありません」
「私にはどうでもいいの」
「殿下にとってそうでも、私にとっては違います」
一瞬、言葉に詰まった。
この男はたまに、何でもない顔で妙に重いことを言う。
さらにアルヴィスは卓上の紅茶を見た。
「本日は蜂蜜を1滴減らしました。以前より、甘みを控えたほうがお好みに合うようでしたので」
「それも分かったの?」
「3日前から、お飲みになる速度が違いました」
「飲む速さで?」
「はい」
「やっぱり怖いわ」
笑いながら紅茶を口に含む。
たしかに、甘さは少し控えめでちょうどよかった。
「……おいしい」
「何よりです」
アルヴィスは1歩だけ下がった。
近すぎず、遠すぎず。いつでも手を伸ばせば届く距離。
昔からそうだった。
ふり返ればいる。
呼ばなくても気づく。
言葉にしなくても、だいたい分かっている。
セラフィーナは、王女として愛されていた。
父に。兄に。侍女たちに。近衛に。国民に。
けれど。
みんな私を大事にしてくれる。けれど、それと“選ばれる”ことは、少し違う気がした。
王女として敬われることと、1人の女性として誰かの唯一になることは、きっと同じではない。
窓の向こうで、白薔薇が冬の風に揺れた。
「殿下」
アルヴィスの声が落ちてくる。
「本日はこのあと北棟での報告、その後に書類確認がございます。お茶の時間には、昨日ご覧になっていた白薔薇の砂糖菓子を用意させます」
「昨日、見ていただけでしょう」
「お気に召しておられましたので」
何事もなかったように、彼は今日の予定を告げる。
きっと今日も、最初から最後までそこにいるつもりなのだろう。
「本当に、あなたって変な人」
「光栄です」
「褒めていないわ」
「ですが、殿下のお言葉ですので」
セラフィーナは小さく息をついた。
アルヴィスは、いつも通り斜め後ろに立っている。
近すぎるのに、決して踏みこえてはこない。
遠いようで、どこまでも離れない。
――だから、このときの私は、まだ知らなかったのだ。
あの冬の温室で交わされる何気ないお茶会の会話が、私の人生を大きく揺らす始まりになることを。
新章のプロローグをお届けしました。
恋心に気づかないお姫様と、腹黒いのに誰より一途な宰相補佐官のお話です。
王都の恋模様がまたひとつ動き出す新章、ぜひお付き合いください。
次回、第1話|冬の温室、お茶会のはじまり
