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何でもお金で代えられるの?

こんにちは、ともくんです。今回も思い出話から始まります。

むかし、法律を勉強し始めたころ、裁判制度に関する講義があって、「隣人裁判」という事案を習いました。同じ住宅地内に仲の良いAくん一家とBくん一家がいて、Aくんの両親が買い物に行っている間にAくんをBくん一家に預けたところ、AくんとBくんが遊んでいる間にAくんがため池で溺れて亡くなってしまった、というものです。その後、Aくんの両親はBくんの両親を訴えて、損害賠償請求が認められました(実話です)。

Aくんの両親は、お金が欲しいとかではなくて、Aくんがなぜ亡くなったのか知りたかった、そういう動機だったけれど、今の裁判制度だと、お金を請求することしかできないのでお金を請求しました。結果として請求は認められたけれど、Aくんの両親とBくん一家(さらには地域社会)の関係は壊れちゃったし、「それでいいの?」みたいな問題提起があったと記憶しています。

色々な議論はあったけれど、たしか講義の中では、「現在の社会では価値を交換できるのがお金しかないよね」っていう話になり、「お金で何かを埋めるのは仕方ない」って結論になったと記憶してます。そのときの僕は「それしかないかー」みたいな感じでした。

今でも覚えてるくらいだから、ずーっとモヤモヤしてたんだと思います。そして、15年経って最近なんとなく分かってきた気がします。お金って「交換する価値」しかなくて、本質的な価値はないからモヤモヤしたんだろう、ってことが。

たとえば、僕の好きな唐揚げを食べたいとき、だいたい500円あれば買えます。500円で唐揚げを買って食べれば幸せになるけど、それは唐揚げを食べられたから幸せなんであって、500円あったから幸せなわけではないんです。でも、みんな500円を得るために頑張ります。家を買うのも車を買うのも同じです。つまり世の中的にお金を得ることがゴールみたいな風潮があるけれど、そもそも方向性がズレてると思うんです。

そのことについて、「お金は夢を奪う性質がある」って話も聞きました。それもそうだと思います。唐揚げをおなかいっぱい食べたかったはずなのに、気がついたら「5000円ほしい」になってたとか、よくあります😅
そして、「お金がないと生活できない」「お金がないと夢が叶わない」と思ってるから、「仕事して稼がないといけない」とか、「仕事を休めない」とか、次の思考の罠に掛かってる気がします。でも、夢ってそんなに窮屈なの?と思います。

誰かにとっての夢、誰かにとってのやりたいことって、叶え方も無限で、お金なんかで量れないものだと思います。そして、何かが失われても、お金で埋められるものでもないと思うんですよね。ケガをして、お金をもらっても元通りにならないですもんね。そういう意味で今の裁判制度は完璧ではないと思いますし、完璧にならないと思います。

でも、だからといって、失うことを怖がることでもないと思うんですよね。だって、経験したからこそ分かることもあります。「こうやったら上手くいかないんだ」とか、「こういうときに悲しい気持ちになるのか」とか。自分の中の思い込みにも気づけると思いますし。

だから、全てを前向きに捉えろ、とまでいうと偉そうだけれど、目の前に起きたことは何か意味があって起きてるんだ、と思ったり、自分がゲームの中にいて「このシチュエーションからどうやってクリアする?」って思ったりすると、楽になる気がするんですよね。そこにお金はいらないんじゃないかな、と今の僕は思っています。

もちろんお金があることは悪いことじゃないし、僕もお金をもらったり使ったりすることは好きだけど、お金が全てじゃないよね、ってことが少しでも伝わったら良いな、と思って書きました。

それではまた😇

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