アートフォトセミナー【前編】
アートという言語を学ぶ — 写真が芸術になるまで
文・写真:池谷友秀
プロローグ:見えないものを見るために
水の中で息を止めて、シャッターを切る。被写体と私の間に横たわるのは、水という媒体だけではない。そこには言葉にならない何か、言語の届かない領域がある。私たちは、それを「アート」と呼んでいる。
写真家として、そしてアーティストとして生きてきた私が、いつも自問してきたことがある。なぜ、ある写真は「作品」になり、ある写真はそうならないのか? その答えを探るために、私たちはまず、アートという言語そのものを学ばなければならない。
第一章:アートとは何か — 言語外のコミュニケーション
アートとは何か。この問いに、唯一の答えはない。だからこそ、それはアートなのだ。
アート(芸術)とは、言語外コミュニケーションである。 識字率の低い時代、人々は絵によって神の物語を知り、天国と地獄の境界を想像した。文字が読めなくても、イメージは魂に届く。色彩は感情を揺さぶり、形態は記憶を呼び覚ます。
アートは、答えのないものだ。 受け取り手によって印象が違う。同じ絵を見ても、ある人は悲しみを、ある人は希望を、またある人は怒りを感じる。それでいい。むしろ、それこそがアートの本質なのだ。
しかし、ここで重要なことがある。アートがコミュニケーションツールであるのなら、その言語を知らないと通じない。 ロシア語を突然聞いても、何を言っているかわからないのと同じだ。母国語は幼い頃から聞いていたから理解できる。アートも同じである。普段から見ていればわかるが、見ていないものは勉強しないとわからない。
気軽に発信してもいい。だが、それが小説になるとは限らない。居酒屋の雑談のようなものから、学会のスピーチのようなものまである。そして、時代とともに変化する。新しい言語の使い方が生まれ、別の言語との融合が起こる。
第二章:「ART」という長大な物語
私たちが使う「アート」という言葉。実は、これは複雑な翻訳の結果なのだ。
ART — 西洋で培われた長い長い歴史を持つもの。世界最古の絵画と呼ばれる洞窟壁画から始まり、文明は入れ替わり、戦争が起こり、舞台となる国も様々で、宗教や多種多様な文化背景に影響を受けてきた。圧倒的な作家数からなる作品数と研究量。そんなバックボーンがあるものが"art"と呼ばれている。
芸術 — 日本語の「芸術」は、もっと広い。芸事全般を指す。文芸(言語芸術)、美術(造形芸術)、音楽(音響芸術)、演劇・映画(総合芸術)、デザイン(応用芸術)、そして漫画やイラストなどのサブカルチャーまで含む。表現者と鑑賞者が相互に作用し合うことで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動すべてが、芸術なのだ。
美術 — 芸術の中の一分野。多くは宗教とともに発達してきたが、近代以降は宗教から独立し、個性の表現として捉えられるようになった。
アート(和製英語) — 日本で使われる「アート」は、実は英語の"creation"に近い感覚だ。コミュニティアート、デジタルアート、ネイルアート、ラテアート…。創造的な行為すべてを「アート」と呼ぶ、自由で拡張的な概念である。
この複雑さこそが、現代の私たちが立っている場所なのだ。
第三章:光の箱と銀の記憶 — 写真技術の誕生
カメラオブスキュラ(Camera Obscura) — 暗い部屋という意味のラテン語。15世紀頃から芸術家たちが活用し、レオナルド・ダ・ヴィンチも写生に利用した。これが、写真技術の原点である。
原理は驚くほどシンプルだ。密閉された部屋の壁に小さな穴を開ける。そこから入る光が、壁の内側に外部の風景を反転させて写し出す。まるで魔法のように。人間の目の仕組みと同じ原理が、部屋という大きな眼球を作り出したのだ。

そして1839年8月19日、フランス学士院で歴史的な発表がなされた。ダゲレオタイプ(Daguerreotype) — ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによる、世界初の実用的写真撮影法の誕生である。
銀メッキをした銅板を感光材料とし、水銀蒸気で現像する。複製不可能な、一枚限りの写真。日本語では「銀板写真」と呼ばれるこの技術は、まさに銀の記憶だった。鏡のような表面に刻まれた像は、時間を凍結させた。

写真が発明されたとき、世界は変わった。 現実を、そのまま写し取ることができる。絵画が何世紀もかけて追求してきた「現実の再現」を、写真はほんの数秒で達成してしまったのだ。
写真が発明されたとき、世界は変わった。 現実を、そのまま写し取ることができる。絵画が何世紀もかけて追求してきた「現実の再現」を、写真はほんの数秒で達成してしまったのだ。
ここから先の内容:
- 印象派から抽象画への革命 — 写真が解放した画家たち - マティス、ピカソ、カンディンスキー、ポロック、ウォーホルの思考 - デュシャンの「レディーメイド」が変えたアートの定義 - デザインとアートの本質的な違い - 写真が芸術の言語を獲得するまでの道のり
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