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【自己紹介】看護師35年、幾多の別れと「ありがとう」に支えられた私の看護人生

看護師として35年という長い年月を歩んできました。

呼吸器内科や小児科、そして介護施設など、多様な現場を経験してきた私の軌跡をご紹介します。

何度も「辞めよう」と悩みながらも、今日まで続けてこられたのは、患者さんからの言葉があったからです。

この記事では、私のこれまでの経歴と、看護に対する想いをありのままに綴らせていただきます。


はじめに:看護師35年、迷いながらも歩み続けた私の軌跡

この記事のポイントは以下の通りです。

  • 35年にわたる多様な診療科および介護現場での実務経験

  • ライフスタイルの変化に合わせて柔軟に職場を選択してきた経緯

  • 葛藤を抱えながらも「人のために」という想いで継続した看護の信念

急性期から介護現場まで、変化を恐れず歩んだ道のり

私は看護師として、これまで35年間にわたり医療と介護の両方の現場に身を置いてまいりました。

最初は病院の病棟勤務から始まり、外来、そして介護施設へとその活動の場を広げてきたのです。

それぞれの現場には異なる難しさがありましたが、その都度新しい知識を吸収することに努めました。

35年という月日は、私にとって単なる時間の経過ではなく、看護の本質を追求し続けた証でもあります。

「辞めたい」と「人のために」の間で揺れ動いた35年間

実を申し上げますと、この35年間の中で「もう看護師を辞めよう」と決意したことは一度や二度ではありません。

特に重い責任や精神的な負担を感じる場面では、何度も心が折れそうになったのが本音です。

しかし、その度に「やはり自分にはこれしかない」という思いがどこか心の底にありました。

「誰かのためになりたい」という切実な願いが、しっくりこない自分を奮い立たせ、今日まで私を突き動かしてきたのです。


ライフスタイルに合わせた「働き方」の選択:私が現場を変えてきた理由

職場選びにおける私の考え方をまとめました。

  • 自身の体調やライフステージの変化を最優先に考えた職場変更

  • 病院での急性期・外来経験が介護現場でも活かされたこと

  • 「辞める」のではなく「形を変えて続ける」ことの重要性

病棟・外来・小児科。病院看護師として駆け抜けた日々

私のキャリアの前半は、病院での勤務が中心でした。

呼吸器内科や消化器内科といった内科全般、そして内科外来、整形外科の外来、さらには小児科病棟も経験しました。

小児科では子供たちの命の輝きに触れ、内科では慢性期から急性期まで幅広い疾患と向き合いました。

この時期に培った基礎知識と、多岐にわたる診療科での実務経験が、私の看護師としての土台を形作っています。

夜勤が難しくなっても「看護」を諦めないための施設への転向

年齢を重ねるにつれ、生活環境が変化し、これまで通りの夜勤をこなすことが体力的にも難しくなりました。

そこで私は、看護師を辞めるという選択肢ではなく、介護施設への転向という道を選んだのです。

夜勤ができなくなったからといって、看護師としての道が断たれるわけではありません。

ライフスタイルに合わせて職場を変えることで、無理なくプロとしてのキャリアを継続する道を模索し続けました。

デイサービス・特養・有料老人ホーム、それぞれの現場で得た宝物

施設に転向してからは、デイサービスや特別養護老人ホーム(特養)、有料老人ホームなどを経験しました。

病院とは異なる「生活の場」での看護は、私にとって非常に新鮮で、多くの学びがありました。

入所者様一人ひとりの人生に寄り添い、日々の変化を見守る日々は、病院とはまた違う深みがあります。

それぞれの施設で出会った方々との関わりは、私の看護人生において欠かせない大切な宝物となっています。


「もう辞めよう」と何度も思った。見取りの現場で向き合った葛藤

私が現場で直面してきた心の動きについて記述します。

  • 多くの看取りを経験する中で感じた精神的な負担と痛み

  • 「辞めよう」と決意しながらも、なぜか立ち止まってしまった理由

  • 患者さんや利用者さんからの言葉が持つ、計り知れない再生の力

数えきれないほどの「最期」に立ち会い、感じた心の重み

35年の看護師生活の中で、私は数えきれないほどの患者さんの「最期」に立ち会ってまいりました。

看取りの数は、自分でも正確な数字を把握しきれないほど、かなりの数に上ります。

