喪失に慣れていない私たちー嵐の卒業を見届けてー
同じ時代を生きてきた自負
2026年5月31日。
アイドルグループ嵐の活動終了日でした。
ライブ配信があるというニュースがとても嬉しく、嵐の5人の最後を見届けたいと、早めに課金いたしました。
6,000円は正直「高い~」と思いました。ですが、今となっては後日見逃し配信もあり、「安い!」と思っています(人間なんてそんなもの)。
私は嵐の「ガチファン」ではありません。
ファンクラブに入ったこともないし、コンサートに参戦したこともありません。
ですが、なんせ同世代!
私は大野くんと同い年の1980年生まれです。
自分の人生のどこかしこで、嵐がいました。
嵐のバラエティー番組も楽しく見てきましたし、音楽もなぜか知っている曲ばかり。出演されていたドラマもいくつも見てきました。
アラサーの頃からは、嵐をもっと好きになっていきました。
私は勝手に櫻井翔くんと松本潤くんの間で揺れ動いてるバカにまでなっていました(笑)。
でも、彼ら5人を見ると、楽しくてそしてすごい人たちだと、次第に尊敬の念が増してきました。
しかしながら。やはり私も歳をとっていっていきます。
同時に嵐の5人も歳をとっていっている。まぎれもない事実です。
この人生の歩みがシンクロしているということに、今回フォーカスしたいと思います。
活動休止の発表をきいて
2019年1月27日。
嵐の5人は、嵐としてのグループ活動を休止する発表をしました。
きっかけは大野くんからだったとのこと。
この時のことを私は当時自分のフェイスブックに書いていました。
その時書いたのは、
「おーちゃんの気持ち、わかるな~」でした。
やはり、同い年というところ。
そして大野くんは、芸能人ですが持っている感覚がきっとごくごく普通の一般人と変わらないのではないか、ということでした。
きっと、年齢のことがあったと思います。
いつまで続けられるの?続けるのこれ?という気持ちもあったのではと思います。
いくら、人気があっても。ファンのみんながたくさん待っていることはわかっていても。
これで楽しく仕事ができて、ごはんを食べていけることだとしても。
もうそろそろ、40歳が見えてきたんだよ?というところではないでしょうか。
この時、私はキャリアコンサルタント試験の勉強をしている頃でして、キャリア理論等を学んでおりました。
心理学者のE・H・エリクソンという方がいます。
発達心理学の分野で、エリクソンが提唱した「漸成的発達理論(ライフサイクル論)」というものがあります。
人間は人生の発達段階で8つのステージがあり、それぞれの時期に特有の「発達課題(心理社会的危機)」を乗り越えることで人格が成長するという理論です。
これを学んでいたので、大野くんはまさにここなんだ!と思ったのです。
漸成的発達理論(ライフサイクル論)では、40歳~64歳は壮年期というステージに入ります。
その1つ手前のステージが20歳~39歳で成年期です。
この大きなステージが終わる。
その節目で大野くんは立ち止まろうと思ったのではないか、ということです。
私自身も当時、勤めている会社での自分の役割と、自分の思う、自分の達成していたい役割にズレを感じていて、そこに苦しんでいました。
このエリクソンの理論を学んだ時に、そういうことかぁと、納得した記憶があります。
ちなみに、壮年期の発達課題というのは、「生産性」と言われています。
この時期は、仕事や家庭など社会的な活動を通じて社会に対する責任を果たすこと、また次の世代を育てていくことが役割となります。
いつまでも自分が真ん中でスポットライトを浴びて、踊っているのは違うのではないか?と思っても何ら不思議ではないなと思います。
なお、この時に私と同じように嵐の活動休止とエリクソンの発達理論を結びつけてコラムを書いていらっしゃる方がいました。
よかったら合わせて読んでみてください。
青春は、終わるんだ。
2026年5月31日の嵐最後のコンサート、東京ドーム。
圧巻でございました。
これぞ、嵐。
それをあますことなく、表現されたと思いました。
私は音楽好きなので、いろいろなアーティストの方のコンサートに出向きます。
でも、SHOWという意味で、嵐のステージは格別だと思います。
やはり5人いるという強さ。
ここは特筆すべきだと思います。
5人で、できることをやりきる。そのためにできることを考え抜く。
スタッフのステージワークも目を見張りますが、これだけの準備と段取りを間違いなくやっていくことのすさまじさ。
とても5人が40代とは思えませんでした。
これだけ歌って、息切れずに踊れる!すごすぎ!
