『アサヒスーパードライ開発秘話』を図解で学ぶ!
アサヒスーパードライは1987年誕生。私がサラリーマンになった年。スーパードライとともに、ビジネス人生を歩んできたともいえます。

「この味が世界のビールの流れを変えた!」
との宣伝コピーは紛れもない真実で、実際にアメリカのビジネススクールの教科書にも取り上げられております。倒産の危機からの大逆転劇という意味では、世界でも類例のないケースだと思います。
そんなスーパードライの開発責任者だった松井康雄さんの著書です。スーパードライ誕生から18年経って、はじめて明かされた真実という触れ込みの本でした。
後ほど図解しておりますが、ヒット商品の成功譚は、あちこちで語られるもの。その理由はなぜかということも語られております。
住友銀行から着任された樋口廣太郎社長に、19回もクビ宣告をされながら、開発を続けた松井さん。経団連副会長も務められた樋口さんは、見るからにネアカな方。クビ宣告も翌日にはケロッと忘れていたようです。
すでに鬼籍に入られましたが、今のアサヒビールがあるのは、樋口さんのおかげ。それはアサヒビール社員の誰もが感じていることでしょう。
日本のマーケティング史上でも空前の大ヒット商品は、いかにして誕生したか?
ぜひ図解でご確認ください。
たかがビール されどビール (B&Tブックス)
松井康雄 (著)

シェアは9.6%まで落ち込んだ
ビール業界は、戦後すぐの1948年、当時トップ企業だった大日本麦酒が、過度経済力集中排除法により解散。現在のアサヒビールとサッポロビールに分かれました。
以来アサヒビールのシェアは低下を続ける一方。キリンビールのシェアが一時は60%を超え、「次はキリンが分社か?」といわれるほど。飲み屋で「ビール」と注文すればキリンが出てきた時代です。
そんな時代を覆したのがスーパードライでした。
スーパードライ発売前、アサヒビールは主力製品だった「アサヒゴールド」(1957年発売)の品質が不安定で、「甘い、重い、飲みにくい」という悪評が長年定着していました。
また、急成長する家庭用市場や、消費者の飲用行動の変化に対応できず、従来の業務用市場に依存し続けた営業体質も影響したうえ、製造と営業部門の深刻な対立や、他社への販売網開放による市場カバー率の低下があり、1985年、シェアはついに10%を割り込みました。

新製品ターゲットをビール通に絞り込んだ
当時、ビールは成人男性の多くが「とりあえずビール」として飲んでいた。そこに味の好き嫌いはない。でも、それでは新製品を出す場合、ターゲット像がぼやける。
著者は、ビールの全消費量のうち、わずか2割の「ヘビーユーザー」と「ミドルユーザー」が全体の75%を消費しているというデータに気づきました。
アサヒが低迷期からシェアを奪還するためには、この層へのアプローチが不可欠と考えました。
当時のトップだったキリンが「通の飲むビールはキリン」という神話を確立していたため、なんとしても「通」の支持を奪い取る必要があったのです。
今考えれば、単なる市場のセグメンテーション(Segmentation)にすぎませんが、各社のビールブランドより、「ビールそのもの」しか注目されていない時代です。英断だったと考えてよいのではないでしょうか。

「クリアな辛口」は当時斬新だった
今ではスーパードライの辛口は当たり前のものとなりましたが、それ以前はビールは「苦いもの」。当時の子どもの多くが、父親に一口なめさせてもらうと、「苦~い!」と叫んだものです。
ではなぜ「クリアな辛口」に著者は気づいたか? それは著者が居酒屋で、アルコール度数が高く、スッキリとしていながら、確かな飲み応えがあり、料理の邪魔をしない「酎ハイ(樽ハイ)」が驚異的な人気を博している状況を目の当たりにしたことがきっかけです。
さらに、ウイスキー会社の先輩との会食で、シングルモルトを口にした際に、「雑味のない、ピュアで透明感のあるクリアな風味」に感銘を受け、これらが生理的快感を呼ぶ辛口のヒントとなりました。
ビールの世界を変えたスーパードライは、「酎ハイ」と「シングルモルトウイスキー」がヒントとなって生まれたともいえます。

しかし技術陣は新製品に猛反対した
どれだけシェアが低迷しようと、1957年以来の「ゴールド酵母」の「味を変える」ことは、技術陣がタブー視していました。
また営業部門は、低シェアながらもアサヒ製品を飲んでくれるロイヤルユーザーを喪失するのではないかという懸念があり、社内から猛反対されました。
著者は、アサヒビールのロゴ変更(CI導入)に伴いラベルを一新するならば、消費者がはっきりと実感できるレベルまで味を変えるべきだと主張しました。生産本部長が、ようやく「大変だが、やってみよう」と決断してくれたことで、開発が進行しました。

「フレッシュ・ローテーション」
「生ビール」という言葉があるように、実はビールは生鮮品。鮮度が落ちると、味は劣化します。
ジョッキが飲める店なのに、瓶ビールをしたり顔で飲むオヤジがいるのは、通ぶっているのではなく、(開店早い時間だと)前日の生ビールが残っていて、それを出されると明らかに不味いことを知っているからです。生ビールをジョッキで出すには、営業終了後にタンクやチューブなどを綺麗に掃除しないといけない。でも忙しいとそれを怠る店もあるのです。
従来の売上至上主義による押し込み販売から、店頭での過剰在庫と、品質劣化したビールの提供という不本意な連鎖が、アサヒビールに生まれていました。
これを断ち切り、新鮮な商品を届けるために、店頭在庫を自ら作らない販売方法への転換(フレッシュ・ローテーション)を導入しました。

