「何がそんなに忙しいの?」と聞かれて言葉に詰まったのは、なぜなのか。
「忙しい、忙しい」と思っている時に「何がそんなに忙しいの?」と聞かれて固まってしまったことがありました。
そりゃ、「忙しい」の理由は話せるんです。こんなプロジェクトがあって、あんな仕事もあって締切に追われててって。だけど、どうもそれって自分が忙しいって思っていることの芯を食ってない気がするんです。
だからね、その時うまく説明できませんでした。
なんとなく「色々な仕事がたくさんあって〜」みたいなことは言った気がするんですが「仕事がたくさんあってよかったじゃん」ってなことになってしまって、「いや、『忙しい=儲かってる』なんてことが言いたかったわけじゃない」となって、またもや「ううむ」と言葉に詰まってしまった。
どうも「忙しいっていいことだよね」という雰囲気が、世間一般にあるような気がしているのです。もちろんブラック労働とかは論外ではありつつも、仕事がたくさんあって、正当に評価と報酬が得られるのなら、忙しいに越したことはないって。
ぼくもずっとフリーランスで生きてきたので、その感覚は強かったのです。
なんといっても、仕事がなくて暇なときの苦しさをよく知っているので、それに比べたら捌ききれないほど仕事があるほうが、なんぼもマシ。
若い頃は仕事をすることが生きがいだったし、仕事は「自分が社会に存在している理由」なんて言うと大げさですが「自分がここにいてもいい理由」のように感じていました。
だけど、娘が生まれて「ぼくがここにいてもいい理由」が「仕事」以外にも自分の中に根付いてきたとき、仕事は人生のすべてじゃなくて、一部になったような気がしました。
ワークライフバランスなんてよく言うけれど、いわゆる天秤のようなバランスじゃなくて、人生という円グラフがあったとしたら、それを彩りよくカラーリングしたいと思うようになったのです。
仕事一色だと、ぼくにとってはあんまりいい彩りとは思えなくなった感じです。
ぼくにとっての「忙しい、忙しい」はきっと、この円グラフがギチギチに塗りつぶされた状態なんだろうと思うのです。
きっと、自分で好きに塗ることができる余白の白がないと、息苦しくなってしまう。その白を仕事にするのか育児にするのか、趣味や睡眠にするのか、それを自分で決められるってことがいわゆる気持ちのゆとりなのだろうなと。
「何がそんなに忙しいの?」
と聞かれたとき、仕事色に塗られたその中身について話そうとしたから、自分の中に違和感があったのかもしれません。
そうじゃなくて「自分で好きにできる余白がない」ということが、ぼくにとっては辛いんだという話ができたらよかったのかなと、今は思うのです。
人それぞれ「忙しい」の定義は違うかもしれません。
でも、自分で自由にできる時間の余白のなさはもちろん、不安で頭の中がいっぱいでやっぱり頭の中に余白がない状態だったりしても、なんだか忙しさを感じるものだろうなと思うのです。
月並みですが、そう思うと「余白」がいかに大切かをよく感じます。
余白ができたら、ゴッホ展に行きたいなぁ。しばらくは無理そうかなぁ。
では、また明日。
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