歌もダンスもファンサービスもすべて、あぁこの人たちは本当にプロだなと思わせてもらいました。
それでもステージは終わる。
メンバー5人の挨拶はやはり涙なしには見ることができませんでした。
私は、この一緒に駆け抜けてきた、若き時代が終わるのだということをひしひしと感じていました。
卒業という言葉がぴったりかもしれない。
私たちの、一緒に生きてきた、青春が、終わるんだね、やっぱり。
この喪失が、ダイレクトに感じられるのは、やはり自分の人生に重ねてしまうからです。
自分も、45歳。
40歳を過ぎると、さすがに見ないようにしていた「老い」というものを節々に感じるようになります。
「老いていく」ってこういうことなんだ、とじわじわ学んでいきます。
成年期には、まったくわからなかったこと。
頭では、知識では知っていても、実感としてはまったく「?」だったこと。
今思えば、それは若い頃の無邪気さです。
でも、その若き頃を、嵐の5人も、命燃やしてキラキラしてくれていました。みんなに振りまいていてくれました。
それが、終わる。
失うんだ、ということ。
青春という言葉をどう使えばいいのか。
いろんな定義があります。
一生青春だという言葉もあります。青春は心の持ちようであるとも。
でも私は、やはり、青春は、若き日の短いきらめきを指すと思います。
嵐の5人であっても、青春は、終わるんだ。
その現実が、直視できないぐらいの寂しさで迫ってきました。
次のステージ。セカンドステージに向かっていく。
それは自然なことです。
いつか訪れること。
永遠は、やっぱりないから。
そう、私たちは喪失に慣れていない
推しの姿を見られなくなる。
テレビやSNSで見ると元気をもらえていた存在が、いなくなる。
つらい喪失です。
同時に、嵐の5人にとっても、嵐としての活動を終えるというのは、壮大な喪失に違いありません。
最後の挨拶で、相葉ちゃんは言いました。
「嵐は、僕の人生のすべてだった」と。
けれども、「5人でなければ、嵐じゃない」という信念を最後まで強く貫いた結果。
そしてきっと「そうだよな、いつか終わる日がくるもんな。」ということを受け入れたから。
10周年のときのアニバーサリーソング「5×10」を聴きました。
涙が止まりませんでした。
むせび泣くというやつ。ああこれが、むせび泣くってやつか!と思ったぐらいです。
ここですでに、「5人でいる。ずっといる。」と言っています。(作詞:嵐)
結成10年のときに、確信していたこと。
「5人でなければ、嵐じゃない」を守り切る。
ここから16年半たっても、守り抜いた、「5人でなければ、嵐じゃない」。
その絆に、みんなが愛する嵐の神髄が宿るのだなと、また20周年アニバーサリーソング「5×20」を聴いて、泣けて仕方ないです。
(先日ニノさんが自身のラジオ番組で流してくれたそうですね)
私たちは、まだ40代。
まだ、喪失に慣れていないのです。
青春が終わったばかり。
これまでは、喪失することがなかったから。
これから生きて行けば、もっともっと、たくさんの喪失を経験するだろう。
きっと次第に、失うことにも慣れていくのだろう。
その入り口に立ったばかり。
エリクソンは、次のステージ65歳以上を老年期と名付け、
老年期の発達課題は「統合性の確立」と言っています。
自分の人生を振り返り、過去の経験を受け入れ、自己を肯定的に捉え、自己の人生を統合することが課題とのこと。
喪失を超えていく。
その先で、人生を振り返った時、自分の人生をこれでよかったと、受け入れる。認める。
その先のことはまだ私たちには「?」です。
それが40代なりの無邪気さであると思いたい。
セカンドステージに踏み出した、そういう意味では少し人生の先輩である嵐の5人のみなさんへ。
私たちも、もう少し、喪失を味わって、寂しさを思い切り感じて、次の景色を見たいと思います。