街角の大試飲作戦
スーパードライ発売の1年前、1986年3月8日、九州・鹿児島市の繁華街にて地元のテレビ局の後援を得て、街角での大試飲会がスタートしました。これを皮切りに「100万人大試飲作戦」と銘打ち、桜前線の上昇に合わせて日本列島を北上するように全国縦断ツアーを展開。
最終的に全国110箇所において、合計100万人以上の一般消費者に実際に新しい生ビールを試飲してもらうことで、「アサヒの新しい味はうまい」という味の論議を意図的に巻き起こしました。
スーパードライ発売前夜、その後の大ヒットを下支えする要因は、この試飲作戦にあったともいえます。

品切れ続出のスーパードライ
スーパードライは発売直後から大人気。当時サラリーマン1年生だった私も、実際に初めて飲んだのは、たしか夏頃だったと記憶しています。
アサヒビールは大ヒットを受け、発売開始から1週間後の1987年3月23日、全国発売と大規模な増産を決定。生産要請の大幅引き上げに合わせ、広告費をはじめとする拡売費を3回にわたり増額修正し、強気のトータルマーケティングを展開しました。
また、夏の中元期には、需要過多による品切れに対し、主要紙へ「品薄のお詫び」と増産に全力で尽力している旨を伝える、異例の社長名お詫び広告を掲載しました。

ドライ戦争勃発
1988年、スーパードライの爆発的な大ヒットに脅威を感じた競合他社は、一斉に追随するドライビール(キリン・生ビールドライ、サッポロ・エキストラドライなど)を市場へ投入しました。
これに対し、アサヒはあえて新商品を並売せず、経営資源をすべて「スーパードライ」の一品へ集中。他社製品を「スーパードライの亜流」と認識させることで、自社を「本家」とする絶対的なポジションを確立させました。

急上昇したシェア
10%を割り込んでいたアサヒビールのシェアは、1年後、20%を突破。
従来のライトユーザー向け戦略を捨て、独自の辛口酵母を用いた「クリアな辛口」を完成させて、ビールの「通」に狙いを絞ったことや、店頭での鮮度管理の徹底や、「100万人大試飲作戦」による味の流行形成、さらに競合他社が参入した「ドライ戦争」の話題性と、「スーパードライ」一品のみに全経営資源を集中させた特化作戦などが功を奏した結果です。

自称開発者が現れる理由
ある企業がヒット商品が生まれると、「オレがつくった」「あの製品があるのは私のおかげ」という自称開発者が数多く現れる。スーパードライの時にも、自称開発者は100人くらい出てきたと著者は書いています。
ただ、企業は役割分担が明快な「チームワーク集団」であるため、やむを得ないことなのです。
商品の開発や販売、プロモーションなど、何人もの人間が、それぞれの部門で分担して作業に関与するため、新商品が空前の大ヒットを記録した後に、少しでもそのプロセスに関わった人々が、自身の関与を誇示して「オレがやった」あるいは「皆で侃々諤々議論して作った」と主張したがるのは、ヒット商品の別の側面を表しているともいえます。

「クビだ」といった社長との関係性
住友銀行からきた樋口社長(当時)は、短気で激怒しやすいものの、怒りが後に残らない性格。そんな樋口社長から、著者は計19回も「クビだ!」といわれたそうです。
社長の無理な指示や方針に対しても、自説を曲げずに、真っ向から猛反論したため、何度も怒鳴られましたが、翌日には何事もなかったかのように、指示が飛んできました。
樋口社長は、著者の仕事ぶりと業績を冷静に評価し、地位や活躍のチャンスをくれた。お互いに強い緊張感と、深い信頼で結ばれた関係だったといえます。

「得意整然、失意泰然」という気持ちになった理由
著者は過去の経験から、「順境の時にこそ、とんでもない災難が降りかかってくる」という教訓を得ていました。
そのため、異例の大抜擢による取締役昇進が、社内の反発を買い、1年見送られた「失意の時」も、その1年後に、実際に大抜擢されて、周囲から怨嗟の声が上がった「得意の時」も、感情の波や立場の浮き沈みに振り回されることなく、ことさらに平静を装って、自らの業務を冷静に遂行しました。
そんな著者の座右の銘が「得意整然、失意泰然」です。

「明確なビジョン」と「ブレない信念」を持つ
ヒット商品はなかなか生まれないもの。かのD. A. アーカーの著書にも「ブランド資産形成の阻害要因」として、「社内の軋轢、人事異動」があげられています。
本物のヒット商品を生み出すためには、業界や社内のこれまでの常識、また自らの思い込みをすべて投げ捨て、虚心になって徹底的に勉強することと著者は問いてます。
購買動機や不買動機、心理学、色彩学、味覚生理学など、さまざまな周辺分野の書籍を徹底して読み込み、さらに実際の現場で消費者の言動を観察・分析する。
これらの膨大な学習体験とインプットから得られた事実に基づき、他者との明確な違いを定義する仮説(ビジョン)を論理的に組み立て、貫くことがヒット商品誕生には必要なのです。


たかがビール されどビール (B&Tブックス)
松井康雄 (著)