命が尽きる瞬間に立ち会うことは、何度経験しても心が重くなる、過酷な役割でした。

その重圧から逃れたい一心で、何度も何度も本気で看護師を辞めようと考え、決意したことを昨日のことのように思い出します。

しっくりこない自分を支えた、患者さんからの「いつもありがとう」

「辞めよう」と心に決めても、どこか自分の中でしっくりこない感覚があり、結局はダラダラと続けてしまいました。

そんな迷いの中にいた私を救ってくれたのは、いつだって目の前の患者さんの言葉でした。

「いつもありがとう」という一言をいただくたびに、張り詰めていた心がすっと軽くなるのを感じました。

患者さんからの温かい感謝の言葉があったからこそ、私はどん底の状態からでも再び前を向くことができたのです。

「誰かのためになりたい」という原動力が、私を今日まで連れてきた

私の行動原理の根本にあるのは、非常にシンプルですが「人のためになりたい」という思いです。

どれだけ辛いことがあっても、この思いだけは消えることなく私の胸の中に残り続けました。

迷いや葛藤、挫折を繰り返しながらも、結局はこの原動力があったからこそ35年が過ぎていたのだと思います。

「人のお役に立ちたい」という純粋な願いが、今の私を作り上げている最も大きな要素であることは間違いありません。


新人・後輩たちへ伝えたい:35年続けて見えた「看護の形」

後輩の皆様へ、これまでの経験を還元させていただきます。

  • 看護師3年目、4年目で経験した准看護師の学校実習生の教育担当の思い出

  • 迷いや葛藤を抱えながら働くことが、決して間違いではない理由

  • 完璧を求めすぎず、自分なりの看護を継続していくことの大切さ

3年目・4年目で経験した教育担当としての視点

私は病棟看護師として勤務していた頃、まだ3年目、4年目という若さで准看護師の学校実習生の教育担当を任されたことがあります。

自分自身もまだ経験が浅い中で、後輩を指導することの難しさと責任の重さを痛感した時期でした。

当時の経験は、自分自身の看護観を客観的に見つめ直すための貴重な機会となりました。

教える立場に立つことで、看護という仕事の奥深さや、基礎を積み重ねることの重要性を改めて学ぶことができたと感じています。

ダラダラでも、迷いながらでもいい。継続することの本当の意味

今の職場で悩み、立ち止まっている後輩の皆さんに伝えたいのは、「迷いながらでも良い」ということです。

私も、決してずっと輝かしい情熱を持って働いてきたわけではなく、時にはダラダラと、迷いながら続けてきました。

しかし、迷いながらでも歩みを止めなかったことが、結果として35年というキャリアに繋がりました。

無理に強い意志を持とうとしなくても、その時々の自分にできることを続けていくことこそが、最も尊い継続の形です。

完璧でなくていい。あなたの存在を待っている人が必ずいる

看護師という仕事は責任が重く、ついつい自分に完璧を求めてしまいがちです。

しかし、35年続けてみて分かったのは、患者さんが求めているのは完璧な技術だけではないということです。

あなたの何気ない声掛けや、そこにいるという安心感が、誰かの支えになっていることが必ずあります。

「誰かのためになりたい」という思いさえ忘れなければ、あなたの存在そのものが誰かにとっての光になるのです。


看護師35年に関するよくある質問

35年も続けられた秘訣は何ですか?

自分のライフスタイルに合わせて職場を変え、無理のない形で看護に関わり続けたことです。

夜勤ができなくなった際に介護施設へ転向するなど、その時々の状況に合わせた選択が継続に繋がりました。

介護施設への転職に不安はありましたか?

夜勤ができなくなったという事情もありましたが、結果として多様な現場を経験し継続に繋がりました。

病院とはまた違う関わり方ができる介護の現場は、看護師としての視野を大きく広げてくれました。


まとめ:これからも、一歩ずつ。

35年間の看護師人生を振り返り、改めて「人のために」という思いの強さを実感しています。

呼吸器内科から始まり、外来、そして介護施設へと場所を変えながらも、看護の根底にあるものは変わりませんでした。

何度も辞めたいと悩みながら、それでも「いつもありがとう」という言葉に支えられてここまで来ることができました。

これからも、目の前の方々に寄り添い、私なりの看護を大切に歩んでいきたいと考えています。

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