三島由紀夫生誕100周年
三島由紀夫生誕100周年。1925(大正14)年1月14日〜1970(昭和45)年11月25日。
政治的言説でもよいけど、三島を語るなら、せめて新潮文庫の小説くらいは読もうよ。
繰り返すけど、俺の考える三島由紀夫とは、戦後民主主義という相対の世界で、天皇という絶対を求めることのアイロニーのドラマで、その結果を出すには切腹という自死しかなかった。
三島美学は絶対的な崇高美を至上とする概念の世界にあり、現実的には構築不可能な世界なのだ。
常に完成されていながらもその崩壊(死)もちゃんと準備され、予定調和的に描かれる。三島美学では最終的に「美」が最も大事なことで、そこに至るまでの過程はどうでも良いのだ。当然、結果も。
若い世代に、三島由紀夫はどう写るのだろう?
自分という存在とは何か?を問わずにいられない現代において、全てにおいて自分を主人公とした三島由紀夫に、しっかりと自我を持った存在として憧れみたいな対象になってるのではないだろうか。そういう意味では、やはり太宰治よりも輝いている。
青年とはいつの時代もどこまでもバカなものだ。青年であるためにはバカでなければならないのだ。バカを極めるために、どこまでも徹底的に考えて苦しむことだな。
俺も死ぬまで青年でありたい…。
「そんなお方は、もともとあらしやらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるやうに思うてあらしやって、實ははじめから、どこにもをられなんだ、といふことではありませんか?」
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている…」






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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。